いい夢をみるために
私はいつだって、夢見ていた。
母の胸の中で、あの優しい香りに包まれて眠りにつくこと。

戦火の中、空襲の音が聞こえる防空壕の中で、母の胸の中にいるときだけは安心できた。
いつも母からは私を安心させる香りのようなものが出ていて、それは私を優しい眠りへと誘ってくれた。

もう母はいないけれど、とにかくあれが欲しかった。


私はいつだって、怯えていた。
男の人は怖かった、あの固い感触やいたずらに強い力。

母がいなくなって、孤児になった私を容赦なく襲った、あの男たち。
薄野の中、数名の男に組み敷かれて、恐怖と激痛の中、泣いていたのを思い出すと、眠れなくなった。


とにかく私は、優しい眠りに飢えていた。
それ以外、いらないとまで思ってしまうほどに。
そして、ようやく、それを手に入れることができた。

最初はとても寒くて、死んでしまうかと思った。
ぼんやりとしたまどろみの中、床に光る星を見た。

そして、目を覚ますと、優しいあの香りがした。
身体は凍ってしまったように動かなくて、それがどこなのかは分からなかった。
あたりは暗くて、それだけは少し怖かったけれど、温かい優しさに包まれていたから、心地よかった。
母のように柔らかくはなかったし、母よりも少し熱かったけれど、それでも安心できた。

その人は必死になっているようだった。
何故だかは分からなかった、眠たくて、考えるだけの力はもう残っていなかった。


そして、気がついたら、懐かしい畳の感触がした。
使い古された、畳の感触。
ちりん、ちりんと風が吹く音がした。

「あら、名無しさん。起きたの。まだ眠っていたっていいのよ。昨日は警報が煩かったから眠れなかったでしょ?」

風の音に紛れて、優しいあの声がした。
聞き間違うことなどない、何度も私を安心させてくれたその声。

声のほうを見ると、母がそこに立っていた。
緑のもんぺに、白の上着を着ていて、私のよく見知った母だった。

「お、かあさん」
「…どうしたの、名無しさん。怖い夢でも見たの?」
「うん…」

母は甘やかすように、私を抱きしめて、背をさすった。
優しい懐かしい香りが、身体中に纏わりついて、柔らかい感触が、心地よくて。
知らず知らずのうちに、母の胸の中で泣いた。
母は何も言わずに、ただ私を抱きすくめるだけだった。

それから、いつもと変わらない日常が続いた。
あいかわらず戦争の影はちらつくが、それでも母と一緒なら、なんでもない気がした。




ある日、私は気だるさで目を覚ました。
布団から出てしまっていた足に外気が当たって、ぶるりと身体を震わす。
枕もとの半纏に袖を通して、居間に向かった。

「あら、食欲ないの?」
「うん…なんかだるい」
「風邪かしら…、休んでなさい。学校には連絡を入れておくから」
「うん」

朝食は用意されていたが、どうしても喉を通らなかった。
戦時で食料を無駄にできないと言うのに、申し訳がない。
私は、布団にもぐりこんで眠った。

目が覚めた、目の前は真っ暗だった。
ゆらゆらと揺れる感覚、温かい腕…寧ろ熱いほどだ。
…どこかで感じたことがあるような気がした、ぼうっとしていて耳が遠い。
身体はうまく動かなかった、どうしてしまったんだろう。

「名無しさん、お願い、しっかりして…!」

掠れたような声、悲痛な叫びを聞いた気がした。

「目を、覚ましてよ…!」

母の声じゃないと、漸く気がついた。

そう、この声は母のものではない。
今感じているぬくもりは、母のそれとは違う気がした。
母よりも少し硬くて、熱くて、女性のそれとは違う感覚。
でもそれも、悪くないと心のどこかで思っている。

その人は、私のよく知る人で。
男の人だけれど、気遣いのある人で、私が1人でいるときに、よく傍にいてくれていた人。
とても優しいのに、どこか暗い雰囲気を漂わせていた、不思議な人。

母とどこか、姿を重ねていた。
父が亡くなってから、母も優しさの中に、どこか不明瞭な暗さを持ち合わせていた。

「…リドル、先輩?」
「…!?」
「先輩、」

そう、そうだ、そうだった。

あの日、私はとある女子グループに天文塔の空き教室に呼び出された。
呼び出されて、集団リンチに近いようなことをされた。
ローブやセーターを脱がされ、杖を奪われ、水を掛けられて、部屋に鍵をされてしまった。

季節は冬だったから、寒くてたまらなかった。
ローブやセーターは水を吸っていて、羽織っても逆効果であることが目に見えていたから、ただ縮こまって床に座って助けを待った。
夜になれば、就寝時間までに帰ってこないことに、異変を感じる人がいてくれるだろう。
そう思い、耐え続けたが、徐々に意識が薄れていって、横になってしまった。

ゆらゆらと揺れるあの感覚は、運ばれている感覚。
温かさは、私を抱いてくれていたことの表れ。
身体が動かなかったのは、凍死寸前だったからだ。

掠れた声は女性のそれではなく、男性のもの。
焦ったような悲痛な声は、聞き覚えがあった。
普段、勉強をよく教えてくれた、その声。

そう、私を見つけ出してくれたのは、リドル先輩だった。
先輩は月明かりの中、驚いたような顔をしていた。

身体がうまく動かない、本当はもう一度、リドル先輩に抱きしめて欲しかったけれど、腕を上げるので精一杯だった。

「名無しさん…?起きたの…」
「…はい…?えっと、」
「起きた…!」
「どうしたんです…?」

月明かりの元でみる先輩はどこか、大人びて見えた。
泣きそうな顔で、私が上げた腕を抱きしめるようにして、手の甲にキスを落とした。

そして、話し始めたのは、幸せな病の話。

「…待っていてくれたんですか、ずっと?」
「まあね…」

私はその病で、もう10年以上眠り続けていたと言う。
先輩が大人っぽく見えるのも当然だった。

身体は固まっていて、ちっとも動かなかった。
先輩が遠慮がちに手を伸ばし、抱き起こしてくれた。
やはり、先輩からは優しくて懐かしい感じがした。

「私、幸せ者だったんですね」

現実に、意味など見出せなかった。
母は死に、突然敵国に連れてこられて、ひとりぼっちになって。
心にあるのはいつだって、母といたときのことばかりだった。
近くのものなんてちっとも見ていなくて、過去ばかり振り返って。

不幸を嘆くばかりで、こんなに近くの人に気づけなかった。

夢でなくても、幸せは、すぐ近くにあった。



(現実が夢に、夢が現実に)
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