浅野学秀には親がいる。いずれ越えたい、支配するべき存在の親がいる。血縁上のつながりはあるとはいえ、一般的な「親らしい」ことをしてもらった覚えはなかった。
「学秀」
学校で常に呼ばれる『浅野君』ではなかった。久しく口にされていないように感じたそれは、浅野を違和感どころか不快な気分にさせた。
「何でしょう」
「最近E組の黒瀬さんにご執心らしいじゃないか」
馬鹿にしたような笑みを浮かべて親は言う。どうしてそれを。驚きを口にせず、平静を装って答える。
「……どうしてそう思われるんです?」
「使用人が言っていたよ。湊という女生徒と電話するのを聞きました、とね。湊という名前は椚ヶ丘中に一人しかいない。聞こえた限り、声が到底演技に思えなかったそうだ」
浅野は時と場所を選び、慎重に湊へ電話していたはずだった。いずれにせよ家では数回しか電話した覚えがない。あったとして以前相手側からかけてきたときくらいだ。もしかしたらそのときかもしれない。余計なことをしてくれた。小さく歯軋りする。
不快感しか与えてこない視線に苛立ってくる。何も答えない子に父親は続ける。
「やっと息子に春が来たかと思えば、まさか君がE組の女生徒を好きになるなんて。しかも相手は『普通』の子じゃないか。文と絵で学校に貢献してくれたことはあったけれどね」
浅野は湊を「恋愛対象として好き」なのではない。図書館で会ったときは好きだと言ったが、はっきりそうだと思っていない。むしろ嫌いなはずだ。自分を支配している彼女が。
――――君の笑顔って、うさんくさいね。
完璧に張り付けていたはずの仮面をあっさり取られた。普通の、少し暗い女子だとしか印象がなかったのに。
――――うん、大好き!
見たことがなかった幼い笑みが頭から離れない。
当然他の女子だって笑顔くらいする。しかし、くだらない下心が見え見えだった。下品でもなく、嘘くさい笑顔ではない。珍しく興奮したあの笑顔を、ただ見たいと思った。己の支配下で。
「彼女程度の女子も口説けないなんて……成績も国語に限って言えば並べられているし」
「……一筋縄でいかないから、面白いんですよ」
「……語るね、学秀。まあ、理事長として、父親として。応援してあげるよ」
ここで「女子を口説いてE組を支配しようと思った」「演技はそう見えないから演技」などと言い訳してもよかった。だが、あえて取り繕わない。そう思わせておいた方がいい。
浅野の言葉に眉を動かしたが、親は肩を叩き通り過ぎて行った。
もう一度あの笑みを思い浮かべる。思い出すという行為はない。そのたびに感じる。
――――支配されているのは僕の方じゃないか。
心の底で燻る感情が、浅野には不愉快だった。恋だなんて認めない。認めてしまうのが、悔しいからだ。
私は甘いあこがれにひたる
素敵なネタをいただいたので組み合わせて。というか、いつか書かねばならなかった話だとは思います。
また小ネタ詰めにしようかとも思ったんですが、せっかく学秀君がいろんな意味で悩んだりしている話なので独立させました。短いですけども。むかつくのに嫌いになれない。そんな感じです。
學峯さんのキャラが学秀君以上に難しくてぐぬぬ状態です。
タイトルはドヴォルザークより。候補は他にもありましたが、学秀君にぴったりなのではと。