「臥炎カップ? へえ、あれ出るんだ」
湊は皿を洗いながら言った。
臥炎カップ。臥炎財閥の総帥、キョウヤ主催のバディファイトの大会だ。キョウヤが選んだファイターたち三人一組で出場し、トーナメント方式で勝ち上がる。会場の中継やキョウヤのインタビューが連日テレビで流れているため、湊もそれくらいの知識は身についていた。
しかし、まさかロウガが出場するとは思っていなかった。ここ最近来たとしてもそんな話題はちっとも出さなかった。それにロウガが一緒に出ることを認めるファイターがいるとは思えなかったのだ。
「あんたファイト仲間? とかいたんだね」
「仲間……」
ロウガの顔が苦悩で歪んだ。では友達か。しかし、ロウガから友達なんて単語はキョウヤしか挙がったことがない。深く突っ込まない方がいいのだろう。湊は皿を置いた。
「いつからだっけ?」
「明後日だ」
「は? 明後日? あれチケットとかあったっけ?」
「……来るのか」
「え、うん……あんたが出るなら」
行く気満々だった湊はきょとんとしてしまう。ロウガが出るなら見てやろうと出た言葉だった。前はバディファイトの大会なんて全然興味なかったのに。あまりにも自然に出た言葉に湊自身も驚いている。
嫌なら行かないけど、と付け加えようとしてロウガが呟いた。
「……来るなら早めに来い」
「……うん」
何時に起きなきゃいけないんだろう。行く気なかったし、ホームページ見なきゃな。ぐるぐる思い巡らせる。
そこで気になった疑問をロウガに投げかけた。
「チームの人、どんな人なの?」
「ソフィア・サハロフと……よく分からん男だ」
「副会長? 何で?」
ロウガがソフィア副会長(今はもう転校してしまったらしいので元だが)と会話していたのを見たことがある。だから面識があるのは知っている。だが、チームを組むほどの仲には到底思えなかった。どうして。不可解に思うと同時に、胸に棘が刺さる。
湊の問いにロウガがすぐに返答する。
「キョウヤの命令だ」
「あ、そうなんだ」
ロウガが心底嫌そうな顔をしたため、あの人形のような美少女に特別な思い入れはないようだ。すぐに胸の棘がかき消えた。
キョウヤの命令。ということは、財閥からの参加枠なのか。ソフィアも金持ちのようだし、そういう繋がりなのだろう。湊は勝手に納得してロウガの前に座った。
「せっかくお金払って見に来てあげるんだから、簡単に負けないでよね」
「ふん。当たり前だろう」
ロウガはそう答えたものの、目は湊ではない遠くを見ているように見えた。そんなロウガを映す湊の瞳にも、影が落ちた。
臥炎カップの当日。早起きして何とかチケットを買えた湊は、観覧席に座った。しばらくすると主催者であるキョウヤの開戦演説が始まり、観客よりいっそう沸き上がる。あまりの熱狂っぷりについていけない。湊は自分と周囲のテンションの差に困惑する。
出場者にはロウガをワンターンキルした未門牙王や、中等部生徒会長の孫六などがいる。その他は天野鈴コンツェルンの一人娘と、ロウガが話していた戦国学園の名前以外聞いたことのあるようなないような人物だらけだ。
湊はロウガ以外の試合にあまり興味がない。知らない人物だらけなのだから当然である。観客が聞いたらなんで来たんだと睨まれるに違いない。
しかし、牙王が出ているなら話は別だ。湊は牙王がどんな少年なのか見極めるため、個性的な出場者たちの中でもひと際目立つ赤い髪の少年を観察していく。
未門牙王。学ランを連想させる服を着た少年のことを、実際に会ったわけでもないがいくつか情報を持っている。ロウガは墓参りに付き合ってくれた後も何度か家に来ており、その会話の中で牙王の名前が出た。人の名前をろくに覚えない傲慢な男が人名を出したので湊もよく覚えている。他に出した名前と言えば、兄弟であり友であるキョウヤ、バディポリスのタスクくらいだった。
牙王はバディファイトを始めて間もないこと。タスクのライバルであること。ロウガをワンターンキルしたこと。ロウガへ「ダチになりたい」と言ったこと。
――――未門牙王は俺のライバルだ。
ロウガはどこか楽しそうに言っていた。年相応の無邪気な少年みたいに。仏頂面でも不敵な笑みでも悲しい横顔でもなかった。ロウガにそんな顔をさせることができる少年が、太陽のように明るくまっすぐに笑う少年が。湊には少し羨ましく、そしてひたすらに眩しかった。
