穏やかな波の音がする。潮風が凪いだと思えば髪をさらう。空はカモメが飛び交い、爽やかな青が広がっていた。
「海だ!」
階段を駆け下りて砂浜へ一直線。カルマはゆっくりとその後を追う。歩を進めるたび足元に砂がまとわりついていく。
「この時期は人いないね」
「そりゃそうでしょ。7月上旬になったら来るんじゃない?」
「そっか。よし、足だけ浴びよ」
湊が靴と靴下を脱いで海へ向かう。それをカルマは微笑みを浮かべながら見守る。
「ワンピース濡れるよー?」
今回湊の服装は、前回より女の子らしかった。ギンガムチェックのワンピースにパンツ、腰には細めの茶色いベルト。靴はいわゆるおじ靴である。
カルマが褒めると、「料理教えてくれる人がくれた」と言った。イリーナといい、彼女は年上女性キラーなのだろうかとカルマは思った。
「大丈夫だって。すぐ近くだし…」
そう言った途端、急に大きな波が湊を襲う。
「うぎゃーっ!」
「ほら、だから言ったじゃん」
けらけらと笑って湊へ近づく。ギリギリで洋服は濡れていないようだった。顔をしかめた湊が、すぐにまた海へ繰り出した。
「こう海歩いてるとさぁ、手ぇ伸ばして歌いたくならない?」
「ならないけど」
「あんたって情緒ないよねー」
「俺、国語あんま好きじゃないし」
「一番楽しいじゃん、国語」
腕を伸ばしながらくるくると回る。それについていくカルマが言った。
「じゃあ歌ってよ。歌いたいんでしょ?」
「嫌だっつーの。恥ずいじゃん」
「湊の歌聞きたいなー」
カルマの発言に湊の顔が歪み、回転が止まる。カルマはにこにこ笑ったままだ。湊はぁ、とため息が反射的にこぼれた湊。根気強い方ではもともとなかったが、以前ならもっと強く拒否していたはずなのに。自身そう思う。短い間で一気に籠城を崩されたような、そんな気がする。
「……一回だけね」
もう一度軽くため息をついて、息を吸う。そして歌い出した。ひたすらにただ優しく、美しい歌声が辺りに響いていく。同時に聞こえるさざ波との相乗効果、それから湊ということもあって、カルマは余計に綺麗に聴こえた。歌い終えると、賞賛の拍手が送られる。
「上手いじゃん。そこらへんのアーティストなんかより」
「そう、かな…人並よりは、ちょっと自信あるけど。教えてもらったし」
「なんて曲?」
「鳥の詩。あ、詩は歌人じゃなくて、詩人の方ね」
「へー。……腹へったし、この弁当食わない?」
手にしていた風呂敷をかざす。今日待ち合わせたときに渡され(湊としては奪われ)た弁当だ。
「もう食べんの?いいけど…どこで?」
「少し歩いたとこで公園あったから、そこで食べよう」
二人は海を後にする。もちろん湊はタオルで足を拭くのを忘れずに。
カルマの言う通り、すぐ近くにそこそこの大きさの公園があった。ちらほら家族連れとカップルがいる。和やかな空気に湊は少し居心地の悪さを感じながら、噴水の前に腰かける。
「どんな弁当かなっと」
カルマが結ばれた風呂敷をほどく。中身は重箱三段。なかなかの重さだったから予想はしていたが。
「…どんだけ食べるか分かんないし。適当に作った」
「適当?重箱が?」
「うっさい」
頬を膨らませそうな湊をにやにや笑いながら見て、蓋を開ける。適当と言うにはふさわしくない、色鮮やかな料理が綺麗に敷き詰められていた。いくら料理ができる中三女子といえど、ここまでのクオリティは出せないだろう。カルマは素直に感嘆した。
「すごいじゃん。うまそう」
「頑張って作ったしね!まずいとか言ったら噴水に落とす」
「結局俺のために頑張ってくれたんだ?」
「だーかーら、違うわボケっ!」
湊の罵倒をものともせず用意された箸で料理をつまむ。湊はその様子を、祈るように握りながら見つめる。飲み込む。途端、カルマに笑みがこぼれる。
「うん、うまい。やっぱ料理上手いね、湊」
賛辞の言葉を貰い、またそっぽを向く。自らも弁当に手をつけて誤魔化した。そんな彼女を眺めつつ、カルマもまた別の料理へと箸を伸ばした。
日が暮れてきた。いつも通り、カルマが湊を家まで送る。家付近になると、くるりと回転してカルマへ言う。
「……ありがと。その、楽しかった」
「そっか。よかった。俺も湊見てて楽しかったよ」
純度100%の笑顔。邪気のない笑みに、湊がバツが悪そうに頬をかく。
そこで夜風が吹いた。梅雨が明けたとはいえ、まだ少しだけ肌寒い。
「湊」
カルマの赤い瞳が湊を射抜く。名前を呼ばれただけなのに、何故か体が震えた。声が酷く優しく、甘い。心臓がうるさい。俯きたくても目をそらせられない。
「好きだよ」
「大好きだよ」
「愛してる」
「――――だから、俺と付き合って」
赤い少年はまっすぐに好意を向けて、まっすぐに彼女を見据えて、まっすぐに愛を伝える。
好きだ好きだと言われてきたが、ここまで真剣で愛に溢れた『好き』は初めてだった。顔が赤くなる暇もない。ただその言葉に胸を打たれるだけ。毒のある笑みはなく、少年らしい顔つきのカルマをただ見つめ返す。
今まで冗談だろうと逃げてきた。これ以上逃げたら、彼に失礼だ。湊はそう思った。
初めてしたデートでアザラシのストラップをくれたり。修学旅行のとき本気で心配してくれたり。文房具屋では元友達を負かしてくれたり。マッハ移動の際は安心させるために手を握ってくれたり。今日のデートだってのことを優先的にしてくれていたり。
湊だって、カルマのことで頭を悩ませたり、ときめいたり、心配したりする。
ああ、そうだ。認めたくないだけだ。知っているのに、もうとっくに分かっていたのに。彼へ、言わなければいけないことがある。
だが、くだらない意地っ張りが邪魔してすぐに声帯が言葉を形作らない。カルマは必死な湊を微笑みながら待っている。答えは知っているというように。
そして湊が返せる限りの思いを口にする。
「わた…しも、す…き、だ…よ」
途切れ途切れに出たその答えは拙い。それでもカルマは満足そうに笑った。それから距離を縮めて、縮めて。
「ごめん。我慢できなかった」
すぐにそれは終わったが、感触は妙に唇に残っている。人生初のキスは、よく分らぬまま終わってしまった。告白、からのキス。突然の出来事に湊は硬直したままだ。
「あ、固まってる。かーわい」
「うっ……さい!バカルマ!」
けらけらと笑うカルマをもう一度見て、顔が完全にリンゴ状態の湊は母親が言っていたことを思い出す。
――――人を好きになるのは素敵なことなんだよ。
恋を知らぬ少女は、少年に強引に恋へと落とされたのだ。
はい!!連載始めてから13話、ようやくくっつきました!正直最初っから一年以内どころか7月くらいで付き合うやろと見切り発車ながら思ってました。いい加減にしろよてめーって感じだったと思います。私も思います。
くっついてはしまいましたが、連載は終わらないんじゃ。終わると思ったそこの貴女、残念でした!これからはBAR-カップルとしてE組メンツと微妙に絡みつつ末永く爆発させたいです。くっついてからが本番だと思いたいです。
では、これからも精神をよろしくお願いします!
タイトルはプロコフィエフより。バレエで使う曲(らしい)です。
13/5/24 section1 END.