湊は本を読むのが好きだった。かといって漫画に金を費やす湊が高いハードカバーなど購入するわけがなく、大概図書館で借りてくるのだ。幸い図書館は自転車で行けばすぐなのでよく行っていた。
図書館といえばテスト前浅野に詰め寄られた場でもある。その後何となく行く気になれなかったが、暇なので久々に来た。
夏休みだし、いるわけないでしょ。そう考え気楽に入って五分後。
「やあ、黒瀬さん。会いたかったよ」
おそらく湊の中で一番会いたくない人物が学習机で勉強していた。
はい、見事にフラグ成立でしたねありがとうございます、五分前の自分しね!楽観的に考えすぎた自分を呪う。
見つけたときは回避できると思ったが、そう簡単にはいかないらしい。Uターンしようとしたら先回りされてしまった。
「ひ、久しぶり…だね?」
「テスト返却以来だからね」
湊ができていない愛想笑いを浮かべていても、浅野は嬉しそうに目尻を下げている。
「ここじゃ話しにくいから、場所変えようか」
「で、でも浅野君勉強してるんでしょ?邪魔しちゃ悪いし、私は…」
「いいよ別に。ちょうど休憩しようと思ってたとこなんだ」
そこそこ口が回る湊も浅野相手には勝てない。打開策も思いつかないので浅野に従うしかなかった。
二人は図書館の中にある休憩スペースへ移動する。昼前なのもあって、湊には不幸なことに誰もいない。ひとつのテーブルに向かい合うよう座った。何を話せばいいのやらと焦っていると、浅野が話題を出した。
「黒瀬さんはもう宿題終わらせたの?」
「あ、うん。大体。浅野君は…終わってるか」
「僕も大体かな。自由研究はまだなんだ」
「ああ、自由研究私もやってない。そろそろ手つけないと」
「手伝ってあげようか?」
「え、いや、いいよ…悪いし」
もうこれ以上接触したくないし。心の中で付け足す。浅野に悪いと考えているのも事実だが、そちらの方が半分を占めていた。
「そう。本当に困ったら言ってよ。手伝ってあげる」
二重の意味で断ると案外あっさりと引き下がった。が、すぐに笑顔でとんでもないことを言ってきた。
「そうだ、黒瀬さん。メアド交換しない?」
「え?」
「そうしたらすぐ言えるでしょ。赤羽より詳しく教えてあげられるし」
湊はこういう場面で上手くかわす術を持っていない。元々人付き合いが苦手なコミュ障なのである。人の扱いに長けた浅野からなどもってのほか。大人しくスマートフォンを出すしかなかった。
「気軽に聞いていいから」
「う、うん…ありがと、浅野君」
好意自体は嬉しいが全くありがたくない。湊はちゃんと笑えているか不安だった。浅野のメアドなんて他の女子からしたら羨ましいことこの上ないだろうが、湊には悪魔との通信手段を持ってしまったように思えた。
「……ねえ、黒瀬さん」
「な、何?」
背筋が少し寒くなってきた。今度は何を言い出すのかとひやひやする。
「僕のこと学秀って呼んでみて」
予想外のことを言われて湊は戸惑った。どんな意図で呼ばせようとしてるのかも見当がつかない。浅野を覗き込んでみても、早く言ってくれと期待のまなざしを向けてくる。ここで言わないと何をされるか分からない湊は口にするしかなかった。
「が、学秀…君?」
首を傾げて浅野の名前を呼ぶ。一瞬見えた表情は少々不満げだったが、浅野はすぐ微笑んだ。
「何かな、湊」
………今、湊つった?この腹黒イケメン。突然の展開に湊は思考が追いつかない。そんな湊を見て浅野が続ける。
「名前で呼んだらより親密になれると思わない、湊?」
私は君と仲良くなるのノーセンキューなんだけどな。声には出さず返す。
そもそも湊が名前で呼ぶ男子など、恋人のカルマとクラス全員が名前で呼ぶ渚くらいだ。慣れない湊は違和感を覚える。
