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極彩色の光に包まれて

空が青く澄んでいる。暗雲がたち込める様子も、モンスターの大群が出現し人を襲う気配もない。牙王が勝ったようだ。ロウガは雲ひとつない晴天を瞳に映した。

ロウガの決断はキョウヤの計画を邪魔し、友を裏切る結果になってしまった。キョウヤの思想は尊い。ロウガもそうであればと思う心はある。
しかし、その救う方法は明らかに間違っている。ロウガは友が救うために滅ぼすなどという恐ろしい考えを改めさせる。たとえ時間がかかったとしても。ロウガは拳を握る。

「ロウガ」

「ああ」

今はひとまずこれからのことを考えなければならない。頭の回転が早いキョウヤのことだ。どうせひとつ計画が潰れようともいくつか代替案があるに違いない。キョウヤの情報も集めつつ、これからの生活のことも視野に入れる。

「ロウガ」

「何だ」

「湊に会わなくていいのか?」

「……何故だ」

「お前、湊のこと好きだろ」

そうでなければありえないとばかりの口調。断定したケルベロスは違うのかと疑いの眼差しを向けている。その「好き」がどういった意味のものであるか、さすがにロウガにだって分かる。

キョウヤに付き合って様々な作品を読んだり見たりしたことがある。その中には男女の恋愛が絡んでくるものも数多くあった。キョウヤはそれらを興味深そうに見ていたが、ロウガには全くもって理解のできない感情だった。女に縋るのは弱い男のすることだと、馬鹿にすらしていた。

だから以前ならここでありえんと笑っていた。だが、今はそう指摘されようと、怒りも恥ずかしさも照れもない。むしろああそうだとケルベロスの言葉が胸にすとんと落ちていく。

バディファイトが強いわけでもないのに、どうして黒瀬湊という少女の名を覚えていたのか。何度も教会に通ってしまっていたのか。墓参りに付き合ってやったのか。友の言葉に深く傷ついて彼女の元にやって来たのか。
お節介をしながらも無理矢理距離は詰めないところに。
おそらく自分と似た悲哀と飢えた欲望に。
出会ってから想像もつかなかった穏やかで甘い微笑みに。
心地よい沈黙に。握ってくれた手のあたたかさに。
すべて、惹かれたのだ。

「……少し寄るところができた。行くぞ、ケルベロス」

「おう」

ケルベロスはぶっきらぼうに言った相棒へ、無邪気な少年のように笑った。



未門牙王があの臥炎キョウヤに勝った。湊はそう何時間も繰り返し報道するテレビを消して、ソファへしなだれかかった。

時計の針は五時を回っている。ロウガは昨日ダチを止めると言ったきり湊の元には来ていない。昨日今日の話なのだから当然だ。それでもあれからひどく長い年月が経っている気分だった。

湊は家を出て、夕暮れの聖堂に入る。その空間に音はない。光に音が吸い込まれてしまっているようだ。ステンドグラスは夜と変わらず、きらめきに当たって光りながら踊っている。それに導かれて椅子に座った。

ロウガはどうしたろう。どこに行ってしまったのか。紺の瞳を様々な色に反映させがら考える。
答えの出ない問いに湊は膝を抱きかかえた。もう一度くらい顔を見せてくれてもいいはずだ。きっと暗躍していたのだろうから、無事なのかどうかくらいは知りたかった。
そして、カルラの言葉を頭の中で反芻する。

――――それはね、ご主人。ご主人が、彼を好きだからだよ。

荒神ロウガのことを好きだと気付いてからひどくそわそわするし、心臓が他人のものになってしまったかのようにざわめいている。

自分を助けて拾ってくれた神父だって、家族同然のアガレスやカルラだって好きだ。しかしその「好き」はあまりにも種類が違った。ロウガの名前を口にしてみただけで、顔を思い浮かべるだけで、少ないけれどきちんと交わした言葉を呟くだけで、こんなにも体が熱を持つのだから。不愉快な熱でも痛みでもない。きっと今まで感じたことがないから慣れないだけだ。
一度意識してしまったら、たてがみのような銀の髪も、ぎらついて力のある深い青の目も、湊よりずっと広い背も大きい手も低い声も、全部好きだと感じてしまう。馬鹿になってしまった気さえする。

