宿題の大半は片づけた。そろそろ羽を伸ばしてもいい頃だろう。夏休みに入って一週間と数日。湊は終わらせた課題の山を見て、満足そうに頷いた。
昼食のためにリビングへ降りれば、湊の母が冷やし中華を準備していた。
「できたよー。最近頑張ってるね、湊。嫌なことは先に済ますタイプだもんね」
「うん」
席につき、まずはトッピングされたきゅうりやハムを先に片づける。母と一緒に食べていると、思い出したように母は言った。
「そういえば、今日夏祭りみたいだよ」
「夏祭り?」
夏祭り。そうか、そんな行事が始まる頃か。他人事のように思っていたが、完食後、その考えは百八十度変わった。
『今日夏祭り行こ』
それだけ書かれた文面と、宿題を自力でやったという証明写真が添付されたメールによって。
確かに拡大するとカルマの字で終わらせてあった。湊はしばらくそのメールを見つめた。そして立ち上がって、もう一度下に降りて皿を洗う母へ尋ねた。
「ねえお母さん、浴衣ってあったっけ?」
正直人混みは嫌いだ。昔ほど夏祭りも好きじゃない。それでも行こうとする自分は相当おかしくなったのだ。しかも浴衣まで着ようとしている。
ここ数年夏祭りに行っていなかった娘がそう訊いてきたのだ。当然母は洗う手を止めていた。
「あるけど…お姉ちゃんのだけど。友達と行くの?」
「うん…まあ」
「湊にも一緒に夏祭り行くような友達ができたのねー。いつか彼氏とになるといいねえ」
その彼氏と行くんだけどね。乾いた笑いを漏らし、湊は母が出してきた浴衣を見た。濃い紫の生地に、牡丹や蝶が舞っている。かなり大人の柄のような気がした。
「ちょっと大人っぽいけど、まあ中三だしいいでしょ。下駄も出しとくね」
これの他にないのかと口を開く前に勝手に決められてしまった。別に嫌だというわけではない。似合うかどうかが心配なのだ。
不安になりながら、とりあえずカルマに返信だけはしておいた。
夕方、母に浴衣を着付けてもらった。
「うん、意外と似合うよ、湊」
玄関の姿見で確認してみる。……まあ、悪くはないかな。母の言葉を鵜呑みにするつもりはないが、湊自身そう思った。小銭が入った巾着袋も受け取り、下駄を履く。
「いってきまーす」
慣れない下駄に四苦八苦しつつ歩いていると、同じように浴衣を着たカルマが見えた。黒に白のドクロ模様で、あらゆる意味でカルマらしかった。
「湊久しぶりー」
「一週間ちょいでしょ。にしても、カルマ、何その柄」
「ん?いいでしょ。湊も浴衣着てくれたんだね」
カルマは品定めするように湊を舐め回す。値踏みされている湊としては、あまりじろじろと見ないでほしかった。唇を尖らせて湊はカルマを横目で見た。
「な、何…悪いの?」
「いや。半々で着てくれないかもって思ってたから」
「……」
一体カルマはどこまで湊の思考が分かっているのだろう。事実、なかったら着る気はなかった。
「似合ってるね。可愛い」
それはありきたりだけれど、湊には特別な言葉だった。夏祭りといえば浴衣というのもあるが、胸の奥底ではそのためだけに着たと言っても過言ではないのだ。目的をほぼ達成した湊は、そっぽを向いて髪を弄りながら言った。
「そ、そう」
嬉しい。やった。可愛いって言ってくれた。返事はそっけないものの、湊の心は嬉しさで溢れていた。カルマはといえば、湊の反応ににこにこしているだけだった。
夏祭りの会場まで行く途中から暗くなってきた。下駄でよたよたしている湊を、カルマは文句を言うことなく速度を合わせてくれる。
「手ェ繋ぐ?」
「いいよ、大丈夫だって」
「いいからいいから」
そう言ってカルマは湊の手を握った。湊が離そうとしてもさらに強くしてくる。遠い場所ではないから椚ヶ丘中の生徒もいそうで、湊は嫌なのだ。特にE組がいたらどんな顔をすればいいのか分からない。
そんな湊の気持ちを知ってか知らずか、カルマはそのまま離さない。諦めて放っておくことにした。
「お、千葉と速水さんじゃん」
E組の皆に会いませんように。そう心の中で唱えていた矢先だった。早速、E組で射撃成績がダントツの二人に会ってしまった。二人を視界に入れてから手を振り切ろうとするができない。虚しく片手で顔を覆った。
「カルマと黒瀬か。久しぶり。相変わらず熱いな」
「まーね。二人もデート?」
「違う。買い物の帰りに夏祭り寄ったら千葉が先にいただけ。……そうだ、黒瀬さん、なんか取ろうか?」
「え」
急に話を振られた湊はつい顔を隠すのをやめ、速水の方を向いた。分からなかったが、千葉と速水の手には賞品がたくさんある。
「ちょっと、そういうの俺がやるとこでしょ」
「うちらのが上手いから取れるよ。ねえ、千葉」
「俺に振るなよ」
「え、えーっと…じゃあ、あれ」
