今夜から新世界
初めて行った城の舞踏会は、ひどく眩しく、ひどく浮かれていて、まるで別の世界のようで、自分はひどく不釣り合いなように思えた。
今日は王子の見合いパーティということで、参加している女性は皆気合を入れて洒落込んでいる。名無しも同じように華美なドレスを着ていた。顔立ちが整ってるわけでも体のラインが綺麗なわけでもないのに、こんなきらびやかなドレスを着ていて、早く脱ぎたかった。服と顔がちぐはぐすぎて自分でもおかしいと思う。
本当はこんなパーティに参加すらしたくなかった。でも、これで欠席したら「あのお嬢さんはやっぱり来なかったのね」なんて、見知らぬ他人が世話になっている家の人に余計な言葉を投げるだろう。それだけは申し訳ない。
名無しは壁にもたれ、大広間の中央で踊る少女と王子を深い紺の瞳に映した。
この国の王子は甘い顔をしていて、さらに礼節も弁えており頭もよく回る。逆に欠点がなさすぎて名無しには何の魅力も感じないが、それだけ良い人物だから国中の女性が自分を選んでほしいと思うのは当然だ。
そんな王子が選んだのは、可愛らしく清純そうで品のある少女。そんな女が嫌いな男はいない。傍から見てもお似合いだ。せっかく王子のために着飾ってきた女たちも悔しそうに二人のダンスを見つめていた。
きっと今の自分は暗い顔をしている。何の絶望も味わったことのないようなほど明るいこの場所にはふさわしくない。名無しは無表情のまま輝く大広間から離れた。
離れて離れて名無しが辿り着いたのは、城の庭だった。城の衛兵も使用人もパーティに駆り出されたようで見かけなくて助かった。だが、パーティは今日が終わるまで開催されるとのことで、あと数時間はこうしてなければいけない。
「はー……」
疲れて大きくため息をつく。そのまま庭の入り口に腰掛ける。ドレスが汚れてしまうことに気付いたが、どうせ二度と着ないからいいかと諦めた。
そのまま空を見上げる。庭から漂う花の香りを感じながら、美しい夜空を楽しむ。
「どうした、そこのお嬢さん。せっかくの舞踏会なのにこんなところで何を?」
心が少し安らかになったとき、聞き惚れてしまうほど良い声。
名無しが振り返ると、ずいぶんと顔立ちの良い男が立っていた。緑の目は甘く垂れているのに鋭さがある。少しくすんだオレンジの髪に右目が隠れていた。少し軽薄そうな印象を受けるが、どこか掴みどころがなく、不思議な空気を持っている。正装でも衛兵の制服を着てもおらず、名無しには何者か判断がつかない。
「どうした、じろじろ見て。オレの顔に何かついてるか?」
そう言っていたずらに笑う。何だか色っぽい。なかなかいないほど整っていたものだから、不躾に見てしまっていた。慌てて謝罪する。
「あ、いえ……すみません。ああいう場、苦手で、ここで休んでただけです」
「場に酔ったとか?」
「なんていうか……パーティとかきらきらして、おしゃれで楽しそうな空気、お前には合わないって言われてるみたいで、息苦しくて……ダメなんです」
言葉にすると、胸が痛くなった。同時に心もとない言葉がフラッシュバックする。胸を抑えても痛みが和らがない。頭も痛くなってきた。
そこではたと気付く。初対面の人に何を言ってるんだろ。疲れているから本音口走っちゃった。絶対引かれてる。名無しは慌てて微妙な愛想笑いを繕う。
しかし、予想に反して青年は真面目な顔つきだった。先ほどまで浮かべていた笑みとはかけ離れすぎて、名無しの中で聞いたことのない音が聞こえた。不快な音ではない。
「オレは祭りとか好きなクチなんだが、言いたいことは分かるぜ。なんつーか、村とかの祭りと違って、こういうお貴族様の祭りは眩しいよな。だからこうして遠くから見てるだけなんだが」
青年はそう言って名無しの隣に座り、大広間の方角を見る。優しくも切ない横顔。また、胸の中で何かが音を立てる。もう刺されたような痛みはない。代わりにじくじくとあたたかな痛みが広がっていく。
「気に障ったら悪い」
青年の言葉に名無しは我に返る。急いで首を横に振った。ドレスを握る手が、何故か汗ばみ始める。
「お兄さんは、城の関係者とかですか?衛兵さんではないみたいですけど」
「いや。舞踏会やるってんで、どんなもんか見に来た、ただの不法侵入者」
「そうなんですか」
青年はさらりと言う。名無しも特別驚きもせず相槌を打った。意外と城の警備ザルなのか、青年がすごいのか。そんなことを考えて平然としている名無しに青年は少し呆れていた。
「何も言わねえんだな。もうちっと驚いたり衛兵呼んできたりするもんだと思ったぜ」
「これだけ大きいパーティだからいてもおかしくはないかなというのと、衛兵さん呼んでも逃げるだろうなと思って。それともどさくさに紛れて何か盗んだりとかするんですか?」
「しねえけど……お嬢さん、ちょいと変だな。ありがてえけど」
