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その過ちの名は


ひどい雨だった。外に出たら全身が濡れてしまうほど強く大粒の水が空から降り注いでいる。
明日は晴れるかな。中から外を見ていた名無しはそんなことをぼんやり考えていた。
今日はもう自分の夕飯を作る以外はやることもなく、家の主は数日帰らない。

読書をしようかと立ち上がったところで、外に何かが動いているのが見えた。
何だろう。窓に近づいて注視してみると、人のように見える。今日は朝からずっと大雨なのにどうしたのか。それに走っているわけではなく、よろめきながら歩いているようだ。
様子を見るために玄関を開けた。銀髪の少年が腹を押さえて歩いている。腹からは赤いものが広がっていた。しかし、それよりも少年にはもっと注目すべきものがあった。

――――狼だ。

少年には、狼の耳がついていた。

狼は人の姿になれるものとなれないものがいる。しかも村では最近人を食らう人狼を見たという話で持ち切りだった。少年はその人食い狼なのかもしれない。誰かに撃たれて逃げてきたのか。

とにかく家から出るべきではない。早く扉を閉めて鍵を掛けた方がいい。そんなことは、頭では分かっているのに。動けない。
狼が倒れた。腹から出た血は雨で流れていく。
無視していい。狼なのだから。きっと、食べられてしまうのだから。

でも――――。

「意識、ある?」

名無しは外に出て狼へ駆け寄った。雨は冷たく、すぐに服に浸透していく。弱々しかった狼の目に強い怒りが宿る。それもすぐにまぶたが閉じて消えた。
抵抗されないならちょうどいい。雨に打たれながら、名無しは狼を運んだ。


薬を塗って包帯を巻いたものの、狼の出血がひどすぎた。抉られたような痕で、狩人にやれたわけではないようだった。
まだ生きているだろうか。名無しはそっと客間の扉を開ける。

昨日ベッドに運んだ狼は、目を覚ましていた。上半身も起こせるほど回復しているらしい。顔をしかめて赤黒くなった包帯をさすっていた。
しかし、名無しを視界に入れた途端に目を吊り上げる。人を刺せるほど視線は鋭い。荒々しい気が名無しに襲い掛かってくる。それでも、不思議と名無しは恐怖を感じなかった。

「女。貴様が治したのか」
「そう。怪我してたから」
「馬鹿を言え。俺は狼で、貴様は人間だろう。治す理由はない。自分を食らうかもしれんならなおさらだ」
「あんたは人を食べるの?」

殺気を受け止めながら、名無しはまっすぐな目で狼を見つめ返す。怯えも驕りもない瞳と声に、狼の目が一瞬だけ揺れる。

「食わん、と言って貴様は信じるのか」
「信じるよ」
「貴様は正真正銘の馬鹿なのか?油断させたところを食うつもりなのかもしれんぞ」
「食べるつもりなら私を見た瞬間さっさと食べてるでしょ。もう大体動けるみたいだし」

名無しの言葉に狼が口を閉ざした。厳しい眼差しを受けながら名無しは動かない。
しばらく見つめ合った後、狼が再び尋ねる。

「……女。何故こんなことをした」

狼は強く警戒しながらもかすかに戸惑いを見せていた。先ほどよりも殺意は薄れている。それに応えられるように、名無しは目を逸らさず言った。

「……あんたと、小さい頃会ったことある狼に似てたの。あの男の子も銀髪で褐色肌で……髪は短かったけど。それだけ」

独りになったばかりの頃、名無しが森で一人遊んでいると、同じ年頃の男の子を見つけた。狼の耳をつけた男の子。そのときの名無しは人狼がどのようなものか全く知らない。おそるおそる話しかければ、一緒に遊ぼうと誘われた。あのときの名無しにとってその誘いはひどく嬉しいもので、笑って頷いたことをはっきり覚えている。空が橙になるまで遊んで、その男のことは別れた。
しばらくして人狼のことを知り、あの子は狼だったのだと気付いた。それでもあの男の子を疑うことも嫌うこともできない。名前も知らないのに。だが、今でも名無しの数少ない綺麗な思い出だ。

