ロウガが相棒学園からいなくなって随分経った。噂によれば初等部の未門牙王という子にワンターンキルされたとか。あのプライドの高いロウガはワンターンキルされたことが屈辱でしかなかったのだろう。
とはいえ、そのためだけに転校なんてさすが臥炎財閥の養子(なのかまでは不明だが)である。
そして、ロウガが学校に来なくなったということは、湊の住む教会にも来なくなったということだ。
ロウガは湊に何も伝えずにどこかへ行ってしまった。連絡先を交換していたわけでもないので、どこに行ったのか尋ねることもできない。
あいつのことだから元気にやってるでしょ。ロウガは豪胆な男だ。湊の心配など不要だろう。
ただロウガと出会う前に戻っただけだ。けれど、バディ以外の誰かが自分の料理を食べないことも。同級生が訪ねてこないことも。それらに慣れてきた湊には、少しだけ心の隙間ができた気がした。
「荒神先輩、どこ行ったのかなぁ」
そんなある日。移動教室途中の廊下で、そんな女子の言葉が聞こえた。荒神なんて珍しい苗字はロウガしかいないはずだ。湊は足を止めて耳を澄ました。
「ABCカップの優勝、荒神先輩かなって思ってたのに」
「荒神先輩かっこいいとか言ってたもんねー」
「あの俺様な感じ、よくない? 背も周りの男子より高いしさー。硬派っぽいし」
「タイプじゃないけど、分かる」
マジで? あんな態度のでかい奴をいいとかいう女子なんかいるわけ?
湊はつい会話が聞こえた方へ振り返った。両目を見開いてまばたきさえ忘れそうになる。勢いよく振り返ったため、周りの視線が湊に注がれた気がして、慌てて携帯電話を取り出し誤魔化す。
確かにああいったタイプは少女漫画や恋愛小説だと人気な印象がある。それらを好んで読もうとしないので湊にはより理解できないのだが。
湊の好みのタイプはロウガと全く違う。むしろ真逆である。ロウガよりもっと話が通じそうで、ロウガよりちゃんと話も聞いてくれそうで、ロウガより気が付いて優しい人がいい。しかし、爽やか王子様系は嫌いだ。よくその手の話題にのぼる龍炎寺タスクみたいな男子は枠から外している。
ロウガが兄弟だと言っていたキョウヤも、女子がきゃあきゃあ黄色い声を上げていた。キョウヤも却下だ。柔らかい微笑みを端整な顔に浮かべているものの、それは底が知れないものだ。恋愛対象になるわけがない。もしかしたら幼い頃から一緒に暮らしているロウガには別の顔を見せるのかもしれないが。
だから、ロウガなんてタイプじゃない。いくら名前で呼んでいるからって、料理を振る舞っているからって、別に前ほど嫌な思いを抱いていないからって。それとこれとは話が違う。
――――そのはず、なのに。湊の胸がちりちりと痛む。身を焦がす炎が小さく燃えている気さえ、した。
それ以上会話を聞きたくなくて、湊は早足でその場を去った。
授業が終わり、買い物の帰り。今日は教会にまっすぐ帰らず、少し寄り道をして商店街の花屋に向かう。どこにでもある花屋だ。最近改装して内装が少しおしゃれになっており、色とりどりの花が所狭しと並んでいる。店の前にいるだけでいろんな花の香りが鼻をつく。
「すみません」
「はーい。お待たせし……ああ、湊ちゃん。いつもの?」
「はい。お願いします」
若い女店員が湊を目にした途端、一気に砕けた口調になる。長年通っているせいで店員にも顔と名を覚えられてしまった。毎度同じものを頼むため、「いつもの」で通じるほどにもなった。
「はい、いつもの。二千四百八十円です」
湊はきっかり払って花束を受け取った。
買い物袋に花束は少し重く、かさばる。持ちにくくて何度も花束を落としそうになった。一度家に帰って教科書類を置いてきたし、日頃そこそこ体を鍛えている湊でもきつい。教会までのゆるやかな坂を上る。上りきったらいつもの門――――の、はずだった。
大きな門の前に見慣れない少年がいる。世紀末のような袖が破れた服を着ており、量のある銀髪が風に揺れている。その少年のすぐそばには大きな槍があった。コアガジェットだろうか。こんな短期間で腰ほどまでの長さに伸びるのは明らかにおかしい。それにいくら好戦的だからといって、コアガジェットを発動し続けているのも変だ。それでも湊は少年が何者か、改めて名を呼んで確認せずとも分かった。
「……ロウガ、何、その服?」
湊に声をかけられ、門にもたれかかっていたロウガがゆっくり目を開く。
「修行着だ」
そして淡々と答える。
ダッサ。湊は心の中で呟く。
ワイルドと言えば聞こえはいいが、漫画か映画の影響でそういったコスプレをしているように見える。不思議とロウガは似合っているが、その服がダサいことに変わりはなかった。
