平野藤四郎は主命を貴ぶ
この本丸で平野藤四郎と小夜左文字に会うことは滅多にない。
彼らは懐刀として重宝されており、普段から主の胸元で浅い眠りについているのだそうだ。
それは彼らにとって何よりもの誉れであり、短刀としての歓びであるようだった。
兄たちに会えないことも気にせず、彼らは毎日交代で主の胸元で静かに警備をしている。

俺がその日平野藤四郎に会えたのは、ただの偶然だった。
朝の鍛錬を終えて汗を流すべく風呂場に行ったら、先客が居た。
その先客が平野であった。

「おはようございます、長谷部さん。この時間に湯浴みとは珍しいですね」
「俺は毎日そうしているが…平野にあったことはなかったな」
「僕は普段、主様の私室の湯殿をお借りしておりますので。今日は主様が入りたいとおっしゃいましたので、僕がこちらに」

脱衣所で平野は皺のないワイシャツに袖を通していた。
幼い見目とは裏腹にはっきりとした物言いで、可愛げはないかもしれないが俺は好ましく思う。
それにしても、幼い見目とは言え主と湯殿を共有しているとは驚いた。
主はあまり人を寄せ付けないようなイメージがあったのでてっきりそう言った部分はしっかりと分けているかと思っていたのだが。

平野は湯浴みをすでに終えていて、もう朝食の場に向かおうとしているようだった。
一方の俺はこれから湯浴みの予定だった。
ただ俺はこの偶然を逃したくはない。

「平野、いま少しいいだろうか」
「構いませんが…、長谷部さんはこれから湯浴みの予定では?」
「平野と話ができる機会はなかなかないからな」
「それはすみません。それで、僕に何か?」

人前あまり出てこないことに自覚があったらしい平野は苦笑いしながら、すみませんという。
彼は粟田口にしては非常に落ち着きがあり、また他の刀剣に対して紳士的である。
皮肉っぽい言い方に触れることなく、笑って済ませる辺りやはりしっかりしていると言えるだろう。
平野はワイシャツ姿のまま近くの簡易式の椅子を2つ持ってきた。
そしてその片方の椅子に足を閉じて行儀良く座る…きちんと話を聞くつもりがあるようだ。

「単刀直入に聞くが、平野。お前この本丸がおかしいとは思わないか?」
「…なぜ、それを僕に?」
「お前だけじゃない。宗三や大倶利加羅、山姥切にも聞いた」

怪訝そうに眉を寄せた平野に俺は慌てて弁明する。
慌てる必要性はないのだが、この本丸において最も強いのは平野である。
滅多に機嫌を損ねたり暴力に訴えたりする奴ではないと頭では分かっているが、修行を終えて極めた短刀の強さを俺は夜戦で良く知っている。
特に平野は極めた短刀の中でも練度が最高値、主の懐刀をやっていないときは率先して出陣するというとんでもなく真面目な刀である。
以前、主の部屋に闖入しようとした阿呆2人が平野の一撃を食らって重傷まで追い込まれたのはこの本丸において有名すぎる話である。
カンストしていない俺は一撃でも食らえば重傷になるだろう。

ともかく、平野はこてりと首を傾げた。
皆に聞いたと聞いて多数人の一意見を求めていると感じてもらえたようだ。
少し考えていたようだが、すぐして平野は微笑んで答えた。

「それ、みなさん同じ答えだったのではないですか?…僕も同じですよ。僕らは刀。主の為に我が身を振るうのみです」

平野は他の3人がそのように答えるというのを理解していた。
俺は不思議とそこまで驚いてはいない。
前の3人に聞いた話から、これは初期の6振り全員がそう思っているのではないかと薄々感じていたからだ。
それと同じように、平野も初期の6振りは皆そうであろうと思っていたということだ。
ただ、答え合わせはしておきたい。

「なぜわかる?」
「そうですね…。言い方に難があるかもしれませんが…少なくとも僕は主様が愛おしくて仕方ないのです」

恥かしそうに笑っていう平野に、俺は今度こそ度肝を抜かれた。
愛おしいとは何だ。
言葉の意味は分かるが刀が早々に感じるようなものではないだろう。

…いや、まあ分からんこともないのかもしれない。
確かに俺も人の子を愛おしく思う気持ちがないわけではない。
彼らは俺たちを生み出し、慈しんで大切にしてくれた。
下げ渡されたことに恨みはあれど、その先で良くしてもらい長く在り続け、今では国宝だ。
人という存在なくして、俺たちの存在はない。
ただそれは小さきものに対しての博愛であり、親愛やましてや恋慕などとは程遠い感情であると思う。
平野のそれは博愛を通り越し、主単体に対しての親愛に近いものである。
柔らかな栗色の瞳は優しく細められて、それはまるで子を見る母のようだった。

「主様がどのようなお仕事をされているのか、それがいかに大変であるか。…そして主は誰の為にそれをしているのか。僕ら6振りはずっとそれを見守り続けているのです。お勤めの内容が日々難しく、大変になっていくにも拘らず、主様は弱音1つ吐くことなく熟しております。それらは引いては主様の為かもしれません。…でもそれは僕らの為ともいえます」