来ると思っていた怒号はない。狼は名無しを見つめたままだ。深い青の瞳は、とても獣とは思えぬほど理知的で静穏で、少し驚きの色も混ざっていた。

「……礼は、言っておく」

狼が立ち上がる。昨日のような危なっかしさはなく、しっかりと歩いている。

「もういいの?」
「ほとんど治った」

それだけぶっきらぼうに言うと、サッシに足を掛けて窓から飛び降りた。慌てて名無しは窓に駆けて見下ろしたが、狼の姿はすでに小さい。走れるほどには回復したらしい。名無しはほっとして目を細める。
狼が見えなくなっても、名無しはしばらくその場を動かなかった。


「少し離れた森に住む老婆に薬を持っていってくれ」

狼を助けて幾月か経った頃、保護者にそう頼まれ、名無しは一人森を歩いていた。
日差しは明るくあたたかだ。鳥のさえずりが絶え間なく聞こえ、澄んだ空気を吸うと穏やかな気分になる。

この森は狼が出ると言われていたが、ここしばらくは目撃情報もない。それに教えられた老婆の家は少女が一人で歩いて行ける距離だ。だから不安要素も少なく、名無しに任せられたのだろう。

気分が上がり、鼻歌を歌っているうちに小さな家が見えた。しかし、何故か近づくたびに獣の臭いが濃くなっていく気がする。犬か猫でも飼っているのだろうか。名無しは妙に思いながらも扉を軽く叩き、扉越しに話しかける。

「おばあさん、お薬を持ってきました。入ってもいいですか?」
「ああ、いいとも」

すぐにしわがれた声が返ってきた。老婆の声にしてはかなり低い。風邪で喉の調子がおかしいと言っていたから、そのせいだろう。背筋に何か冷たいものが走る。気のせいだ。首を振って名無しは家に入った。

「大丈夫ですか?」

老婆は布団に包み込まれるようにベッドに寝転んでいた。顔は見えない。
ふと下を見ると、赤い血が木の床に付着していた。まだ鮮やかだ。どくん。何故か心臓が大きく跳ねた。唾を呑みこむ。何となく名無しはそれ以上ベッドに近づくのをやめた。

「……おばあさん、怪我でもしたんですか?床に血がついてますけど」
「さっき料理を作ろうとして、包丁でちょっと手を切ってさ。こんなときに無理するもんじゃないね」
「そうなんですか。風邪ひかれてるのに包帯巻けました?」
「ああ、何とか自分でできたよ。ありがとうね」
「なら、いいんですけど。……そういえば、犬とか猫とか飼ってるんですか?なんか……動物の臭いが、」

――――突如、視界が天井に変わり、後頭部に激しい痛みが襲った。すぐに尋常ではない力で両手を掴まれる。

「なんだァ……さすがにバレちまったなァ……」

目を開くと、そこにいたのは老婆ではなかった。人狼だ。開いた口から鋭い犬歯がてらてら光っている。口から涎が垂れて名無しの顔にかかった。

「ババアが若い娘が来るっつうんで待ってて正解だったぜ。顔はそこそこだが食っちまえば関係ねえしな」

狼は名無しの匂いを嗅ぎ、舌なめずりする。血走った眼は狂気に溢れていた。

「ひ、人食い、狼……なんで、」

名無しの心臓が恐怖でどくどく強く脈打っておさまらない。ようやく出た声はかすれて震えていた。名無しの問いに狼はにいっと不気味に口元を歪ませる。

「そうそう。俺が噂になってた人食い狼よ。ここらへんは同族がいないんで上手く人が食えたんだが、食いすぎて狩人どもが巡回しだすわ、銀髪のクソガキにやられるわで、しばらく隠れてたわけだ。おかげで腹が減って仕方がねえ」

銀髪。そこで名無しの脳裏に、以前助けた狼が浮かんだ。寂しい目をした狼。あの腹は、この狼にやられたのか。

驚く名無しに構わず人食い狼が顔を舐めた。気持ち悪い。怖い。息が上手くできない。声ももう出ない。涙も汗に変わってしまったようだ。叫んだとしても周りに住む人はいないし、誰かが気付いたとして、鋭い牙に噛まれたら終わりだろう。
人食い狼はがちがちと歯を鳴らす。