ダサいね、と言おうとして言葉をひっこめる。カッコいいと思って着ているなら傷つくかもしれない。遠回しに言ってやろうか。しかし、見れば見るほど世紀末かと思う服装である。それにロウガはこんなことで傷つくほど神経質で繊細な奴ではない。湊は率直な感想を述べた。
「あんた、センスないね……」
「動きやすければいい」
「あ、そ。まあいいけどさ。入れば」
久しぶり。元気にしてた? 普通なら出てくるような言葉はかけない。元気そうなのは見れば分かる。見るからに風邪などと無縁そうな奴だ。
門を開けようとすると、ひょいと荷物を奪われた。両手で持ってもかなり重かったのだが、ロウガは片手で軽々と持っている。大きな槍と買い物袋のちぐはぐさが奇妙で面白い。
「え、何?」
「……持ってやる」
「あ、うん」
もうすぐだからいいのに。あまりにも急で乱暴だったものだから礼のひとつも口に出せなかった。その代わりに少し頬が緩む。
中に入って湊は数歩後ろを歩くロウガを見やる。荷物を持つなんて驚天動地な行動を取ったとはいえ、紳士とは相変わらず縁のなさそうな態度だ。
それに。さっきは尋ねなかったが、やはり気になる。
「ねえ、その長い髪どうしたの? ウィッグには見えないんだけど」
ウィッグにしては髪の色がそっくりな銀色。不自然にエクステをつけたようにも見えない。そもそもロウガがファッションを意識してウィッグやエクステをつけるような男なわけがない。
湊の質問にロウガはどう答えていいのか考えあぐねている。ロウガはハッタリや嘘は得意ではないらしい。何か事情があるのだろう。それがたとえ危険なことであろうと悪事であろうと、湊は追及する気になれなかった。元同級生なだけの湊が首を突っ込んでも何にもならないことは明白だ。それを知って自分が巻き込まれるのもまっぴらごめんだ。
根堀葉堀聞かれたくないこともロウガにだってたくさんあるはずだ。湊にもたくさんあるように。だから、湊は聞かない。
どうしてスラム街にいたとか、どうしてキョウヤはそこにいたとか、荒神ロウガは本名ではないのかとか。ロウガが家族はいないと話してくれたように、また湊へ話してくれるに違いない。荒神ロウガという少年は変なところで真面目で誠実で実直だから。
「言いたくないなら別にいいよ。長い髪、意外と似合ってるし」
「……邪魔なだけだ」
「あんたの名前に入ってる狼みたいでいいんじゃない? 長髪って似合わない奴は本当似合わないし」
「そうか?」
「うん」
明るく頷くとロウガは目を伏せた。
お世辞ではなく本当に似合っている。元の短髪は見るからに生意気な坊ちゃんだったが、長くなった今は少し大人びて見える。男で長い髪は不潔な印象を与えるのに、ロウガの場合野性的なイメージを強くさせている。
「ちょっと待っててくれる? 私行くところがあるから」
買ったものを冷蔵庫や食品棚に入れ終え、湊は花束を持った。
「どこに行くんだ」
「お墓」
湊の持つ花束は菊、胡蝶蘭、榊、カーネーション、シクラメンで構成されている。全て仏花としてよく使われるものだ。湊は生き生きとした花たちを見つめた。
湊の一言にロウガは一瞬息を呑んだ。以前のように無関心な返事はない。
湊は何てことないように言ったつもりだった。墓参りは小さな頃から湊の日課のようなものだ。もう何年もやっていること。月に一回墓に花を添えてるせいで、仏花の花々の香りなら嗅ぎ分けられるくらいには、長い間している。ロウガが驚くことではない。
出て行こうとする湊について、ロウガが隣を歩く。
「何?」
「……俺も行く」
「お墓参りだよ? 別に楽しくないけど」
「墓参りが楽しいわけあるか」
「じゃあなんでよ」
家族がいないと言ったら相槌だけ打った男である。墓参りについてくる理由がない。今までのロウガの態度や言動を顧みても理由になりそうなものは思い浮かばない。
さらに問う湊に、ロウガは口をつぐんだ。
「お前が……」
「私が?」
変なことでも言ったろうか。全く覚えがない。血の繋がった家族の墓参りなどしたことがないから、そんな神隠しを目の前でも見たような顔をしたのか。それとも、湊が悲しみを隠し切れなかったのか。
まさか。浮かんだ考えをすぐに消した。仮にそうだとして、それでもロウガがついていく理由になりそうもない。そんな優しい男だったか。荒神ロウガは。……さっきは、優しいと思ったけれど。消えていた今までで何かロウガの中に変化が訪れたのか。湊には、何も分からない。
「何でもない。行くなら行くぞ」