だって嬉しかったのだ。名前を呼んでくれたことも、墓参りのときにそばにいてくれたことも、傷ついたときまっすぐに湊の元へ来てくれたことも。泣くのはやめよう。泣いたって誰かが助けてくれるわけじゃないから。小さな頃からずっと固く胸に秘めていたその決意が揺らぐくらいに。

ロウガに今すぐ会いたかった。目の奥がじんわり熱くなる。ふとした拍子に何かがこぼれてしまいそうだった。


「湊」


聞きたかった声が、聖堂に響いた。それに応えるようゆっくりと振り向く。初めて出会ってファイトしたときと変わらぬ不愛想さ。でも出会ったときよりずっと精悍な顔つき。

「ここにいたのか」

「……ロウガ」

ようやく出た声は震えていた。本当に、ロウガだ。何故か湊は幽霊でも見ている気分だった。自分の元に来てくれる確証などどこにもなかったから。
ロウガは聖堂に足を踏み入れ、湊との距離を縮める。

「お前に言わねばならんことがある」

淡々と、だがどこか気まずそうにロウガは言う。

湊の体温が一気に下がった。別れを告げられる。やはりロウガはどこか行ってしまうのだ。幼い頃、家族が唐突にいなくなったときと同じだ。また大事なものを失ってしまう。確信を持った瞬間、心臓が脈打つ音がやけに大きく聞こえた。

さよならなど聞きたくなかった。離別を受け入れてしまえばもう二度と少年は教会にやって来ないだろう。湊は耳を塞いでしまいそうになるのを必死でこらえる。

「……何?」

今、自分は何も知らないふりをできているだろうか。心の慟哭は止むことを知らずに悲しみを訴えている。せめて隣にまで来たロウガと目を合わせようと、凍り付いた足を奮い立たせて立ち上がる。

笑みを取り繕う湊に対して、ロウガは迷いのない真剣な目だった。まっすぐ見つめてくるロウガの瞳に心が吸い込まれそうになる。襲いかかる恐怖、溢れる憂愁、抑えられない恋慕が混ざり、さらに湊の心の重心の置き場がなくなっていく。
一瞬か、一時間か。凛とした瞳を静かに見つめ返していると、薄い唇が開かれた。


「――――俺は、お前が好きだ」


激しさのこもった一途な声。それに嘘偽りや欺瞞は感じられない。少年の誠実さを認識して、湊の目からほろほろと喜びが落ちてきた。長年流すことのなかった涙は熱くとめどなくこぼれていく。
ロウガは目を見開いてさらに言葉をかける。

「お、おい、何故泣く」

湊は答えようとしたが、うまく音にできない。すべて涙にかき消されていく。
ロウガは音もなく泣く湊にうろたえている。手を差し出すが躊躇う。しかしそれをひっこめることもせずそのまま宙を漂わせた。しばらくして、ロウガの腕が湊をそっと包み込む。
湊を抱きしめる腕の力は弱く、まるで壊れ物のように扱われている。その優しさにまた涙が出る。あたたかい、と湊は思った。人の心のぬくもり。あのときと逆だ。

「……泣くな。お前が泣くと……俺も苦しい」

以前なら考えられないくらい優しい声音だった。それにまた胸が幸せでいっぱいになる。
ロウガとした話題は主にバディファイトかキョウヤか牙王のことだった。ロウガが興味のない話題を提供してもと考えて、湊は当たり障りなく会話を広げていたから。こいつの脳内はバディファイトと友人のことしかないんじゃないかと疑っていたほどだ。
そんなロウガが、湊のことを考えて苦しいなんて! 幸せが溢れて止まらない。一粒一粒がステンドグラス越しの夕陽にきらめいてロウガの服を濡らしていく。

「違う、よ。嬉しくて……泣いてるの」

悲しくて泣いているのではないのだと首を振る。潤んだ瞳のまま見上げた。ロウガの困惑する顔など見るのは初めてで、先ほどの真摯な表情と相まって可愛らしく思えてきた。


――――でも。湧き上がっていた喜びに、再び暗い滲みができあがっていく。
湊の悪い癖だ。いつも肯定的な、好意的な態度を取られたら、言葉を向けられたら、それらを自分で違うと上塗りしてしまう。だって、大抵湊に向けられるものは、良くないものばかりだったから。