「変でいいです」
そこで青年が名無しへ向き直る。見れば見るほど、整った顔立ちをしている。名無しの好みではないけれど、きっとモテるのだろうとぼんやり思う。
「しっかし、そのドレス、綺麗なのに床に座るなんてもったいないことしてんな」
「どうせもう二度と着ないからいいです。買ってくれた家の人には申し訳ないですけど……」
黒と紺のが基調のドレスには、手の込んでいるレースとふんだんに盛り込まれたフリルが詰められている。頭には大きな花の髪飾り。大人っぽく、でも可愛いドレス。まるで王女が着るようなドレスに、名無しは喜びもしたが同時に嫌にもなった。鏡で見てみると余計子供が大人のドレスを買ってもらったように見えて、いっそのこと仮病を使おうかと思ったくらいだ。
目を伏せる名無しを青年は黙って見つめている。それからなんてことないように言う。
「ドレスの深い青、目と同じで似合ってるけどな。背伸びしてるようにも見えないし、どこぞのお嬢様って感じで。派手すぎんのも考えもんだが、めかしこんだ方が可愛いぜ」
可愛い。初めて、異性に、身内以外の人に、そう言われた。もう一度胸の奥で何かが鳴る。
でも、女性の扱いに長けていそうだからお世辞かもしれない。褒められたことが少ない名無しはすぐに受け入れられない。ちらりと隣を横目で見る。青年の表情は柔らかく、とても嘘を言っているように見えなかった。
どくん。心臓が跳ねる。それを誤魔化すように名無しは再び俯いた。
「ありがとう、ございます」
口にしたありがとうは熱を持って宙に漂う。耳には大広間から聞こえてくる心地よい音楽が流れてきた。
青年は俯く名無しをまるで幼子を見守るように笑った。そのまま立ち上がって軽く伸びをする。
「じゃ、ちょいと踊るか」
「え?」
「いいから、いいから。せっかくの舞踏会なんだ。一度くらい踊った方がいいだろ」
「でも、私ステップとか分からなくて、わっ」
「んなもんどうでもいいっしょ。ほら」
青年が名無しの手を取る。そして庭の中に入り、流れるように腰に手を添えた。名無しは異性と触れた機会も少ない。だが恥ずかしいと思うよりも足を気にしてしまう。しかし社交ダンスのステップなんて何も分からないのに不思議と踊れている。
ここには豪奢なシャンデリアもなければ絢爛な装飾もないし、楽団もいなければ貴族もいない。あるのは月明りと城からこぼれる薄い明かり、美しい花。それでも、名無しにとっては大広間よりもずっときらびやかな舞台に思えた。いたずらっぽくも楽しそうに笑う青年を見ていると、自分まで心が浮かれてくる。自然と名無しの頬が緩む。
――――何だか、王子とあの女の人みたい。
皆に見つめられながら中央で踊っていた男女。幸せの最中にいるような二人。少なくとも名無しは同じように感じたことのない輝きに包まれていた。
しかし、ささやかであたたかなひとときに終わりを告げるように、城の鐘の音が鳴り響いた。音に遮られて二人のダンスも止まり、青年の大きな手が名無しの手から落ちる。
「十二時の鐘か。さすがに帰るか」
十二時。そんなに踊っていたつもりはなかった。それよりも今更異性と手を取ってダンスしていたことに気恥ずかしさを覚えてしまう。
「さすがにパーティもお開きだろうし、お嬢さんも親と帰りな」
青年が背を向ける。もうこれっきりなのか。日が変わったせいか、体が冷えた。
自分でも驚くほど単純だと呆れるが、名も知らぬ青年がくれた一言がひどく嬉しくて、頭が、体が、胸が、言いようもないもので溢れていた。
だから、せめて。
「あの!」
唾を飲み込んで名無しは尋ねる。必死に、熱い眼差しで。
「貴方の……名前は?」
瞬きした後、青年は甘く目を細める。そして口を開いた。
「また会ったら教えてあげますよ、可愛いお嬢さん」
手をひらひら振って、青年は闇へと消えた。
どくん、どくん、どくん。青年が去った後、急激に鼓動が早まった。心臓はもう破裂しそうだ。眩暈がしそうなほど顔も熱い。
頬に触れながらドレスを掴む。このドレスを着るのはこれっきりだと思っていた。だが、あの人は似合っていると言った。もう一度会えるかさえ分からないけれど。自分のことなど記憶に残っていないかもしれないけれど。それでも、名無しはきっと二人だけの舞踏会を忘れないだろう。
――――また、着ようかな。
誰もいない花園で一人、名無しは唇をほころばせた。
「シンデレラでもないし王子様でもないけどダンスしよう」だったんですが、無駄に長くなりそうだったのでダンスだけです。後にまた出会います。
緑茶は森に住んでる狩人、夢主は養子の家で暮らしてる設定です。
緑茶は全然ですが何回も会ううちに惹かれてくパターン。本当は「ガラスの靴じゃねえけど」って靴をプレゼントとかもしたかったです。いつかその話も書いてみたいですね。