つらつらと平野は話し続ける。
俺の目をしっかりと見据えているのに、俺のことなど眼中にないかのようだ。
確かに、俺たちの本丸は出陣回数が多い。
比例して、主の審神者としての仕事が増える。
俺たちは基本的に主の居る執務室に出入ることはできないため見ることはないが、出陣の事後処理や報告書作成などは確かに骨の折れる作業であろう。
出陣組の報告書は刀剣によって差はあれど、出陣した場所や敵の数、種類、進んだ戦場地図などを簡単に箇条書きした程度のものだ。
その上、報告書は万葉仮名であったり草書体であったりとまちまち。
それを近侍である江雪左文字、宗三左文字が書き直して、それを主が確認して報告書に直しているのだ。

俺にわかるのはそこまでだ。
…主はどのような報告書を書き、提出しているのかすら、俺たちは知らない。

「主様は僕らが折れぬようにしながらも、人々が平和に暮らせるように戦争をしているのです。ですから、僕らはそれに応えるのみ。僕らにできることは戦って、敵を切り殺すことです。それが主様の、ひいては人々の為に成ると言うなら何を迷うことがありましょう」

盲目的な親愛。
それは主のことを見ているが故の事だろうか。

確かに主は何度も中傷出陣を命じているにも関わらず、誰一人として折れた者はいない。
折れる覚悟をしているのは最初の6振りだけの事で、それ以外の刀剣たちは折れることを視野にも入れていないだろう。
折れそうな出陣ばかりしてと言うものはあれど、折れると言ったやつはいない。
皆分かっているのだ、主が俺たちを折ることなどないということを。
その安心感はどこから生まれているかといえば、間違いなく主の采配にある。
各々の練度や刀種をしっかりと考えた出陣や引き際の見極め、手入れの素早さは一等素晴らしい。
主は責務を全うしている。

「長谷部どの、主様が御姿を御見せにならないのがそんなに嫌ですか?主様から直接命を賜れないのがそんなに悔しいですか?…いいんです、それは思っていただいても。ですがならば主様の御身の為に尽くしてからおっしゃってください。まずはカンストしては如何ですか」

にっこりと笑っていはるものの、全く笑っていないように見える。
つう、と背に冷や汗が流れる。
二度目になるが実感している。
我が本丸の懐刀、平野藤四郎極は現在練度56。
俺が彼に襲い掛かっても一太刀だって浴びせることなく、床に縫い付けられることだろう。
鍛錬あるのみ、確かにそうである。

遠くで一期一振が兄弟たちを引き連れて歩く声がする。
早く起きなさいだとか、顔を洗ってだとか、そういう平穏な話だ。
その声が耳に入った瞬間、俺は何とか言葉を発することができた。

「…平野、お前相当怒っているんじゃないか」
「すみません。小夜と違って、僕の兄弟は甘えたがりが多いので辟易としていまして…申し訳ありません、八つ当たり致しました」
「いやいいんだ。平野のいう通りだと思う」

粟田口兄弟は主を求める気持ちが強いのか、主に会いたいと駄々を捏ねることもある。
長兄が来れば多少は良くなるかと思ったものだが、最近来たばかりの一期一振まで弟たちと同じように主を拝謁したいと言っているから困りものだ。
平野は彼らの羨望を一身に受けているのだろう。
苦笑いをしながら謝罪を口にする平野を責める気にはなれない。
それに何より、彼の怒りは尤もである。

粟田口の短刀たちは最近夜戦という出番を得たからいいものの、その前の厚樫山や椿寺では中々快勝できずにやきもきとしていた。
その上、主は苦戦する戦場に傷ついた状態でも行けと言う。
無論、重傷になれば治すわけだが労いの言葉ひとつない札に寄る手入れ。
それも彼らの琴線に触ったのだろう、出陣に対して反抗的な行動をとるような短刀まで出てくる始末だった。

「でも、俺は気になるんだ。なぜこうも俺たちは思考回路が違う?どうしても腑に落ちん」
「個体差といえばそれまででしょう?」
「そうだが」

その短刀たちと同じように、平野もまた近侍をしていないときは毎日戦場に立っていた。
無論彼らと条件は同じ、重傷にならない限りは直されない。
流石に近侍を務めるにあたっては手入れをされるが、それ以外では一切同じである。
寧ろ他の短刀よりも率先して戦場に出るくらいで、重傷でもそのまま出陣させてくれと言うほどだった。
…平野は一度、厚樫山で折れたことがある。
幸いお守りを持たされていたので折れることはなく戦線崩壊で収まったが、あの時程血の気の引いたことはなかった。
お守りのお陰で何とか持ち堪えた平野は目を覚まして言った。
主に対して不甲斐ない、と。
その場に居た前田の方がボロボロと泣いていて、平野は涙1つ見せずに悔しそうにするばかりだったのだ。

話は終わり、と言わんばかりに平野は立った。
動かした椅子を丁寧に元に戻して、上着を羽織る。
ちらりと時計を確認してあと30分くらいしかないですね、と苦笑いした。
時刻は7時半、たった10分くらいしか話していないのかと驚いた。

平野はこれから主の元で朝の身支度の準備をするのだろう。
ささっと身支度を整えた平野は湯殿の引き戸を開けた。
開けて、振り返る。

「僕は、いつか主様も長谷部さんや他の兄弟と仲良くできる日が来ると思っています」

だからきっと大丈夫ですよと微笑んで、今度こそ廊下へ出て行った。
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