×
「#溺愛」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
不幸なのはあなたではありません



五月のある日。外国人女性教師がやってきたかと思えば、人前でキスを披露してきた。湊は人のキスなんて見たことがない。
いや、記憶を思い返すとあった。湊が料理を習っている女性と恋人のキスシーンを偶然目撃してしまった。そのキスはひどく甘く幸せそうで愛に満ち溢れていたが、目の前で繰り広げられたものはただ相手の唇を貪るだけのように見えた。どちらにせよ見ているこちらが恥ずかしくなってくるのには違いない。どうにか目を逸らし、渚を犠牲にする。

「顔真っ赤だね」

「うるさい」

軽いカルマの笑いが何だかいつも以上に癪に障る。

「赤羽もしてもらえば?」

「勘弁。湊からなら大歓迎なんだけど」

「永遠にしないから」

カルマからさらりとくる攻撃には湊も慣れたもので、右から左へ受け流す。ここ数週間でスルースキル検定3級にまで上がったのではないかと自負している。

「どうせあんたもああいう色気があって胸が大きい美人ならいいんでしょ」

「えー、湊もなかなかだと思うよ」

カルマの視線が湊の胸元へ注がれる。平野というほどでもなく、谷というほどでもないが、しっかりと制服を押し上げているふたつのふくらみ。その視線に気付いて湊の顔が怒りと羞恥で真っ赤になっていく。
どこを見ているんだ、こいつは。確かに胸の話題を提供したのは湊だが、自分の胸を見ろなど口にしていない。

「っ、死ね!!」

限界値に達した湊は反射的にそう叫んでカルマの足を蹴り上げた。

「……っ!ちょ、湊やめ、本気で痛っ!」

「最低!!そういう本でも見て満足してろ!!」

蹴られるたび、カルマの脚が鈍い音を立てる。

「ちょ、湊、痛い、ほんと痛いから!」

カルマなら湊の蹴りくらい余裕で逃げ切ることもできるだろう。それをしないのは少し反省しているのかもしれない。と考えたが、湊としては猛省してほしいところである。すぐにやめることはしなかった。
何度か蹴って満足した後、湊はボロボロの校舎へと戻って行く。カルマは蹴られた箇所をさすりながら、怒りと羞恥で耳まで赤い彼女の背を見つめた。口元が緩んでいるカルマに、イリーナ含めクラスメートから何とも言えない眼差しを送られていた。さすがに後ろで騒いでいる二人に気付かないわけがない。特に気にしていない素振りの彼は、小さく伸びをするのだった。



「それに聞けばあんた達E組って……この学校の落ちこぼれだそうじゃない。勉強なんて今さらしても意味無いでしょ」

イリーナが殺せんせーに『手入れ』された後の授業。彼女は言ってはならぬことを口にしてしまった。ただでさえ低かった彼女の好感度が大暴落した瞬間だった。教室がどんよりと暗く、澱んだ空気へと変わる。

落ちこぼれ。
E組にきてから何度聞いた言葉だろうか。成績は確かに下がった。だけど普通の学校基準から言えばきっと上位レベルなのだ。でもここは、椚ヶ丘中学校は、普通ではない。決して普通ではなかった。皆が罵倒と共に消しゴムやらコンパスやら投げている間、湊はひたすらじっと俯いていた。

――――湊ちゃん今度からE組なんだって……。

――――日曜遊ぶ予定だったけど場所変えてハブろー。

E組行きが決まった途端、友情なんてものはあっさり壊れた。そもそも今振り返ってみると友情だったかどうか怪しい。学校中からゴミでも見るような目で見られるし、陰口は叩かれる。一歩間違えたら、周りだってそんな反応をされたかもしれないのに。
親は落胆こそしたものの慰めてくれたし、色々教わっている人からは学校潰すなんて言ってくれたくらい怒ってくれたから、もう忘れていこうと思えた。