観戦していくうちに三試合目になった。ロウガのチームのファイトが始まる。
それにしてもチーム煉獄なんて誰がつけたのか。もっとマシな名前はなかったのか。湊はソフィアと戦国学園の生徒のファイトを見ながら、どうでもいいことで呆れていた。
財閥からの参加枠だとすると、キョウヤということになる。ひどいネーミングセンスだ。バルソレイユのような外国語ならもっとかっこいいだろうに。小学生にネーミングセンスで負けるってどうなんだ。それでもロウガが所属するチーム名なら合っている気がしてくるから不思議だ。ソフィアなら違和感しかないが。
あっさりと先鋒の試合が終わってしまい、ロウガの出番がやってきた。
大将をやりたがりそうな奴がよく引き受けたな。湊は目を丸くする。
「……ロウガ、怒ってる?」
唇からひとりごとが漏れた。ファイトを始まり、ロウガが当たり散らすかのように相手へ攻撃している。戦略はさすがにしっかりしているものの、焦燥と苛立ちがロウガの顔に浮かんでいる。心ここにあらずといった風でもある。
激昂しているロウガの姿に湊は唾を飲み、スカートを握った。
そして、もっと衝撃的な出来事が起こった。
カードの力が具現化されたのだ。観客席の一部が破壊され、会場は騒然となる。湊も突然のことに開いた口が塞がらない。
ざわめく客にキョウヤが悠然と説明する。これはディザスターフォースという力で、臥炎財閥で開発中のものである。これは、奇跡なのだと。威厳のある口調、堂々とした態度に観客は驚きながらも納得している。
それを使ってしまったロウガにキョウヤが声をかけた。
「ロウガ! もう二度と、奇跡を起こさないと誓えるね?」
「……ああ」
その声音は威圧たっぷりで、湊も首をすくめてしまいそうになる。お願いというより恐喝だった。とても兄弟や友達にかけるものではない。
試合を再開してもロウガの不自然なほどの焦りは直らない。その日は再びディザスターフォースを使ってしまったものの、チーム煉獄の勝利に収まった。
次のファイトが始まる。だが、湊はもう観戦する気にはなれなかった。どうかしたのかとロウガに問いただしたいが、いつものことでどうせ答えてくれない。会ってもくれないだろう。控え室に行く勇気も湊にはない。
湊は静かに席を離れ、熱冷めやらぬ会場を後にした。
世界を救うために世界を破滅に導く覚悟はあるか。ロウガは煉獄騎士、龍炎寺タスクを見据えた。
ロウガ自身は世界を救うことなどどうでもいい。あの地獄の日々から助けてくれたたった一人の友人を手伝うだけだ。ただその事の重大さはとてつもない。それをお前は分かっているのかと。煉獄騎士はロウガの厳しい問いに苦悩の表情で頷いた。
控え室の空気が重く張り詰めていく。そんな折にキョウヤが入ってくる。
「次のファイトは絶対に落とすわけにはいかない。必ず勝つんだ」
「そんなことを言いにわざわざやって来たのか。安心しろ。俺に敗北などありえない」
「もし負けたら、僕らの友情もこれまでだ」
「なっ……」
友人の冷たく無慈悲な言葉にロウガが動揺する。
ソフィアが負けてしまった今、ここでロウガが負けてしまえば計画は厳しいものになり、再び練り直しになってしまう。キョウヤの願いはまた遠いものになる。
だが、ロウガとキョウヤは長い間ずっと共に過ごしてきた友人であり兄弟だ。キョウヤが集めた「友達」、ディザスターの中でも一番の付き合い、一番の絆がある。そう自負できるだけの時間と友情がロウガにはあった。
それでも一度の失敗で捨てるなど、まるで――――。
――――貴方は王に捨てられることに怯えている。
そこでふと、正雪との会話が脳裏に浮かんだ。
違う。違う! キョウヤは俺にとっての王などではない。友だ。ロウガは正雪の言葉をかき消すようにコアガジェットを握る力を強めた。汗がじわり滲む。
「ふふ。冗談だよ」
キョウヤは笑って否定した。それにロウガも胸を撫で下ろす。
「そうだ、大将戦に備えて、君とも話しておこう」
キョウヤが煉獄騎士に指示していく。それを見ながら、ロウガは思案する。
キョウヤの計画が現実になれば、多くの人間に災いがふりかかる。顔も知らない奴らがどうなろうとロウガには知ったことではない。
だが、しかし、本当にそれでいいのか?
