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高潔なる矜持を祈む

朝だ。
斬島はゆっくりとまぶたを開き、意識を深い底から引きずり出した。隣でぴぴぴぴと電子音を鳴らしている目覚まし時計のスイッチを押す。朝の目覚めはいい方なのですでに目は冴えている。体を起こし、窓から降る朝日を浴びながら着替える。シンプルなシャツにサロペット。獄卒としての制服ではない。同僚の佐疫と選んだ服だ。

今日斬島は休日なのである。斬島は休日だが他の皆は仕事だ。朝食は用意されているだろう。
そう考えて食堂に向かえば、華やかな顔つきの女性が台所から顔を見せた。

「あら、斬島ちゃん。おはよう」
「おはようございます、キリカさん」

キリカは最近館で雇い始めた家政婦の一人である。半人半蛇のキリカと、ここにはいない二口女のあやこ。夕方まで掃除炊事洗濯といった細やかな家事を担ってくれる。二人が来るまでは家事も獄卒の皆で担当していたため、負担が減りかなり楽になった。

しゃもじを持ったキリカは明るく笑って尋ねる。

「斬島ちゃん、今日はお休みなのかしら?」
「はい。肋角さんに休めと言われたので」

獄卒の休日は基本休日だと定められた日と事前に申請した日に分けられる。緊急を要する任務が続けば休みであっても有無を言わさず仕事だ。当然その際代わりの休みは与えられる。今日の斬島の場合は代休だった。

「それでもいつも通りなのね、偉いわ
「そうですか?」

斬島は顔に疑心を出さない代わりに声に乗せた。休みと言っても何をしたらいいのか未だに分かっていないのだ。以前「きちんとした正しい休み方」を皆から教わったが、どうにも音楽を聴きながら羊を数えて目を閉じていただけのように思う。そういうこともあり、とりあえず普段通りに起きただけである。

そんな淡白な返答をした斬島にキリカは笑顔を崩さない。にこにこしながら食事をよそったお盆を持ってきた。

「そうよ、偉いえらい。さーて、朝ごはんは白ご飯と焼き鮭、じゃがいもが入ったお味噌汁にほうれん草のおひたし! たっぷり食べてね」
「ありがとうございます」

湯気が立つ白米と味噌汁、脂がのった鮭、かつおと昆布の香りがするおひたし。どれも食欲が刺激され、腹が軽く鳴る。唾も出てきた。気を抜くと口から垂れてしまいそうだ。朝食を受け取って適当な席に着き、「いただきます」と食前の挨拶をした。

朝食を食べ終えた後、一度部屋に帰って愛刀のカナキリを持ち、鍛錬室に向かう。当然だが鍛錬室には誰もいなかった。鍛錬室は食堂と同じくらいの広さで、窓も床も綺麗に磨かれている。他の部屋とどこか異なる冷たい空気が心地いい。
斬島には佐疫のピアノや田噛のギターのように楽器を弾くことが好きなわけでもなければ、平腹が好きなゲームもやらないし、上司の災藤のように買い物にも興味はない。誘われたらやってみたり同行したりする程度だ。

「斬島は好きなことはないの?」

いつだったか佐疫にそう問われたことがある。しばし回答に悩んで頭に浮かんできたのは鍛錬だった。すると「斬島らしいね」と苦笑された。おかしなことを言ったつもりはなかったのだが。
実際体を鍛えるのは好きだ。いつかカナキリで何でも斬れるように強くなりたいとすら思う。屈強な妖怪、怨念のこもった悪霊、頑強な建物。そうすればきっとさらに獄卒としての仕事が果たせるはずだ。

斬島は息を深く吸い込み、カナキリを強く振りかぶった。


素振り、腹筋、腕立て伏せ。適度に休憩や水分補給を挟んでいたが、体を動かしていれば腹が減る。壁に掛かった時計を見ればすでに一時を回っていた。道理で腹もすくはずだ。

「斬島さん。お疲れ様です」

鍛錬室を出て少し歩くと、氷柱のように冷たくまっすぐな声が斬島の足を止めた。

「お疲れ」

賀髪は背丈と同じくらいの銀の髪を揺らし、こちらへ近づいてくる。驚くほど温度を感じられない顔はいつ見ても変わらない。

「今日はお休みだったんですか?」
「ああ。賀髪はどうしたんだ?」
「私は先程昼食をいただいたので、これから図書室で書類を作るところです」
「そうか」

今日の昼食は何だった、と続けて尋ねようとしたところで、賀髪が纏う空気が剣呑なものになる。凛とした瞳は鋭利に吊り上がり、整った唇は歪んで舌打ちしそうな勢いだ。こういう目をする賀髪を見たのは、今のところ平腹にお気に入りのティーカップを割られたときと、

