六月。梅雨の季節。湊は雨が嫌いだ。濡れるし歩くと汚れるしで、いいことがない。長く続けば陰鬱な気分にもなる。かといって過ぎ去れば夏。暑いのも嫌だ。湿った空気の中で一人、ため息をついた。
「湊、またねー」
「うん、またね」
クラスメートと別れの言葉を交わして、湊も傘を広げる。爽やかな空色に白い水玉模様のありふれた傘。その上を無地の紺が重なった。
「一緒に帰ろ」
湊は軽い調子で出される声の主をじろりと睨んだ。紺と正反対の赤い髪が見える。言わずもがな、カルマである。
「方向違うじゃん、あんたと私」
「送っていってあげるよ」
「私買いたいものがあるんだけど」
「じゃあ付き合うからさ。行こう」
「……」
ここ数ヶ月でカルマの行動にも慣れ、もう口論するのも面倒になってきた湊は無言になる。このつかめない少年は何を言ってもついてくるだろう。精神を削る羽目になるのも馬鹿らしい。
「好きにすれば」
「そうさせてもらおうかな」
カルマはまるで湊の答えを予測していたように、満足げに笑った。二人並んで校舎を出ていくと、後ろからはやし立てる声が聞こえた気がした。湊は無視を決め込んだ。
別に今日じゃなくてもいいのだが、というかむしろ今日は直帰するつもりだったのだが、カルマに言ったせいで店が並ぶ方面へ向かわねばならなくなった。あたりにはちらほら椚ヶ丘中学校の制服が見える。あまり関わりたくない。相手もよっぽど人格破綻者じゃない限り、話しかけてはこないだろう。
「何買うの?」
「ファイル。プリントとかはさめなくなってきたし」
「ふーん」
店内を物色していく。目的のものを手に取ってレジへ向かおうとしたときだった。
「あ、」
視界の端に、『彼女ら』がいる。つい息を飲んだ。
「誰?」
足を止めたを不審に思ったカルマが尋ねる。認めたくはないが、おかげでようやく視線を離せた。
「……友達『だった』子たち」
「ふぅん」
さして興味はないのか、相槌を適当に打っただけだった。彼女たちの声が耳に入る。聞き慣れたはずの声が、今はひどく遠い。早く買って帰ろう。湊が顔を上げた途端、一人と目が合った。すぐにお互いそらした。同時には早足でレジへ駆ける。
「ねえ、あの子赤羽君と一緒だよ」
「やっぱE組同士気が合うのかもね」
「でもあの子男子とどっかでかけるような子だったっけ?」
「そこは色仕掛けでしょ」
「あの子が?ないわー。そんな可愛くないじゃん」
あはははは。悪意だらけの会話を隠そうともせずに喋っている。痛んだ胸を誤魔化すように、ファイルを握って金を払う。品物を受け取って、すぐ後ろで待っていたはずのカルマへ振り返ろうとした。が、彼はいなかった。どこかに行ったのか、帰ったのか。湊は店内を探そうとしたが、その必要はなかった。
「少なくとも、俺はこんなとこで堂々と陰口になってない陰口言ってる君らよりは可愛いと思うけど」
「あ、赤羽君…」
すぐそばで、元友達を射殺すように睨みつけていたからだ。口元は弧を描いているものの、赤い目は細められ、静かな怒りが映っている。ただでさえ悪い意味で有名なカルマである。彼女たちは怯えて身を縮めた。
「もしかして男と出かけたことないから、ひがんでんの?でもその性格だとしばらくは無理なんじゃない?」
「赤羽!」
声を少し張り上げてカルマを呼ぶ。彼は拍子ぬけしたようにこちらを見た。
「湊」
「行こ」
さっさと外に出て、傘を差す。追いついたカルマが口を開いた。
「ねえ、なんで止めたの」
「お店の人に迷惑でしょ」
「それだけ?」
「元だけど、友達だし」
「ふぅん。甘いね」
甘い、のだろうか。いつもの、他クラスのE組への対応と変わらない。ただ違うのは、友達『だった』子たちというだけで。気まずかったし傷ついたが、心は軽かった。理由は分かっている。横目でカルマを見てから、また視線を水たまりができているアスファルトへ下ろした。
「あのさ、赤羽」
「うん?」
「赤羽があの子たちに言って、すっきりしたんだ。あと…ちょっと、嬉しかった。その、ありがと」
感謝の言葉を述べるのがこんなに大変で恥ずかしいとは思わなかった。相手がカルマだからなのだろうが。小さな声になってしまったが、聞こえたろうか。
隣を見れば間抜けな顔をしているカルマがいた。珍しい。ポーカーフェイスが売りのよく分らない奴だとばかり。湊はつい吹き出してしまったが、すぐに目を吊り上げる。
「何、その顔!」
「いや、うん。何でもない」
「何よそれ」
「ま、俺の好きでやったことだし。どういたしまして、かな」
次にそうだ、と何か閃いたらしいカルマがへ言う。
「じゃあ俺、相合傘したい」
「はぁ?」
何を言うのかこいつは。じゃあって接続詞はおかしいだろ。わけわからない。怪訝な顔をする湊へにこにこと告げる。
「お礼がほしい」
「好きでやったことって言ったじゃん!」
「湊はケチだなー」
ブーイングがくる。なかったことにしても構わないだろう。構わないはず、なのだが。
「……ちょっとだけだかんね」
何を血迷ったのか、承諾してしまった。言った瞬間後悔する。今はいないとはいえ、椚ヶ丘の生徒が見かけてしまうかもしれない。ましてやE組の生徒に見られたら、明日から登校拒否する。
「湊、傘貸して」
湊の返事に笑みを浮かべ、カルマはさっさと傘を閉じてしまっていた。嘘という暇もなく傘を奪われる。
「やっぱ湊、小さいね」
「うっせー!156はちっさくない!あんたは男子だし!つーか、カエデとか奥田さんは私より小さいでしょ!」
「それ二人に失礼じゃない?」
「あんたは私に失礼って思わんのか!」
湊は思った。さっき胸が高鳴ったのは、気のせいなのだと。そうに違いない。
今回はオリジナルなのです。前原君回のときとでも思ってください。見られたかどうかは皆さんにお任せします。
156と175、19センチ差。理想とは4センチほど離れてますが、これはこれでいいんじゃないかなーなんて。
タイトルは有名なショパンの曲より。プレリュードは前奏曲という意味です。