あのことを思い出すたび、ほう、と熱っぽい息がこぼれた。
強烈な攻撃ではなくて、軽やかに出されたボールに目を奪われた。いや、ボールじゃない。そんなトスを出した彼に釘付けになっていた。涼やかな人というか、けだるげな目をしていたのに。あのときは熱い光を宿しているようだった。
彼とは一言二言しか言葉を交わしていなくて。姿だってまともに認識したのは昨日が初めてで。なのに、とても胸が熱くなる。
これが恋なのか。
そんなことを誰かに言い出せるはずもなく、私はいつものように学校に来て、いつものように過ごしている。
「あのね、今日も木葉先輩と話せたんだー」
目の前であの戦場の購買からパンを見事かっさらった細田とは、違うのだ。それはそれは嬉しそうに目を細め、頬をパンでいっぱいにして私たちに報告する。
「ふーん。どこで?」
「さっき、購買で!お前女子なのに購買からパン買えたのかよ、すげーなって」
「ソレ褒められてるっていうより引かれてない?」
隣の広瀬はおっとりと、だけど的確に細田の穴を突く。それでも気にしていないようで、細田はもしゃもしゃとパンを食べている。
「こりゃダメだこいつ」
「恋は盲目ってホントだねー」
広瀬と一緒に放置することにした。
「ね、瀬尾梨はいないの?好きな人」
「え?私?」
何故私に矛先を向けられたのか分からず、一瞬面食らった。パンを食べ終えた細田が私を見る。
「あ、それ、私も気になる。瀬尾梨の恋バナ」
やめろ、期待に満ちた目を向けるんじゃない。
ここでもし赤葦君かななどと口を滑らしたら、「瀬尾梨って意外とミーハー?」「えー前まで名前も知らなかったのにー」と言ってくるに違いない。正直、私自身こんなちょろい女だと思わなかった。いや、今まで恋なんてしなかった分、耐性がないだけかもしれない。そう、まだ恋なんて決まってない。気の迷いかもしれない。スポーツマジックにまんまと引っかかってしまっただけかもしれないし。
何も答えない私に、勘違いしたらしい細田が身を乗り出してきた。
「え、いるの?いるの?」
「いないから。まったくもっていないから」
「ええ〜つまんない」
「まー瀬尾梨だしねえ。いてもそう簡単に言わないでしょ」
「だからいないっての」
どうにか話題は終了し、別のものに切り替わった。
そうだ。いても、言わない。これはきっと胸に秘めておく。誰にも言わない。そう。私にそんな勇気はない。赤葦君にも迷惑だ。だから、いい。
体育の時間だ。奇数、偶数のクラスで合同になる。
整列しながら赤葦君を探す。こんなことしちゃってる時点でだいぶ重症な気がしている。高二にしては、というか男性の平均身長を越えているから、すぐ見つかった。
ぼさぼさの私とは違う、ふわふわの猫っ毛。眠そうな目で前を向いている。あれが目がはっとするくらい真剣になるんだ。そう考えただけできゅんとしてしまった。
そのとき、赤葦君がこっちを見た、気がした。慌てて目をそらす。ヤバ、気づかれたかな……いや遠いからそんなことないはず。うん。自分に言い聞かせながら、胸を押さえつけた。
そうして、日々が過ぎていく。
今日の料理、おいしかったな。バイト先で教えてもらったこと、注意されたことを頭の中で反芻する。
周りはもう暗い。春とはいえ、日が落ちるのが遅いわけじゃない。早く帰らなきゃ怒られる。
そういえば、コンビニでピーナッツ買ってきてって言われたんだった。慌てて近くのコンビニに入る。そこそこ使うこのコンビニは結構大きくて、重宝している。ふと、どこかの学校のスポーツ部をよく見るな、なんて思い出した。ウチのだった、ような気もするけど。もしかしてバレー部だったりして。そんなことあるわけないか。
目当てのピーナッツを買おうとしてレジに向かった。
「俺今日何買おー」
「あ、そういえば木兎、お前この間五百円貸したろ、返せよ」
「あっ……」
「俺は貸しませんからね」
「つーか木葉は懲りろよ」
あ。赤葦君の声だ。
たった一週間なのに、もう彼の声を識別できるほどになっていて。我ながら気持ち悪いと思う。
なるべく彼らに、そして赤葦君の視界に入らないよう移動する。話しかける勇気なんて、私にあるわけがない。
――――あ、見えた。
そんなことを思いつつも、姿だけは見たくて。棚と棚の間を盗み見た。棚から顔が見えなくらい高くて。木兎サンと言う先輩に少し呆れていた表情をしていた彼は、苦労しているなと感じるより、そういう顔するんだなんて、どきりとした。
見えなくなった瞬間を狙って会計を済まして外に出た。
好きだ。かっこいい。そんな言葉が頭を占めていく。春でもちょっと寒い夜の時間のはずなのに、全然感じないくらい。
私、よっぽど単純でちょろいみたいだ。
ようやく二話とかいう。ヒロインがきちんと恋と自覚する話。
次回はきちんと赤葦さんとお話します。
タイトル配布元:route A様