「賀髪……と、斬島か」

谷裂といるときだけだ。

何故か谷裂と賀髪はよく喧嘩をする。その理由は不明で、斬島が知る限り二人が共にいると必ず舌戦が繰り広げられ、ひどければ手や足を出して本気の争いを始める始末だ。取っ組み合いの後には壁に穴が開き、無数の鋏が突き刺さっている。肋角や災藤に注意を受け、壁や台などの修理や後片付けを二人が渋々行うのを何度見たことか。

どうしてなのか不思議に思い、尋ねたこともある。

――どうして谷裂は賀髪とあんなに喧嘩するんだ?
――あの女がいちいち突っかかってくるからだ。
――賀髪の髪を引っ張って回したのは谷裂も悪い気がするが。
――……とにかく、俺とあいつは水と油だ。合わんものは合わん。

そのまま話を打ち切られてしまい、あまり納得できずに終わった。別の機会にそれ以上追及しようとしたら金棒で頭を潰された。あまりの速さに反応できなかった。そしてもうこの話題はやめようと誓ったのである。

「谷裂さん、今日任務ですよね? 制服を脱いでどうしたんですか? 筋肉で暑苦しくなったんですか?」
「違う! もう任務は終わって追加もないと肋角さんが仰っていたから、残りは鍛錬に充てようと着替えただけだ。……斬島、お前は休みだったな。暇なら俺と手合わせしろ」
「分かった。昼食をとったら戻る。待っててくれ」

そこで、斬島と谷裂に視線が突き刺さる。不可解なような、疑惑ある眼差し。口を閉ざしたままの視線の主へ谷裂が声に怒りを滲ませた。

「何だ。貴様に用はないぞ」
「私もありません。全くありません、が……ひとつ気になるので」
「いちいち貴様は回りくどいな。言いたいことがあるならさっさと言え」

それを受けて賀髪の目の角度が若干上がった。そのまま艶めいた唇を動かす。

「谷裂さんっていつもそのタンクトップですよね。その一着しか持ってないんですか?」
「そんなわけあるか! これは運動するのに適した格好だろう」

今の谷裂は制服ではなく簡素なタンクトップだった。休日や仕事終わりに運動するときは常にタンクトップで、それ以外の服装をあまり見たことがない。見たとしても浴衣や着物、冬の行事で着る赤い服くらいか。
首を縦に振って賛同していたら賀髪がこちらを見た。普段ならここで谷裂へ追撃しているところなのに珍しい。

「……まあ、その点で言えば斬島さんの方が全く運動向きではないですけど……」
「そうか?」
「ワイシャツとサロペットなんてどう考えても動きにくいでしょう」
「問題ないぞ」

確かに肩紐があるせいで違和感を覚えるが、獄卒の制服とそこまで変わらない。強いて言うなら、任務よりも大量に汗をかくのでシャツが肌に張り付いて不快になるくらいだ。
平然と返すと、賀髪はため息と呆れを混ぜて言う。

「谷裂さんと平腹さんは当然として、斬島さんも脳筋族ですよね……」
「脳筋族?」

脳筋。よく賀髪が谷裂や平腹に言う単語だ。そういえばどういう意味か誰にも聞いたことがない。使っている状況からして、おそらく罵りの言葉なのは分かるのだが。無表情のまま首を傾げると、賀髪が斬島の疑問に答えてくれた。

「脳が筋肉でできていそうな人のことです」
「そんなわけあるか! 平腹はともかく俺を加えるな!」
「すぐ物理で解決しようとする人がどうして否定してるんですか?」

信じられないと言わんばかりに目を細める。

獄卒にはいわゆる死の概念がない。どんなに血が出て足りなくなったとしても意識がなくなるだけだし、病気にかかったとしても治るまで苦しむだけだ。頭と胴体が離れたとしてもくっつけて縫合すれば元に戻るし、灰になったとしても一から再生する。そのせいか怪我や病気による苦痛は人間より鈍い(らしい)。だから腕一本なくなろうが目玉を抉られようが大した問題ではないのである。
とはいえ、斬島たち人間の形を持った獄卒の体の構成は人間や他の生き物と同じはずだ。脳にあたる部分が筋肉などあるのだろうか。斬島は人体の知識に疎いので、その方向に詳しい同僚の抹本に診てもらおうか。