――――うん。いいの。ありがと。
揺れるロウガの頭に、一人の少女の顔がよぎった。
楽しそうでありながら、涙がこぼれ落ちてしまいそうなほど儚い笑み。先ほどまでそんな顔をしていた少女は唇をほころばせ、ロウガへ月のように優しく穏やかに微笑んだ。それを見てロウガは下の名を呼ばれたときのように激しい痛みに襲われ、顔もどこか熱くなった。それを悟られたくなくてそっぽを向いたのだった。
今でも鮮明にあのとろけた甘い微笑みを、あの胸に滾る熱を呼び起こせる。
そうだ。世界を混乱に落としてまっさらにすれば、それに少女も巻き込まれるのは当然だ。少女の苦しむ顔が、恐怖に染まる顔が容易に想像できる。そんなものは見たくはない。
しかし、友を裏切ることなどロウガにはとてもできない。
俺は、どうすればいい? 険しい表情で目を伏せるロウガを、キョウヤはじっと見つめていた。
臥炎カップ決勝戦はとんでもないことになった。都内の上空にダークネスドラゴンワールドのモンスターたちの出現、世界を救うと宣言したキョウヤ、そんな彼にバディファイトを挑んだ牙王。湊の脳の小さな容量ではとても処理しきれないことだらけだ。
いろんなことがあり、もう疲れてしまった。湊はため息をついて坂道を上る。最後まで会場にいたため、すっかり辺りは闇に包まれている。今の恰好では肌寒い。早く風呂に入って寝るに限る。
坂を上りきると、教会の門の前で誰かが佇んでいた。こんな時間に誰よ。訝しんで目を凝らせば、見覚えのある輝く銀髪。
「……ロウガ?」
ずっと心配していたロウガだった。戦国学園の生徒との試合も、禍津ジンという少年の試合も、警視総監の息子・如月斬夜との試合も、危なげながらも勝利していた。だがどれも焦りや迷いがあり、どうしたものかとその身を案じていた。
いつも広くて同い年の男子よりもずっと逞しく感じていた背中は、今ひどく小さく頼りない。声をかけると、ロウガがゆっくり振り向く。湊ははっと目を見張った。
生気のない顔。湊と違って自信に満ちた表情はどこにもない。雨の中、公園のベンチで浮かべた悲哀の表情とも違う。絶望の最中にいる顔。ずっと見つめていると、湊の胸の痛みが増していく。
「中、入りなよ」
理由は尋ねない。門を開けて、ロウガを中へ促した。ロウガは湊に黙ってついてくる。そのはずなのに、人の気配が感じられない。湊はロウガが本当にここにいるのかと何度も確認してしまう。
「何か飲む?」
家に入って椅子に座らせる。それでもロウガは無言のままだ。普段なら目くじらを立てるところだが、今は痛々しい表情のロウガへの憂いがますます増えるだけだった。湊も目の前の椅子に座る。
沈黙。毎度のことだ。ただロウガが今にも死にそうな表情をしていること以外は。
バディに慰められることは数あれど、誰かを慰める経験が湊にはなかった。湊がロウガにしてあげられることは何か。ロウガは何を欲しているのか。あまりにもロウガの情報が少なすぎて何も見当がつかない。
こんなときに料理なんて口に入らないだろうし、気休めの言葉も意味がない。悩んだ末に、湊の頭にひとつの案が浮かんだ。
「ねえ、ロウガ。見せたいものがあるんだ」
俯いていたロウガが顔を上げる。暗い瞳が少しだけ不思議そうに微笑む少女を見つめていた。湊はロウガの手を取り、ある場所へ向かう。ロウガは手を振り落とさなかった。
その場所のドアを開くと、月明かりに照らされてステンドグラスが湊たちを映した。
湊は嫌なことがあったり、落ち込んだり、悩んだりすると夜の聖堂に来る。冷たくも神秘的な空間は、独りきりの湊に寄り添ってくれているような気がしていたのだ。
ちょうど夜があたりを支配していた。ステンドグラスは見上げなくともはっきり教会中を明るくさせている。色とりどりの光はきらめき、まばゆいほどだった。それは夜空の星に負けない美しさを持っている。
「夜の聖堂、綺麗でしょ。私のお気に入りの場所なの」
湊はゆるやかに笑って長いチャーチチェアに座る。ロウガもそれに倣って腰を下ろした。