ロウガが言いかけた言葉をしまう。湊は首を傾げた。だが、ついてくるなと断らなくてもいいだろう。湊たちは墓に向かった。
家とはまた離れた場所に墓地がある。遺族が定期的に来るため荒れている様子はなく、清浄な空気が漂っている。墓地とする土地には等間隔に墓石が立っており、その下に死者が眠っている。寺ではなく教会に埋めたいという人もそれなりにいるため、墓地は広い。
「……お前の家族の命日か」
「ううん。ただ週一で来てるだけ。花は一ヶ月定期で変えてるの」
湊の家族が埋葬されている墓の前で足を止めた。代表して父の墓へ花束を飾る。
そしてぽつぽつ墓石に向かって一週間の出来事を話していく。死人に口はない。何も返って来ないことなど分かっているし、幽霊としてそこに存在してもいない。知っていながら湊はこうして話してしまうのだ。
神父さんが少しだけ帰ってきて珍しくお土産をくれた、アガレスとカルラはケンカばっかりしている、今週はゆずとチーズを使ったタルトが一番うまくいった、……。他愛もない、普通の家族で交わされるであろう話が湊の唇から語られる。ロウガはその間黙って聞いている。ただ、ロウガの奴が久しぶりに来たと思ったら変な服着てきた、と語ったところで眉をひそめた。
いつも、墓場には一人で来ていた。神父が来ることも、アガレスやカルラが共にいることもなかった。一人でいたい湊の気持ちをきっと知ってのことだ。それはとてもありがたかった。毎度ここに来ると目の奥が熱くなって泣いてしまいそうになるから。誰も助けてくれないなら泣くのはやめようと決めた自分の誓いを、破りそうになるから。弱さと脆さの象徴である涙を、血の繋がりがない家族にも見せたくなかったのだ。
――――でも。今ロウガ傍にいても、涙はこぼれそうになかった。むしろ湊はどこか安心すらしていた。過去を振り返るなとか、死人に縋るなとか、言いそうなのに。そういう強さを持っていそうな男だった。
しかしロウガは何も言わない。仏頂面で口を結んだままだ。誰かが無言で傍にいてくれること。それが何故か、ひどく嬉しくて。湊は墓石と向き合いながら、うっすら笑った。
「行こうか、ロウガ」
「もういいのか」
「うん。いいの。ありがと」
湊が風のように穏やかに微笑むと、ロウガはそっぽを向いた。
照れてるのかな。今日はこいつの好きなものにしてやろうかな。微笑みを貼り付けたまま、湊は家までの道のりで何を作るか考える。
「おや。あのときのクソガキじゃないですか」
リビングに戻ると、アガレスがソファに座っていた。アガレスの手にはリモコンがあり、大きなテレビには男女が映っている。すぐに派手な爆発音とともにネイティブの英語が聞こえてくる。映画でも見ていたようだ。
ロウガはアガレスを見て顔をしかめた。
「……お前のバディか」
「うん」
「そういえば公爵アガレスだった気もするな」
「こ、このクソガキ……」
湊のことを覚えていなかったため、当然そのバディであるアガレスのことまで記憶していなかったらしい。ロウガは少し考える素振りをしたがすぐにやめた。
ロウガの失礼な言葉にアガレスのこめかみがひくつく。アガレスは爽やかさと穏やかさを同居させたような見た目に反し、かなり短気ですぐに手が出る。昔は暴れ回っていたらしいのでその影響か、はたまた性根か。SD化もしていないアガレスが殴ればロウガはひとたまりもないだろう。慌てて湊はアガレスを制止する。
「アガレス、気持ちは分かるけど! ね! ロウガも座って!」
「いい。時間だ」
「あ、そう……?」
時計を見れば五時を過ぎている。夕食の時間には早い気もするが、ここから帰れば空は暗くなる。アガレスから逃げようとしているのか、何か用事があるのか。ロウガは早々に去っていってしまった。湊はその場から動けず、見送ることもできなかった。
アガレスは玄関を見つめる湊に尋ねる。
「湊。あいつ、何なんですか?」
ロウガのことか。それとも、湊にとって何なのか。どちらとも取れる質問だ。あえて主語を使っていないようにも思える。妖しい光を放つ目を細めた悪魔は意味深な眼差しを湊に向けていた。
ロウガのことは詳しく知らない。バディファイトが好きで、昔海外のスラム街にいて、キョウヤに拾われて、共に暮らしている。それくらいしかロウガの情報を持っていない。
湊にとってロウガは何なのか。元同級生だ。だが、元同級生だからといって家に上げて料理を振る舞うなんて男女でしないことなど湊だって分かる。かといって友達なわけでもない。
「……何だろう」
だから、そんな風にしか答えられなかった。