「俺の脳はおそらく筋肉でできていないと思うが……抹本に調べてもらった方がいいだろうか?」

真剣に悩んでの発言だったが、何故か谷裂は眉根を寄せて閉口し、賀髪は頭を軽く押さえていた。

「斬島、こいつの言葉を真に受けるな」
「素直と言えば聞こえはいいですけど、悪い意味で馬鹿真面目というかド天然というか……」

頬に手を当ててこぼす賀髪の言葉が聞こえ、少しだけ口の端が下がる。

「すみません、私の答え方が悪かったです。そうですね……例えば、斬島さんが一人である部屋に閉じ込められているとします。鍵はありません。誰かに助けを求める手段もありません。そこでまず何をしますか?」
「扉を斬る」
「そうだな。扉を破壊すればいいだろう」

即答する斬島に谷裂が同意した。これ以外ないだろうと考えていたのだが、二人へ向けられている眼差しは軽蔑を通り越して憐憫すら感じる。正しい判断だと思ったのでそんな目で見られる理由が分からない。

「……先程谷裂さんにも言いましたが、そうやって何も考えずに武力行使で物事を解決しようとする人、あるいは単純な人のことです。どうして扉が閉まっているか原因を追究したり、他に何か方法はないか模索したりするとか、もう少し考えられないんですか? さすがにそれは初手でやることではないです」
「その方が手っ取り早いと思ったんだが」
「無駄に時間を食う可能性もあるしな」

答えるとまた頭を押さえた。そしてわざとらしいほどのため息をつく。

「貴方たちに聞いた私が馬鹿でした」

思い切り馬鹿にされている。そんなに悪手ではないと思うのだが。
もうこれ以上会話を続ける気はないとばかりに背を向ける。

「おい、賀髪」

かつかつ鳴るヒール音を止めるように、谷裂が話しかけた。ゆっくりとこちらに顔だけ振り返った。

「今日は任務だろうが、たまには貴様も体を動かしたらどうだ。鈍るぞ」
「私は貴方みたいに特別筋肉をつけたいわけでもありませんし、仕事で十分体は使ってます。休めるときに休むことも必要でしょう」
「武器を試すなり何なりあるだろう」
「私の場合実戦でしか試せないんです。あの糸の切れ味、その身で分かってますよね?」

女郎蜘蛛の糸。触れただけで大抵のものは切断できるものと、獄卒が乗っても問題ない強度のものとに別れており、特殊な加工がされているらしい。詳細は知らないが斬島も何度か切られたことがある。気がついた時には痛みが走り、腕と脚が胴体から綺麗に離れていた。そんなものを振り回されたら鍛錬部屋から館が崩れ落ちるかもしれない。

「鋏も特注なのでむやみやたらに使いたくないですし」
「その割に投げつけているところをよく見るが……」
「とにかく、私は鍛錬も修行もしません。日々の任務で間に合っています」

無視された。
冷淡に返す賀髪に谷裂の眉間のシワがさらに深くなっていく。このまま距離を詰めて胸倉を掴んでもおかしくない気迫だ。

「本当に何だ貴様の物言いは。鍛錬が無駄だとでも言いたいのか?」
「……無駄なんて一言も言ってません」

否定する賀髪の声音はほんの少し柔らかかった。まっすぐに谷裂を見つめるその眼差しには尊敬と賛辞がある。斬島が知る限り、賀髪がそんな目を向けるのは肋角と災藤だけだ。

「努力は美徳です。それをたとえいくら貴方であっても否定する気はありません。強くあろうとする思いを馬鹿にしたくはありませんから」
「…………」

鋭利な言葉で刺されてばかりの谷裂にとって予想だにしない言葉だったのか。不可解そうに顔をしかめたまま、眼差しを受け止めている。それでも嘘をつけなどと疑惑に駆られないのはその目が揺れることなく真剣だからだろう。

二人の間に沈黙が流れる。完全に部外者扱いになっていたが、何故か口を挟めないでいた。

賀髪が目を伏せる。斬島たちとは異なる白いまつ毛が目を覆う。

「とはいえ、鍛錬一辺倒もどうかとは思いますけど。無理な運動をして、肋角さんに迷惑をかけないでくださいね」
「……分かっている」

谷裂は静かに答えた。怒気を含まない声はどこか落ち着いていた。
賀髪は今度こそそれ以上何も言わず図書室へ向かっていく。痛みなど知らぬような銀の髪をしばらく見つめた後、谷裂も無言で鍛錬場へ入った。