「ああ、腹が減りすぎてイライラする……!とっとと食おう!」

人食い狼が大きく口を開けた。
もう、駄目だ。名無しはまぶたを閉じる。

「ぐあ……っ!」

――――だが、次の瞬間、大きな音とともに狼の呻き声が聞こえた。名無しに痛みはない。何が起きたのか分からず、名無しはゆっくり目を開ける。

「あ、」

長い銀の髪。狼の耳。あのときの狼が、名無しの目の前に立っていた。

「てめえ、あんときのクソガキ……!」

人食い狼が飛び上がって狼に襲い掛かる。狼は無言で足を蹴って相手のバランスを崩し、無防備になった脇腹に力強い拳を当てた。その衝撃で人食い狼が血を吐いて再び倒れる。その隙を見逃さず、狼はもう一度長い脚で蹴りを放つ。

「う……この、あがっ!」

息も絶え絶えになったところを躊躇せず顔を殴りつけ、頭を蹴った。人食い狼が床に崩れる。そこからぴくりとも動かない。呼吸音も聞こえない。死んだ、のだろうか。
そこでようやく狼が名無しに振り向いた。同族を痛みつけたというのに、狼の目には何の感情も見えない。

「無事か」
「……う、ん」
「あまり出歩くな。俺たちは皆人を食うわけではないが……こういう奴も、たまにいる」
「……なんでここにいたの?」
「通りすがっただけだ」

そっけなく言う。嘘か本当か、名無しには判断がつかない。
それよりももっと気になることがある。読めない狼の瞳を見つめ、尋ねた。

「なんで、助けてくれたの?」

助ける理由などないとあのとき狼は言った。それは狼だって同じことだろう。人間に良い感情を持っているわけでもなさそうだ。あのとき礼を言っただけでもこの狼の中でよほどのことだったように思う。
戸惑いの色を隠さない名無しの視線から狼が逃げる。そして背を向け、答えた。

「……あのときの借りを返しただけだ」

義理堅い狼だ。荒れた家、血がそこらについた床や家具、おそらく息絶えた人食い狼。到底笑える環境ではないはずなのに思わず頬が緩んだ。
ゆっくりと立ち上がって狼と距離を詰める。狼は動かない。

「狼さん、じゃなくて、えっと、」

以前は「あんた」と不躾に呼んだものだから、何と呼べばいいのか分からない。貴方と呼ぶのも違うだろう。

「……ロウガだ」

名無しが迷っていると、少年が名乗った。名まで教えてくれるとは思わず名無しは目を見開いたが、すぐに微笑みを顔に広げた。

「ロウガ。ありがとう」

少年は狼で、同族を殺した。しかし、名無しには少年に対して恐れも怯えもなかった。ただ、感謝と、別の何かあたたかな感情が胸にあるだけだ。
春の日差しのような柔和な名無しの笑みに、少年がつられて笑った、ような気がした。

「……変な人間だな、貴様は」
「貴様じゃなくて、私は名無しっていうの」
「お前は変な人間だな。名無し」
「言い直さなくてもいいでしょ」

言い返した途端、笑いが噴き出る。こんなに誰かといて笑った記憶は、もう彼方だったのに。二度とないのかもしれないとすら思っていたのに。
名無しは少年の手を取った。爪が鋭利な以外は、人と変わらぬあたたかな手。

「おい、何する」
「ロウガは人間のご飯食べれる?食べれるなら作ってあげる」
「だから勝手に決めるな!」
「慣れ合いたくないなら早く行けばいいでしょ」

ロウガが口をつぐむ。消え去らないのは名無しに情が少し移ったからか。分からない。

「こう見えて料理得意なんだ。とびきり美味しいの作ってあげる」

ロウガに笑いかける。ロウガが諦めたようにため息をつき、そっぽを向いた。しかし、ロウガはその手を振りほどかないままだ。

――――そういえば、あの男の子と手を取って走ってたな。

遠い日の手のあたたかさを思い出しながら、名無しは自分よりもずっと大きい手をぎゅっと強く握った。



赤ずきんのパロディですが赤ずきん自体は出てこないという。
特に人食い狼はバディファイトのキャラの誰でもないです。殺さないとまた来るので殺してしまいました。
狼少年は今一人で生きていて、でも森からは昔一緒に遊んだ女の子のことを覚えていて離れられなかったという話だったり。
ほとんど一緒に暮らしてるその後とかも書いてみたいですね。
タイトルは「恋」と続きます。まだ恋の前程度なのであえてつけませんでした。

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