しかし、落ちこぼれという言葉は何度聞いても慣れるものではない。慣れてたまるか。ずっとずっと、湊には刺さっていたものなのだから。ふつふつと汚い感情が胸の中で煮え立ち、渦巻いていく。
スカートを握れば皺になった。ただでさえ外だってうるさいのに、学校の中にまでそんな言葉を耳にしたくない。

「どうしたの、湊」

嫌な思考ルーチンも隣の席の彼の声で止まった。イリーナの言葉に目を細めただけで、いつもの食えない彼のままだった。

「あ、ビッチねえさんの気にしてんの?」

「うっさい」

誰にも話しかけてほしくなかった。放っておいてほしかった。普段以上に冷たく突き放した態度をされているというのに、カルマはいやに明るい。何か陰口を言われようが倍にして返しそうなカルマだって内心穏やかではないだろうに。俯いたままの湊の顔を覗き込むようにしてカルマは言った。

「だって湊が頑張ってんの、俺は知ってるし。料理とか、店まで行って頑張ってるじゃん」

何故カルマがそのことを知っているのか。湊はつい顔を上げて目を見開いた。
以前友達だった子らにお菓子なんかは作ってきたし、弁当だって自分で作る。だが店に通っているなど学校の誰にも話したことがない。どこで知ったんだ。眉間に皺を寄せて訝しむ。
だが、普段の飄々としたカルマの目がなんだかひどく優しい。口から出まかせとは思えない目だった。

そういうのいらない。湊はそんな可愛くない返しをしようと口を開こうとしてすぐ閉じた。からかいなど微塵もなく、本当に気遣ってくれているようだ。そんな彼に八つ当たるのはお門違いというものだ。だから、湊はこう返した。

「……ありがと」

聞こえるか聞こえないかの呟き。それが彼にはきちんと耳に入ったようで、目を丸くした。すぐにまた似つかわしくない穏やかな笑みに変わったものだから、どうにも湊は変な気分になった。



イリーナが正式にE組教師として認められた翌日。美しいブロンドをたなびかせる女教師へ、湊は意を決して話しかけた。

「あの、イリーナ先生」

「……私?」

声をかけられて振り返ったイリーナは不思議そうに自らを指した。湊も首を傾げて返す。

「イリーナ先生って、先生しかいないと思いますけど」

「そ、そうよね。私しかいないわね。で、何の用?」

湊の言葉にイリーナはどこか浮足立ったように尋ねた。なんでだろうと考えたとき、すぐに答えが思い当たった。クラス中からビッチ先生などと不名誉な呼び名で呼ばれているせいで、生徒の声でイリーナと呼ばれることに喜んでいるのだ。はっきりとした年齢は分からない。だからこそ余計に湊は目の前の女性が本当に人を殺したことがあるとはとても思えなかった。

「えっと……英語、っていうか、英会話、教えてほしいんです」

「は?英語?あのタコに教えてもらえば……」

「殺せんせーより、イリーナ先生に教えてほしくて。三十分とかでもいいんです。……やっぱりダメ、ですか?」

教わるならやたらと変なちょっかいをかけてこない殺せんせーより、殺し屋とはいえ同性のイリーナの方がいい。そう思ってのことだった。

イリーナは鳩が豆鉄砲を喰らったかのごとき表情をその美貌に浮かべている。しかしそれで美貌が崩れることはない。まったく美形って得だよな。で、受けてくれるのか、くれないのか、どっちなんだろう。湊は失礼なことを考えながらイリーナを見つめ返す。

「……し、仕方ないわね。あのタコより私を選ぶなんて、いい目してるじゃない。一時間、みっちり教えてあげるわ。来なさい」

イリーナは豊かな胸を張った。旧校舎の木造にヒールが響く。

「はい、お願いします」

湊は請け負ってくれたことに安堵して、魅惑の女暗殺者の後をついていった。




ビッチ先生の回。カルマ君こうしてみるとストーカーに思われそうですが違います。一応。たぶん。
タイトルも変わりありませんが、ヒロインの意味合いで書いています。
次は定期テストです。以前では出さなかった彼にもう登場してもらう予定です。