「あ、あさ「学秀」
再び名字で返事をしようとすると力強く否定された。これは今後も名前で呼ばないと何かやられる…。ここはもう逃げよう。そう思った湊は立ち上がる。
「が、学秀君。私そろそろ…」
「俺とデートだもんね?」
ここにはいないはずの赤髪の少年の声がする。湊は目を丸くして、浅野は顔を歪ませて入口へ振り向いた。
「何湊浮気してんの?俺妬いちゃうよ?」
「ち、違うってば!」
「赤羽…」
この間カルマにも示した表向きの態度はない。カルマは気にせず二人へ近づく。
「ま、言い訳は後で聞くとして。浅野、湊を返してよ。E組の湊にまさか興味出たとかじゃないでしょ。接点もそんななかったみたいだし」
「好きだけど、悪いのかい?」
「――――は?」
あっさり肯定されたことにカルマは間抜けな声を出した。浅野はカルマを鼻で笑う。
「君と付き合っていようと関係ないね。奪って支配するまでだよ。……またね、湊」
毒を孕んだ笑みを湊に向け、浅野はそのまま去っていった。
湊がほっとしたのもつかの間、カルマはじとりと鋭い視線を向けてくる。
「湊に会いに行こうとして、律に聞いたら図書館だって言うから来たんだけど…どーゆーこと」
「え、ええっと…」
ここまできて隠すことはできない。湊は観念してこれまでを話した。浅野がを好きだったこと、トップではなかったら浅野と付き合っていたこと、メアドを交換したこと、名前で呼ぶよう言われてしまったこと。湊が話すたび、カルマの眉間の皺が増えいく。
「ふーん?俺に隠れてあいつと会ってたワケ?」
「わ、わざととかじゃないから!偶然だから!本当に!」
腑に落ちなさそうなカルマだったが、突然顔を明るくさせた。
「そうだ、湊からキスしてくれたらチャラにはならないけど、怒るのやめよっかな」
「は、はぁ!?」
「してくんなかったら俺イライラしたまま帰るよ」
カルマはにやにや笑い、向きを変えて歩き出す。
湊からしたくはない。経験もないのだから。かといって、このまま仲がこじれていくのは嫌だった。確かに話し込んでしまったこと湊はが悪い。だから、やるしかないのだ。
湊はカルマの服を引っ張った。カルマは待ち望んだように振り向いて、唇は弧を描いていた。
「しゃ、しゃがんで」
「ん」
「目もつむって!」
「えー。やだ…って言いたいけど、キスしてくんなさそうだからいいよ」
カルマが大人しく目を閉じた。本当黙ればかっこいいのに、と改めて思う。
それよりも早く、早く、人の来ないうちにやってしまわないと。羞恥心と葛藤している暇はない。
静かな空間で、何かが合わさった音が小さく響いた。
「………ほら!こ、これで満足!?」
顔どころか、体が熱い。自分から、しかも図書館でとか、恥ずかしいにもほどがある。湊はカルマを見ていられなくてそっぽを向いた。
「……ううん。全然足んない」
そう言ってカルマは急に湊の肩を掴んで無理矢理目を合わさせた。
「へ、ちょっ…!」
再び重なった唇の感触を感じ、湊はやけくそになって目を閉じた。
お待たせしました。カルマ君VS.学秀君、です。前までは学秀君が一方的にライバル視してましたが、そうはなくなりました。
ヤンデレ!!と期待した方はかなり申し訳ないですが、学秀君がヒロインとの連絡手段を手に入れたので許して下さい。あと名前呼び。メールとか電話を有効活用してこれから出ない場面でも出させたらいいなーと思います。
ちなみに学秀君も今回に限っては本当に偶然です。つまり…。
しかしこいつら本当図書館で何やってるんですかね?馬鹿なんじゃないですかね?
次は沖縄行ってしまうかもしれません。が、やはりぱぱっと終わりそうです。
タイトルはモーツァルトより。カルマ君学秀君両方にかけてます。