湊は俯きながらロウガを軽く突き放す。自らの思いの丈を告げた少女に拒絶され、一瞬ロウガの瞳に失意が宿る。それもすぐに戸惑いに染まった。

「でも……私、ロウガが思ってるよりずっと嫌な女だよ」

一度口にしてしまえば、堰を切ったように今までずっと隠してきたどす黒い思いが言の葉になる。

「お金持ちの子も、ちゃんと家族がいる子も、幸せそうな子も、昔から大嫌いだった。ダンプカーに跳ねられちゃえばいいのにとか、家事で燃えちゃえばいいのにとかひどいこといっぱい思ってた」

湊の家は四人家族だった。少し頑固であまり愛想がない父親、優しいけれど怒ると怖い母親、何でも湊よりできた姉。ありふれた家族構成で、おそらく少しだけ裕福な、どこにでもいる家族だった。
そんな家族はあまりにも唐突に消えた。自分ばかりが不幸ではないし、むしろ戦争に巻き込まれ貧困に喘いでいる子供なんていっぱいいる。だが周りを見れば誰にだってあるものが湊にはもうない。だから妬まずにはいられなかった。不幸を願わずにはいられなかった。

「湊ちゃん、お母さんなんで来ないの?」

「あの子、お母さんいないんだって。かわいそう」

それがどんなに鋭い刃か知りもしないでクラスメートは湊に突き刺す。可哀想などとちっとも思ってないくせに。何かをしてくれるわけでもないくせに。優位に立っているからそんなことが言えるのだ。そんな攻撃をされるたびに、湊はどんどん明るい感情をなくしていった。

「それに、天才とかも大嫌いだった。私は家族もいなければ特別なものが何にもない平々凡々だから、家族だけじゃなくて才能も持ってる子たちが大嫌いだった」

そうだ。大抵の子にはいる家族がいないのなら、別のものを持てばいい。たとえば、知識とか。たとえば、運動神経とか。そう思ってクラスメートと遊ばずに勉強したし、アガレスやカルラに稽古してもらったり、その過程で料理という趣味を見つけたりもした。
そのせいで余計に友達をつくらなかったし、つくれなかった。それも、結局は「普通」の枠を超えないことにいつか気付いてしまった。誰だって努力すれば手に入るものだった。

でも、絶望してもやめることはできなかった。今までしてきたことは全て無駄だったと思いたくなかったから。醜い嫉妬だけが、黒瀬湊を生かす原動力だったから。

きっとアガレスやカルラ、神父は努力する理由を知っていただろう。指摘しない優しさに感謝すると同時に、湊は自分がひどく惨めに思えた。実際、その通りなのだけれど。

「ねえ、それでも私のこと好きって言ってくれる? ほら、こんな最低な女に言えないでしょ?」

ロウガを好きだと、恋だと気付かなかったのもそうだ。だってこんな私は誰も好きになってくれない。好きな人ができたって、どうせ男は可愛い女の子が好きなのだ。そんな真実は周りを観察していたら嫌でも思い知る。

湊の唇からこぼれる乾いた笑いが音の無い聖堂に響く。夜空からこぼれていた美しい雫は、すでに消えてしまった。

ロウガはヒステリックに叫んで自虐する湊をまっすぐ見つめている。瞳に嫌悪や軽蔑は見当たらない。少し間を置いて、ロウガがゆっくり言葉を紡ぐ。

「……俺も、満たされた暮らしをする奴らは好きではない。スラムにいたからな。子供はいつだって大人の、力のある者の食い物だった」

――――黙れ! 名前などというものにこだわるのは、貴様が満たされた暮らしをしているからだ!

