怒り心頭の湊はとっとと更衣室代わりの教室で着替え、女子が来る前に別の場所で時間を潰し、男子が着替え終わったろう頃に戻る。
皆すでに席についており、教室に入ってきた湊に視線を向けた。いたたまれない湊はどうにか耐えて自分の席に戻った。湊の席は一番後ろの席だ。廊下側からひとつ開けた場所。授業中に落書きしようが、月を破壊したマッハ120、賞金首の超生物・せんせーにたまにコメントを加えられるくらいで、とてもいい席だった。
「げ」
「や、湊」
カルマが隣に来なければ。にこやかに手を振るカルマに思いっきり顔を歪めた。
確かにE組の席は後ろしか空いていない。必然的にカルマが隣に来る可能性があることは目に見えていた。あまりにも苛立ってそのことに気付かなかった。カルマを無視して木製の椅子に腰を下ろす。
「さすがに無視は悲しいんだけど」
「じゃあ悲しい顔してよ」
「悲しい顔したら構ってくれるの?」
うざい。ただでさえ気が長い方ではない湊の怒りがたまっていく。クラスメートは我関せず、もしくは興味津々といった風にこちらに注目している。やめろっつってんだろ。心の中で毒ついてしまう。実際口に出せるほど、湊は態度が大きくないのである。
「はい、皆さん席について。小テストを配ります」
チャイムが鳴り、謎の触手を操る超生物はなぜかひどく落ち込んでいた。何かあったのだろうか。最後までいなかった湊は眉をひそめた。配り終えた後は壁へ触手をぶつけている。古い校舎を傷つけぬようにあくまでも柔らかく。だがぶにょんぶにょんと謎の擬音を発しているため、うるさい。
「壁パンじゃない?」
「ああ……カルマにおちょくられてムカついてるのか」
ひそひそとクラスメートたちが話している。なるほど。カルマに一杯食わされたらしい。成績だけでなく頭の回転が速そうな彼のことだ、一度や二度ならできるだろう。
湊は典型的文系少女のため、日本史の小テストならすぐ終えることができた。
しかし暇である。暇なので殺せんせーの壁パンをBGMに絵でも描くことにした。小テスト用のプリントしかないため、そこにシャーペンを滑らす。
……視線を感じる。主に右隣から。無視して湊は昨日買った漫画のキャラを書き続ける。なかなかいい出来栄え。こういう落書きに限って上手く描けるもので消しづらいが、提出するものなので仕方ない。寺坂やカルマが何か話しているが湊は気にしない。
「こらそこ!!テスト中に大きな音立てない!!」
「ごめんごめん、殺せんせー。俺もう終わったからさ、ジェラード食って静かにしてるわ。あ、湊いる?」
「いらな、んぐっ」
答えきる前にカルマは無理矢理湊の口元につけた。気持ち悪い。制服に垂れる前に湊は慌てて舐め取る。確かにひんやりして甘くておいしいが、まともに口に含んでいないので味がいまいち分かりにくかった。
「なんかエロいね、その舐め方」
「死ね」
本当になんなんだ。そんなことを言われたって恥ずかしいだけで、別に嬉しくない。アイスと唾液でべたべたになった口元を隠す。テストはもう終えたとはいえ最悪だ。
「じゃ、また明日ね、湊」
また明日。その言葉で明日から不登校になるか、湊は本気で悩んだ。
殺せんせーがカルマに警戒したのは、停学復帰してから数日のことである。時間が経つにつれ、カルマの飄々とした顔は崩れ、憤怒が増幅していくのが分かる。
大丈夫かな。絡まれても正直鬱陶しいだけだが、さすがにクラスの皆に見せつけられるように辱められるのを見ていられるわけでもない。かといって何と声をかければいいのかも分からないし、彼の事情を特別知っているわけでもない。湊は黙って一連を見ていた。
放課後。カルマに絡まれずに済んだ湊は大きな本屋から家に帰るところだった。本棚と文房具が並んでるのを見るだけで数時間などあっという間に過ぎる。ようやく買いたいものを買って出て行く。
「湊ー」
一気に湊の幸福度が霧散した。聞き覚えたくない声が聞こえるまでは鼻歌を歌いたくなるくらいだったのに。公衆の面前で無視したら彼がどんな暴挙に出るか分からない。湊はぎぎぎと錆び付いた機械のように首を動かした。カルマだけではない。潮田渚もいる。
「黒瀬さんも帰り?」
「ああ、うん」
湊にとって無害な渚まで存在を消すわけにはいかない。渚へぎこちなく対応すると、カルマは不満そうに唇を尖らせた。
「なんで渚君には普通の対応すんのさ」
「自分の胸に当てて聞けば」
「はは」
ブーイングするカルマに湊は無愛想に言い捨てる。間に挟まれる渚は困ったように眉を八の字にした。
呆れたため息をついて湊は気付く。ここ数日カルマが纏っていた苛立ちと憎悪が和らぎ、目が明るくなっている。
「赤羽」
「え、何。湊から話しかけてくれるなんて。俺の努力が報われた?」
「あんた、いいことでもあったの?」
ふざけたカルマの目が見開かれる。傍にいた渚も口を開けている。そこまで変なことを言ったつもりがない湊としては心外だ。むっとして尋ねる。
「何、そんなに驚いて。雰囲気違うからいいことあったかって聞いただけじゃん」
「いや、ん。そうだね。いいことあったよ」
邪気のないカルマの笑みは、晴れた青空にはよく似合った。そして口元をほころばせて湊へ告げた。
「俺、やっぱり湊好きだよ」
そんな笑顔をまっすぐに向けてくるものだから、湊は受け流せなかった。
やっぱり、というのも全然分からないし、好きだと言われてもすぐに信用できるほど湊は単純じゃない。嬉しいよりもすぐに疑ってしまうあたり、嫌な奴だと我ながら思う。だがカルマが爽やかに微笑むから、少し顔が熱くなってしまった。
「あっそ」
「あ、顔赤い、可愛い」
「うっさい。帰る」
「殺せんせーの金で俺とデートしようよ」
「は?盗んだの?」
「ううん、ショボかったから適当に寄付した」
「……とりあえずデートなんかしない。帰れ」
会話を続けていくうちに顔の熱が引いてくのを感じる。熱を帯びたのは気のせいで、勘違いだった。湊は二人に背を向けて家に帰ろうとする。
「カルマ君、黒瀬さん、また明日」
「……じゃあね、渚君」
カルマについていくのをやめようとしたらしい渚が別れの挨拶を告げる。それには目を寄越して手を振った。
「だからなんで渚君には優しいのさー」
「あんたはうざいから」
カルマが駆け寄って隣についてくる。家にまでついてくるんだろうか、こいつは。湊が横目で睨んでもカルマは動じない。
「えー」
思ったことを口にするんじゃなかった。湊はついてくるストーカーまがいのクラスメートを横目に思うのだった。
二話三話をくっつけました。タイトルも変わりなく。
カルマ君の目の先はヒロインで、鬱陶しいけど人はそれなりにちゃんと見ているヒロイン、みたいな意味で。