ぐう。誰もいなくなった廊下に気の抜けた腹の音が響く。つい二人の会話を見守っていて空腹だったことを忘れていた。まだ昼食は残っているはずだ。腹を満たした後は谷裂と手合わせしなければ。
よし、と気合いを入れて、斬島は食堂に足を進ませた。



透き通る青が美しい晴天。珍しく湿り気の無い初夏の空気が心地よい。館の獄卒たちは緊急の仕事もなく待機となっており、半ば休日のような状態だ。斬島と佐疫はキリカとあやこの掃除を手伝った後、図書室で報告書に目を通していた。紙の匂いが静寂な空間に広がっており、心が不思議と落ち着く。

そういえば。不意に斬島は「運動に合う服」のことが思い浮かんだ。賀髪に指摘された後、誰にも尋ねていなかったのである。

「佐疫。運動に適した服とは何だと思う?」
「え?」

佐疫へ問いかけると、佐疫は目を丸くした。それからすぐ答えを模索するように視線を宙に浮かせる。

「うーん、そうだね。現代に合わせるならTシャツになるのかな? 谷裂みたいなタンクトップもいいと思うよ」
「Tシャツ……たんくとっぷ……そうか。ありがとう」
「斬島はあまり服に頓着がないのに珍しいね。どうしたの?」
「いや……この間私服で鍛錬をしていたんだが、賀髪にその服は運動するのに合わないだろうと言われたんだ」
「ああ……」

斬島の私服を思い描いて納得したのか、穏やかな顔に苦笑が広がった。

「俺は制服と変わらないし、構わないと思っていたんだが。佐疫はどう思う?」
「俺も鍛錬には他の服がいいと思う。シャツは洗うのが手間だけど、Tシャツとかならアイロンを掛けなくてもいいし。毎回あやこにやってもらってるわけじゃないけどあやこの負担も減るし、斬島も自分でやるとしたらその方がいいんじゃないかな?」
「それもそうだな」
「今度獄都商店で見てみる?」

斬島は小さく首を縦に振った。

そこでヒールの音が耳に入る。顔の向きを音の方へ変えれば、賀髪が分厚い書類を手に二人へ歩いてくる。正しくは二人の左横の資料棚へ、だったが。近くまで来た賀髪は精巧な作り物のような顔を向けて唇だけ動かす。

「斬島さん、佐疫さん、お疲れ様です」
「ああ。お疲れ」
「お疲れ様。何だか随分書類の量が多いね。手伝おうか?」
「いえ、資料を見て仕分けするだけなので大丈夫です。ありがとうございます」
「そう? 俺たち今日はあまり仕事もないし、手伝えることがあったら言ってね」

もう一度佐疫へ礼を言ってから賀髪が棚を見上げる。目的の資料を左から右へと探しているようだ。

「賀髪」

斬島が話しかけると、賀髪は銀の髪を揺らし碧の瞳に二人を映した。木舌とはまた違う深くひんやりとした目を覗き込んでも賀髪の心情は全く読み取れない。

「賀髪は運動に適した服とは何だと思う?」

斬島の質問にこめかみが少し動いた。そのまま体ごと二人の方へと向きを変える。

「何ですか、急に」
「賀髪がこの間、俺の服は鍛錬に合わないと言っていただろう。何が合うのか佐疫にさっき聞いたんだが、お前はどう思う?」

すぐにああ、と吐息のような声をこぼす。

「そういえばそんな話をしましたね。……無難にジャージとかTシャツとか、汗を吸収しやすくて伸縮性のあるものでいいと思いますけど。佐疫さんと一緒に獄都商店かこの世のスポーツ店でも行って選んだらどうですか? いろいろあるでしょう」

多少投げやりに聞こえる声音だったが、佐疫の答えよりも具体的な案だった。賀髪はよくこの世に行って買い物をするからかこの世のものについてとても詳しい。
賀髪の提案に佐疫も感嘆の声を上げる。