この場を鎮めようと、湊はとりあえずパッと見可愛いと思うものを指差した。猫のクッションである。
「あー、黒瀬さん好きそうだな」
「すいません、もう一回お願いします」
「もうこれっきりにしてくれ、嬢ちゃん」
金を渡す速水に、店主は苦虫をかみつぶしたような顔をしている。両手でも余るほど奪われていれば、そりゃあそうなるだろうと湊は店主に同情した。
速水が銃を握る。狙いを定め、引き金を引く。バン。あっけなく上段に設置されたクッションにコルクの弾が当たった。
「はい、黒瀬さん」
頭を抱える店主からクッションを受け取り、速水はすぐに湊へ渡した。
「あ、ありがとう、速水さん。かっこいいね!」
純粋に湊はそう思い、笑顔で礼を述べる。が、口角を上げるどころか、速水は眉間に皺を寄せた。そんな顔になっているのは、隣で面白くなさそうにしているカルマのせいだと察した。
「……湊、もういいでしょ。じゃあね、二人とも」
「あ、ちょっとカルマ」
再びカルマに手を掴まれて、湊はまともに千葉と速水へ別れも告げられず人混みの中に戻っていった。
「ほんとめんどくさいな、カルマは」
「仕方ないでしょ」
「なんか食べる?」
二人と別れた後、カルマは提案した。湊は頷いてある出店を指差した。黄色ののれんに茶色の文字でチョコバナナと書かれている。
「夏祭りって言ったらチョコバナナでしょ」
興奮して湊がカルマへ話す。予想の斜め上をいかれたカルマは、複雑な表情で湊に言った。
「リンゴアメじゃないの、普通?」
「食べるの時間かかるじゃん」
「そうだけどさあ。あ、おっちゃん、チョコバナナふたつ」
あいよ。カルマの注文を受けて、店主がその場で溶かしたチョコを塗りトッピングする。金を出そうと巾着袋を探っているうちに、カルマが代金を渡してしまっていた。
「カルマ?」
「いいよ、別に300円くらい。ほら、」
中学生の300円は大きいと思う。現に湊は、あと140円あれば単行本一冊買えると換算している。ここで300円を渡そうとしてもカルマは受け取らないだろう。素直に申し訳なく思い、湊は俯いた。
「……ごめん。ありがと、カルマ」
「いいっていいって。湊から素直にお礼貰えたし、いてっ!」
こういう余計なことを言うから、素直になれないんだよ、バカルマ。蹴り上げられた場所を押さえるカルマに、チョコバナナを食べながら心の中でぼやいた。
その後、二人で色々と食べたり遊んだりして回った。花火も打ち上げられるというこの夏祭り。当然カルマも話題に出してきた。
「そろそろ花火見ようか」
湊は花火が好きではなかった。綺麗だけれど音と火薬の臭いが嫌なのだ。だが、そんなことを言える湊ではなかった。
小さい頃に見たきりなので嫌な記憶だけが受け継がれているだけかもしれない。それに、別にカルマと見る花火ならいいかなと思ってしまっている湊がいる。大分重症になってきたのではと思う。
「場所大丈夫?」
花火は河川敷まで行かないと見れないはずだ。そろそろ周囲の人も少なくなってきているため、そちらに向かっているのではと湊は心配する。湊の不安を消すようにカルマが笑みを浮かべた。
「大丈夫大丈夫。いいとこあるから」
そう言われて湊がカルマに連れてこられた場所は、河川敷とは全く違う方向の場所だった。椚ヶ丘中学校、旧校舎である。
「こんなとこ見れんの?」
「見れる見れる」
ほら、と手を差し伸べられる。湊が首を傾げていれば、
「上るから、早く」
「へ!?」
顔をしかめた湊を無視して屋根へ上っていく。浴衣だし下駄だしで、湊は上りづらいことこの上ない。上手くカルマがアシストしてくれたおかげでどうにか上りきった。
呼吸を整えていると、後ろで大きな音がした。花火が打ち上げられ始めたのだ。向き直って夜空を見る。次々と花が咲いていく。音は大きいが、それほど不快でもない。火薬臭さは遠いからかあまりしない。ただ純粋に光の花を楽しんでいた。
「わぁ…」
「綺麗だね」
「うん」
「また来よう。来年」
来年。修学旅行のときにも、そんなことを言っていたのを湊は思い出す。来年。地球は残っているだろうか。殺せんせーの暗殺は成功するのだろうか。むしろ、カルマはまだ湊のことを好きでいてくれるだろうか。何も分からないけれど、湊は修学旅行のときとは違う返答をした。
「……うん」
ただのいちゃいちゃ回でした。原作で島の後に夏祭り回あったら爆笑物ですね!珍しくヒロインあまり口悪くないですね。
本当は前原君も出てくる予定でした。ごめん、前原君!速水さんと千葉君は出したかったんです。好きなので。
次はまた学秀君の出番です。早い。カルマ君VS.学秀君再びということで楽しみ(?)にしていただけたらなあと。
タイトルはメンデルスゾーンより。まんまですね。