烏間惟臣は改めて、総合的に黒瀬湊という生徒を優秀なのではと思っていた。少なくとも劣等生ではない。
体力はないが女子の中では速く、反応もいい。投げナイフはできないが突くのは適格で、射撃の成績も悪くはない。勉強も理系は以前より上だし、文系は上位に食い込む。料理もできるし芸術にも秀でている。
ただ、やはり彼女は変だと思っていた。
暗殺に気乗りしていない。と思ったら突然し出す。問題児赤羽業やイリーナ・イェラビッチに好意を持たれる。
極めて特殊な環境であるE組の中でも一際目立って見えた。一見するとどこにでもいそうな少女だというのに。
会話をしたことはあまりない。だが印象にはよく残っていた。
「烏間先生、ちょっと隠れさせてください」
ある日、湊が職員室にやってきた。当番でもない限り職員室へ来ない湊を烏間は珍しいと思ったが、開口一番の言葉でさらに困惑した。
隠れさせてください。カルマかイリーナのどちらかに追われでもしているのだろうか。
「どうした?」
「カルマがうっとうしいので」
うっとうしいなんて恋人を表現する単語ではない気がするが。烏間はそう突っ込みたかったが、やめておくことにした。
しかし、隠れさせてくれと言ってもそんな場所はない。
「私職員室出た窓あたりにいるんで、もし来たら誤魔化してください」
「……分かった」
特に断る理由もないので引き受ける。湊は烏間の了承を聞いて胸を撫でおろし、窓を開けて下り、そのまま隠れた。
するとすぐにカルマが職員室へやってきた。
「先生、湊来てない?」
「いないぞ。もう帰ったんじゃないか?」
「フーン。ならそれでいいんだけどさ」
烏間の答えに怪しいなどとは言わず、カルマは大人しくドアを閉めて戻っていった。窓へ背を向けたまま烏間は言う。
「行ったぞ」
「いや、もしかしたらすぐ戻るかもしれないのでもう少しお願いします」
「……分かった」
烏間は分からないが、この年頃の子供は恋人ができたら嬉しがっていいものではないのか。湊はというと、嫌がっている素振りしか見たことがない。言葉ほど邪険にしてはいないものの、本当に付き合っているのかと何故か心配になる。
「君は赤羽業が嫌いなのか?恋人同士だろう」
外にはすぐには答えなかった。その間は言葉を探しているようにも、恥ずかしがっているようにも思えた。
「……好き、ですけど。それとこれって違うと思いませんか」
「そうか」
恋愛経験に疎い烏間には何ともアドバイスできない。イリーナあたりにでもすれば賛同でもするのかもしれない。
「べったべたなのは友達でも彼氏でも好きじゃないんですよ」
「君はそうだろうな」
普段はクラスメートと話すことは少なく、基本は一人かカルマといる。少なくとも烏間が体育の授業で見かける場合はそうだった。
「烏間先生は恋愛経験あるんですか?」
「なんだ、突然…」
「いいえ、少し気になるだけです」
そこは年頃の娘らしく恋愛には少なからず興味はあるらしい。カルマと付き合う以前はうっとうしいと言っていたから、いや今もだったが、関心はないのかと思っていた。烏間は軽くため息をついた。
「ある、と言ったらどうするんだ」
「詳しく聞きたいとは思いますね」
「不問にしてくれ」
「じゃあそうします」
湊がふふっと声を漏らした。書類を整理しながら烏間は話題を変えるように尋ねる。
「君は彼が好きなんだろう。もう少し素直になったらどうだ」
他人の、しかも生徒の恋愛に口出しするつもりはない。ない、が。あれではあまりにカルマが不憫ではないか。同じ男として、性格は真逆でこそあれ烏間は哀れんでしまう。
「……烏間先生。そう簡単に素直になれたら、人間すれ違いとか起きないわけですよ」
草の踏まれる音と髪がこすれる音が耳に入る。普段と変わらぬぶっきらぼうな声音は、今少しだけ違って聞こえた。
「そうか」
烏間は弧を描いた。もう何も言えることはない。そろそろ帰らせようと口を開いた。
――――がらり。再び職員室のドアが開かれる。顔を上げた烏間の瞳の先には、赤い髪が真っ先に映った。
「聞いちゃった」
にいっと三日月のようにひかれた唇と妖しく光る目。それはそれは嬉しそうなカルマだった。
風の音が後ろでした。カルマはそれを追いかけるように烏間を無視して窓から職員室を出ていく。
「待ちなよ湊!」
「絶対やだね!」
「湊のデレもっと聞きたい!」
「てめーに見せるデレなんぞねえ!!」
窓に身を乗り出して二人の背を見つめる。烏間は自然と、湊の赤く染まった顔とカルマの無邪気な笑顔がまぶたに映った。仲の良い会話も遠ざかっていく。肩をすくめ、報告書をまとめ始めることにした。
レント(憂うつに、そしてやさしく)
30万打企画より。本当にありがとうございました!上手く内容に沿えているといいのですが。ちょっと冒頭前の奴と被ってますけど、許してやってください。
カルマ君は実はずっといたよっていうオチです。
タイトルはドビュッシーより。烏間先生の心情。憂鬱といえばそうだけれど、優しく見守る感じで。