「この世のスポーツ店か。いいかもね」
「この世の……なら金を替えに行くか」

この世の金とあの世の金は異なる。価値自体は変わらないが、使える物が違うのである。この世で使うためには換金しなければならない。

「結構高いものもありますし、値段も幅がありますよ。デザインも機能性も気にしないなら安いものを何着か買うくらいでいいんじゃないですか?」
「賀髪は詳しいな」

斬島は純粋な敬意をもって言う。まっすぐな青い瞳を受け止めた賀髪は謙虚も驕りもせず目をつむった。それから一呼吸置いて返す。

「貴方たちよりこの世に行ってますから多少は知っているだけです。斬島さんの場合は知らなすぎだと思いますけど」
「そんなことはない。……はずだ」

口の端を下げて言い返す。頼りない語尾に賀髪は眉を動かした。

「断言できてないじゃないですか」
「まあまあ。服を買いに行くときに少し勉強すればいいよ」

佐疫が和やかに仲介しても賀髪の目は呆れている。だが、次の瞬間、突然不機嫌そうに目つきを釣り上げた。不思議に思うより早く答えが先に来た。

「斬島、佐疫」
「谷裂」

谷裂がこちらへ近付いてくる。どうしたと尋ねる前に、谷裂の目が賀髪を捉える方が早かった。ただでさえ厳しい顔つきがさらに険しくなる。

「……賀髪、邪魔だ」
「単にここにいるだけでしょう。資料を取ったらすぐ消えます。というより、貴方の存在の方が邪魔、――……」

谷裂へと視線を向けた途端、賀髪の言葉が途切れた。常に無表情か冷笑しているかの賀髪が、息を呑んで唖然としている。手にしている書類を落としそうだ。まるで人間が亡者に会ったかのように谷裂を見つめていた。

「賀髪? どうしたの?」

驚愕の表情を浮かべたまま、ようやく賀髪は口を開いた。

「あの谷裂さんがこんなデザイン性のある恰好をするなんて……明日に終焉でも来るんでしょうか?」
「おい」
「賀髪……」

確かに以前の谷裂の服装とは違った。たんくとっぷとやらは一緒のようだったが、すっきりとした着こなしだ。よく見れば首や手首にも何やらつけていて洒落っ気がある。

「それとも狸や狐の類ですか? どうして谷裂さんに化けて……何にせよ、人選を間違えましたね。あの人がそんな服を持ってるはずありません。本物が来て鍋にされる前に山へ帰った方がいいですよ」

つらつら言葉を並べる賀髪は冗談か本気なのか分かりにくい。黙って聞いていた谷裂は体を震わせていたが、ついに肩に担いでいた金棒を下に下ろした。気迫がこもった目は誰が何を言おうと止まりそうにない。

「……そうだな。貴様の頭を潰して体を粉にした後、山に行って埋めてくるか」
「そういうところは谷裂さんらしいですね」
「谷裂、金棒下ろして! ここ図書室だから資料ばらばらにしたらまずいよ! 賀髪もそれ以上言わない!」

佐疫が慌てて間に入ると二人が同時に舌打ちした。舌打ちなのに綺麗な音になっており、斬島は内心感心した。
じゃれ合いも終わったところで谷裂へ聞く。

「谷裂のその服はこの世で買ったのか?」
「違う。だいぶ前に受けた閻魔庁の取材とやらの礼が昨日届いたろう。それだ」

閻魔庁から事前に用意されたという質問を斬島たちが答えたことがあった。獄卒の仕事は、心構えは。そんな簡単なものだったが、報酬が貰えたのである。ちなみに斬島はカナキリのため新しい砥石が欲しかったので良い砥石を貰った。

「へえ。俺はクラシックの楽譜をいくつか貰ったんだけど、谷裂はスポーツウェアにしたんだ」
「すぽ……? よく分からんが、鍛錬に使えそうなものをと答えたらこれが来た。有用的なので使っているだけだ」
「手首に着けているそれは何だ?」
「リストバンドですね。どうせ谷裂さんのことですから、ファッションじゃなくて中に重しでも入ってるんじゃないですか」

賀髪が言うと、

「よく分かったな。中に重しが入っている」

谷裂はリストバンドをめくる。よく見れば裏側は盛り上がっており、重しが入っていた。手足を鍛えるのに効果がありそうだ。普段静かな斬島の目にかすかなきらめきが灯る。

「それはいいな。俺も買おう」
「売ってるかなあ」
「……まあ、売ってるんじゃないですか」

どうでもよさそうに言葉を投げた後、賀髪は今度こそ資料棚へと目を向けるのだった。