世界の中心でふたりぼっち
※「This Love」を読まなければ分かりにくいかもしれません。
上記をご承知の上で、よろしければお読みください。
瀬尾梨名無しの世界は、この教会の中だけだった。
兄のようなバディたち、親代わりの神父、広さだけは豪邸と呼んでも差し支えない敷地、たくさんの墓石、美しい礼拝堂。
名無しにとって友達や仲間にライバル、ましてや恋人なんてものは、どこか遠い世界の話だった。
だが、今は違う――――とは、言い切れない。確かに一年前と比べればかなり交友関係は広がった。友達のような間柄のメグミ、気負うことなく接してくれるジンと戦国学園の三人、慕ってくれる後輩たち。
それでも名無しにとっての『世界』はこの教会だ。変わったことといえば、その中に一人と一匹が増えた。もうそれだけでいい、と思う。大事なものが増えすぎると苦しくなるから。失くしたときに心の何かが軋んで軽くなる感触を、二度も味わいたくないから。
星が瞬く夜、礼拝堂の椅子に座りながら、名無しはそんなことを考えていた。
名無しが礼拝堂の冷たい空気を肌に感じていると、扉が開かれる。視線を向けないでも誰が入ってきたのか何となく察しがつく。
「風呂が沸いたぞ」
ロウガの雄々しく低い声が夜の礼拝堂に響く。それだけを言いにここに来たのか。名無しは笑みが漏れそうになるのをこらえた。
「先に入ればいいのに」
先に入れと急かさず、なら俺が入るとも返さずに、ロウガは腕を組んで名無しの隣に座る。少し足を開けば太ももが触れそうなくらい近い。前の彼ならもっと距離を開けるだろう。そもそも隣に座りすらしない。少し頬が緩む。
会話は続かない。しかし、二人の間に流れる空気はゆるやかだった。
「あのさ、ロウガ」
「何だ」
「ほんと、最近寒くなってきたね」
「……そうだな。ここも冷えるだろう。手が赤いぞ」
暖房はなく、コンクリートで造られた教会は外と大差ないほど冷え切っている。そのせいで名無しの指先は赤くなっていた。握っても手をこすり合わせてみても、息をかけてみても大した効果はない。
名無しはちらりとロウガの手を見た。名無しと違って無骨で大きい手だ。褐色のせいで分かりづらいが、名無しほど赤みはなさそうだった。
ロウガの袖を引っ張った。ロウガは視線でそれに応える。
「手、出して」
名無しは深い青の瞳を見つめる。ロウガも夜の瞳を見つめ返す。そして理由を問わず、黙って組んでいた腕をほどいて手を差し出した。その手を取って触れる。想像していたより少し冷たかったが、名無しよりずっと温かい手だった。握って指を絡ませる。ロウガは名無しの手を振りほどかず、好きにさせている。
「ロウガの手、あったかいね」
「お前が冷えすぎているだけだろう」
「女は冷え性になりやすいの」
手を握り、指を絡ませる。普段ならしたくても照れてなかなかできないはずなのに、今は恥ずかしげもなくできてしまう。寒いからという大義名分があるからだろうか。ロウガも名無しに触れられることに慣れてきたらしく、ただじっと二人の手を見ていた。以前はあからさまに動揺して可愛かったのに。ちょっと残念だな。名無しは目を細める。
ずっと一人でいた礼拝堂に誰かがいる。ロウガがキョウヤから突き放されて以来のことだが、何の違和感もなくそれを受け入れていた。今までひとりぼっちでここにいたのに。ロウガの手を撫でながら唇をほころばせる。
「出ようか。寒いし。お風呂入ってあったかくしよ」
名無しはロウガに笑いかけた。ロウガも名無しに倣って立ち上がる。二人肩を並べて、礼拝堂を出た。
外は夜でも星と少し離れた街の人工的な灯りで明るい。こんなに冬でも明るかったっけ。歩きながら疑問に思う。礼拝堂はとても美しいが、外に比べると月の明かりのみで暗かった。教会ほどではないけど、夜の外も結構綺麗なんだな。名無しの瞳に星と街灯の明かりが映る。月の明かりは寄り添うように突き放すように美しかったから、勝手に夜の街灯は眩しいだけだと思っていたのに。
バディたちと過ごして、たまに帰る神父に頭を撫でてもらって、ケルベロスに助けてもらって、ロウガのそばにいる。それだけで名無しは十分幸せだ。
けれど。名無しは隣に視線を向けた。むっすりと口元を真一文字にしているが、名無しに歩く速度を合わせてくれている。無意識かもしれないし、自覚しているのかもしれない。何にせよ胸がいっぱいになる。
――――今度、ロウガと一緒にどこか行きたいな。
何気なく、そう思った。
特にリクエストをいただいたわけではありませんが、「This Love」後の荒神先輩でした。