もうそれ以上湊はもロウガに声をかけなかった。
何があったの。当然無理矢理傷に塩を塗るようなことはしない。元気出してよ。そんなことを言われたって希望が湧いてこないことなど湊だって知っている。だから、そのまま傍にいた。
ロウガは相変わらず虚ろな表情で口を閉ざしている。しかし、そうして傷ついてやってきた先が湊だったのは、少年の中で湊の存在が大きいのかもしれない。ロウガが傷ついているというのに不謹慎なことを思う。自惚れかもしれない。それでもロウガがやってきたのは事実だ。湊の胸が熱くなる。
しばらく夢のように美しいステンドグラスを瞳に焼き付けていると、ロウガの唇が動いた。
「……キョウヤが」
「うん」
「俺のことを、友ではないと。ずっと前から思っていなかったと。そう、言ったんだ」
小さく掠れた声は、悲しみに溢れている。
小さな頃に拾われ、生活を共にしてきた少年から「君のことをずっと友達だなんて思ってなかった」、そう宣告されることは、一体どれほど苦しいことなのか。友達がいない湊には分からなかった。
分からないなりに想像してみる。あんなに一緒だったのに。自分はずっと信じていたのに。相手と自分の思いは平等ではなかった。自分の世界は相手そのものだったのに。世界から突き放されたような気がした。地獄に落とされ、一気に血が凍るような感覚が湊を襲う。ロウガは世界から一人きりにされのだ。それは涙も出ないほど、痛くて苦しい。
きっとロウガにとっては、地獄から救ってくれたキョウヤは神様でもあったのだろう。神様に捨てられたらどうしようもなくなるに決まっている。
湊はロウガの手にそっと触れる。女の湊よりずっと大きいのに、氷のようにひどく冷たい。軽く握る。手のひらや指から絶望や苦痛が伝染してしまいそうだ。温めるように、さらに強く握った。
大丈夫なんて曖昧なことは言わない。湊には何もできないから。ロウガとは友達でもなければ恋人でもない、名前のない関係である私はここにいると。寒いなら、いつまでもいてあげるからと、伝えたくて。
そんな関係のくせにどうしてここまでこいつに入れ込むのか。湊にも全く分からなかった。ただ、前々からあまり好ましくなかったキョウヤがひどく憎く感じた。
ロウガが湊の手を握り返す。力は弱い。だが、湊には握ってくれたことが嬉しかった。
それからまた時が進む。沈黙は苦痛じゃない。むしろずっといられるとすら思えた。
「湊」
悠久のような時間の中、突然、ロウガが先ほどよりはしゃんとした声で湊の名を呼んだ。
「……何?」
「……ありがとう」
ありがとう。今まで誰かから感謝されるなんて、誰とも関わってこなかった湊には神父やバディ以外にいなかった。ありがとうの響きに胸の奥がじんとする。
「どういたしまして」
それに応えるよう、できるだけ優しく笑ってみせる。ロウガがほんの少しだけ、穏やかに笑った、ような気がした。
ロウガが湊の手から離れる。
「俺は、俺のやり方でダチを救う。それが俺がキョウヤにできる唯一のことだ」
「そう」
キョウヤは世界を救うと言った。その決意は、意志は、きっと本物だ。だが、やり方が真っ当なものでないことはロウガを見て理解できた。ロウガはその企てを友達として止めるのだろう。湊の、知らないところで。
「湊」
「何?」
ロウガは湊をまっすぐに見つめている。闇が晴れた深い青の瞳は綺麗だ。それに湊の心臓がどくんと脈打った。
「いってくる」
「……うん。いってらっしゃい」
ここが彼の家でも何でもないのに、湊はそう口にしていた。
ロウガは湊に背を向けたまま聖堂から出て行く。その背中は、足取りは、門にいたときよりもしっかりしていた。
扉から入ってきた夜風が頬を撫でる。夜はこれからもっと冷える。家に戻らなければ。湊は聖堂の扉に鍵を掛けた。
家に戻りながら考える。どうして私のところに来てくれて嬉しく感じたのか。どうしてロウガの傍に居なきゃと思ったのか。どうしてキョウヤが憎く感じたのか。