警視総監の息子のファイトで、確かにロウガはそう言った。今かなり裕福な臥炎財閥にいようと、スラムにいたロウガは飢えに縁のない生活をする者に対する憎しみは変わらないようだ。子供の頃の環境は価値観や思想を植え付け固められ、自己を形成する。簡単に変わることはない。

「そうか。お前が持っていた欲望はそれか」

合点がいったようにロウガはふっと笑う。嫌味ではなく、愉快だと言いたげだ。

「何も欲望を持たない人間より、何かを強く渇望する人間の方がいいだろう。たとえそれがどんなに暗いものであろうとな」

ロウガの言葉に、止まったはずの涙が湊の頬をつたう。

誰にも話せなかったことを、ひた隠しにしなければと思っていたことを、少年はそれでもいいと頷いた。好きな人に肯定されることの喜びが胸に広がる。そんな奴だったのかと失望されてもおかしくなかったのに。

「それに……お前があのとき俺の手を握ったのは、偽善ではなかっただろう」

「当たり前でしょ」

声は弱々しいが、湊はすぐに答えた。あれが偽善だったのなら、湊の抱えている思いは、あれだけ自分はいらないと唾棄していた同情になってしまう。それだけは違う。同情を恋と勘違いしていたなんてあまりにも失礼だ。胸の高鳴りも、体の熱さも、全て違うなんて信じたくなかった。

ロウガが震える湊を再び抱きしめる。安心させるためか、先ほどよりも抱きしめる力は強い。

「俺は、湊が好きだ。……何度も言わせるな」

二度告げた言葉には照れが見える。だが、すぐに自虐する湊を信じさせようと必死であることははっきり伝わった。

好きな人に好きと言われた。汚いところも受け止めてくれた。もうこれだけされてしまったのなら、観念するしかない。
ロウガの真摯な思いに応えるために、湊は唇へありったけの愛を乗せた。


「――――あのね。私も、ロウガのことが好きだよ」


荒神ロウガという名は、彼の生まれたときからの名ではないと言っていた。友がつけた名前だと。それでも彼がその名を良しとするならば湊もその名を呼ぼう。その名に好きを込めよう。彼が、そうしてくれたように。

「そう、か」

ロウガは安堵したように息を吐いた。仏頂面はどこか穏やかだ。

湊はロウガの胸に体を預けながら顔を上げる。青の瞳を見つめて目を細めた。ありがとう。好き。それらを口にせずとも言いたくて。

ロウガが湊の頬に手を添えた。湊を見つめる瞳が、触れる手が熱い。全てを燃え尽くすような炎ではなくて、ひたすら甘いもの。
鼓動が速すぎて息が苦しい。見つめすぎて熱い。このまま死んでしまうのではないかと思うくらい、胸のときめきが抑えられない。
朱色に染まった頬と震える唇から、ロウガも余裕がないのだと分かって嬉しくなった。ロウガも湊と同じ気持ちなのだと。

ロウガの顔が湊へ近づいてくる。湊はゆっくりとまぶたを閉じる。一瞬だけ、少し硬い唇の感触がした。小説やドラマで言うレモンの味など微塵もしない。だが、それだけで幸福が湊の胸を満たす。

ロウガが湊から離れていく。ロウガはどこか名残惜しそうに目を伏せた。

「どこか、行くの?」

「キョウヤはまだ何か企んでる。それを探り出す」

「……そう」

固い意志をした目を見たら引き止められない。ついていくなんて勇気は湊には出ないし、何より邪魔になるだけだ。不器用で優しい少年は来るなと言うに決まっている。瞳を揺らす湊にロウガは続ける。

「すぐに帰る。だから待っていてくれ」

戻ると言わなかった。帰ると口にした。だから、湊はその言葉に頷くことができた。

「……うん。待ってるから。だから……早く、帰ってきてね」

「ああ。約束だ」

しっかりとロウガは答えた。もう湊に背を向けている。いくぶんか成長した広い背を、湊は追いかけることができない。

待つのは慣れている。耐えるのも慣れている。独りも、慣れている。この世から消えてしまったわけではない。帰ってくるとも強く約束してくれた。だから、生まれて初めて好きになった人を待ち続けようと誓った。

もう一度湊はステンドグラスを見た。夜の寂しい聖堂ばかり見つめていて気付かなかったけれど、夕暮れの教会もこんなに美しいんだなと、 三度目の涙を流しながら感じた。