「ご主人、お帰り〜」
悶々としていると、カルラの能天気な声と軽い口調で出迎えられる。人が悩んでいるときにこいつは。完全に八つ当たりなのだが、つい普段以上に冷たい目で睨んでしまう。それでもカルラは平然と、むしろ悦に入っているように見える。
「今日帰らないって言ってたじゃん」
「いやあ、予定が変わってね」
「あ、そ」
無視してキッチンに向かおうとしていた足を止める。
そういえば、腐っても青年の姿をしたこのバディは迦楼羅天。長生きしてる神様だ。たとえ普段軽薄に妖しく笑っていようとも、若者のように砕けた口調でも、湊に蔑まれたら興奮していようとも。長く生きている分、人ではない分、何もかも見透かしているような目を、発言をたまにする。
「ねえ」
「……何?」
湊の顔が真剣だったからか、カルラのうさんくさい表情が途端に落ち着いたものに変わる。
「あのさ。さっきロウガの奴といたんだけど。あいつ、友達とケンカして落ち込んでたの。それで私のところに来てくれてさ、すごく、嬉しかったんだ。それで、私、その友達が憎く思っちゃって。なんで、かな。……私、あいつの友達でも何でもないのに」
言葉にすると余計胸に深く突き刺さった。友達でも、何でもないのに。その通りなのに。
カルラはそんな湊に、澄んだ微笑みを浮かべながら、これまで聞いたことがないほど穏やかな声音で答えた。
「それはね、ご主人。ご主人が、彼を好きだからだよ」
「……私が、ロウガを、好き」
カルラの言葉を復唱する。
好き。その「好き」が可愛いものが「好き」というのと違う意味であることは分かっていた。ただ、今まで縁がなさすぎて、体がむずむずする。「好き」に込められた甘い気持ちに、心臓がぎゅっとなる。だが、指摘されてみればすっと胸に入っていく。
「そう。あの小僧は、荒神ロウガは、ご主人の大事な人になったんだよ」
戸惑う少女を見つめるカルラの目はひどく甘く優しい。もういない、記憶の彼方にぼんやりと存在する、湊の父や母のようだった。
大事な人。何にもない私に、大事な人。ゆっくり、カルラの言葉が湊の胸に染みていった。切なさやじれったさ、甘くて苦しい気持ちがぐるぐる体中を駆け巡る。
「だってそうじゃなきゃ、今までバディファイトにろくに興味なかったご主人が観戦なんてするわけないし、真っ先に自分の元に来てくれて嬉しいなんて思わないし、ひどく傷つけた相手を憎むなんてないでしょ」
その通りだ。誰かと深く関わったことがなかったから、全然気付かなかった。その感情がどういったものか理解はしていた。しかしそれは概要としてであり、上辺だけだ。だから、今まで感じてきたものが恋だったなんて思いもよらなかった。
どこか自分と似た悲痛な横顔を放っておけなかったり。
気が向いたら名前を覚えてやると言われて嬉しかったり。
下の名前で呼ばれて恥ずかしくなったり。突然消息不明になって寂しくなったり。
先輩かっこいいよねなんて言葉を耳にして苛立ったり。
墓参りに付き添ってくれて心があたたかくなったり。
ライバルを妬んだり。ずっと一緒にいた友達を憎く感じたり。
それらは全て、恋によるものだったなんて!
湊の顔が、体がさらに熱を帯びていく。
「ご主人は遠回しに言ったって絶対気付かないからはっきり言ったけど。これからどうするかはご主人が考えるんだよ」
このバディは。神様は。小さな頃からいてくれたものだから、黒瀬湊という少女をよく理解していた。
湊の頭を慈しむように撫でた後、そのままじゃあねと消えていった。一人で考えた方がいいと判断したのだろう。ふざけていないでいつもこんな風ならいいのに。湊はカルラが去った方向を見た。
「私は、ロウガが、好き」
呟いた言葉が強く湊の胸を締め付けた。だが、痛いとは思わない。同時にだんだん心臓の鼓動が早くなっていく。
少年の顔を思い浮かべる。今までむかつく仏頂面だと思っていたのに、急にひどく愛おしく、格好良く見えてきた。
そっと顔に手を当てる。触れた頬は、炎のように熱かった。