8.地に足付ける
真尋はリビングのテレビに釘付けだ。
食事を終えた後、リビングのテレビに据え置きされているゲームをやっている。

テレビに繋がれている筐体を、紬は久しぶりに見た。
小学生の頃、友達の家でみんながやっているのを見たことがある、懐かしいゲームだ。
紬はゲームが下手くそだったため、見る専門だった。
カラフルな筐体とコントローラが印象的で、確か丞が緑のコントローラを持っていたような気がする。

「月岡くん」
「はい、なんでしょう」
「家、決まった?」

カチャカチャとコントローラを動かしながら、目線はテレビのまま、真尋はそう尋ねた。
ダイニングカウンターからゲームを見つつ、皿を拭いていた紬の手が止まった。
時期的にはもう家を決めなくてはいけない。
ただ、紬は未だに家を見つけられずにいた。

理由は簡単で、初任給と職場付近の賃貸の相場が全く合わない。
職場の立地条件が良すぎて、徒歩圏内のアパートの家賃は軒並み平均以上。
ちょっと離れたところに暮らすのも考えたし、最悪実家に留まることも考えたが、どれもしっくりこなかった。

しっくりこない理由を紬はもう理解していたが、それを言葉にするのは憚られるような気がして、ずっとそのままだ。
Your Winの文字が躍るテレビに万歳している真尋を見て肩を竦めた。

「…いいえ」
「そっか。じゃ、うちに決まりだね」

背もたれに凭れた真尋はにやにやしながらそう言った。
紬もわかってはいるのだ、ここがとても居心地のいい場所になってきているということを。
こっそり真尋が自室の隣の部屋を掃除しているとか、徐々にお泊りセットが増えて行っているとか、そういう外堀から埋められている。
家政婦が欲しかった真尋にとって、紬がイエスということを待ち望んでいる。

紬は家政婦になるのは別に良いと思い始めていた。
なんだかんだで料理をしたり、部屋の掃除をしたり、インテリアをちょっと増やしてみたり、楽しい。
意外とその生活に違和感なく溶け込めている。

「い、いや…それはちょっと」
「え、なんで?職場遠い?」
「そうではなくて」

ただ、紬は決めかねている。
ここはとても過ごしやすい場所だ。
紬がどんなに無力であろうと、ネガティブであろうと、卑怯であろうと、真尋は何も気にしない。
そして、紬のことを何も知らない。
その逆もしかりだが、それがまた心地良い。

知りたい気持ちがないわけではないが、お互いにある程度の距離を保って過ごしていくことができるこの空間が、紬の心に余裕を齎す。
真尋と出会ったばかりの頃の荒んだ気分は殆どもうなくなって、落ち着いて新しい職場に向かうことができる。
きっと今後、ここに居ればずっとそうしていられる。

紬はそう感じていた。
だからこそ、ここに居てはいけないとも感じていた。

「俺、ここに居ると真尋さんに甘えきりになってしまいそうですから」

ここは心地良すぎる。
つい、甘やかされてしまう。

今まで優しい人たちの傍で育ちすぎたと、紬は思っている。
何でも褒めてくれる祖母、やりたいということを何でもやらせてくれた母、許してくれる父、毎日を楽しくしてくれる友人…どんな時でも助けてくれた幼馴染。
世間知らずで、甘えん坊の子どものような自分に嫌気がさしていた。

ここに居ると、また自分の中の子どもがぐずる。
だから、ここに居てはいけない。

「厳しくしたらいい?」
「厳しくって…」

真尋が厳しく接する姿など、全く想像がつかない。
そもそもどう厳しくするつもりだろうか。

真尋が考えなしに言っていることは、紬にもよくわかる。
猫のように上半身を伸ばして、そのまま肘置きに凭れた。
そうすると、紬のいるダイニングカウンターが良く見えるからだ。
丸い透き通った瞳は、真っ直ぐに紬を捕らえている。

「どうしたら、月岡くんは私の傍にいてくれるの?」

優れた射手によって放たれた矢のような一言だった。
とんだ殺し文句だ。

ガシャン、と手から平皿が零れ落ちた音で紬ははっとした。

「うわっ、すみません!」
「そんなのいいよ、別に。怪我してない?」
「大丈夫…大丈夫ですから、来ないでください!真尋さんが怪我しますから!」
「あいた」
「言わんこっちゃない!」

拭いていた平皿は今や粉々になって床に散らばっている。
手に持っていた布巾のお陰で紬の手は無事、足元もスリッパを履いているので怪我の1つもなかった。
ただ、素足で寛いでいる真尋は別だ。

ペタペタと幼い足音をさせて何の考えもなしにこちらにやってきた真尋は皿の破片を踏んだらしい。
軽々しく痛いというが、足の裏をある程度深く切ってしまったらしい。
床に血が広がっていく。
もしかしたらまだ足に刺さっている可能性がある。

「あはは!やっぱり月岡くんは面白いね」
「面白いって…!それどころじゃ…とにかく、ソファーに!」

片足でぴょんぴょんしている真尋の腕を肩に乗せて、紬は彼女をソファーに座らせた。
座らせてすぐにタオルと救急箱を取りに洗面台にバタバタ向かう。
あまり使う予定はなかったが刃物を購入したわけだから万が一にと買った救急箱が真尋の役に立つとは思わなかった。
タオルも濡らして、リビングに戻る。

リビングでは真尋がソファーの上で▽座りで踵を両手で包むように持っていた。
血がカーペットに零れないようにとその体制になったのだろう。
紬が戻ると、恥ずかしそうに笑った。
真尋の前で膝をついて赤く染まった足の裏をタオルで拭き取っていく。

「ねえ、月岡くん。ここに居ようよ。どちらにしても、私、もう一人暮らしは無理だもの」

足の裏にざっくりと皿の破片が刺さっていた。
相当痛いだろうに真尋は平気な顔をしている。

確かにこんなでは、一人暮らしは難しいだろう。
じわじわと外堀を埋められていく。
真尋の足の裏から皿の破片を丁寧に取り除く。
縫うまではないと思いたいが、一度病院に行った方がいいだろう。

「…そうみたいですね」
「そうだよ。月岡くんが甘やかすからこうなっちゃった」
「俺のせいですか」
「うん。だから責任とって」

足が治ったとしても、真尋は1人暮らしなんてしたがらないだろう。
何らかの方法を以てして、また紬を呼び出すに違いない。
そして、紬もそのお願いを断れないだろうことも確かだった。

今まで1人で過ごしていた真尋の中に引きずられるがままに入り込んだのは紬だ。
その責任を負えと、真尋はそう突きつけた。

「…わかりました。でも1年だけです」
「えー」
「えーじゃないです。俺も真尋さんも、甘やかし甘やかされの生活から脱しないといけないと」

強引で依存性の強い人だ。
優柔不断でぼんやりしている自覚がある紬にとっては、良くも悪くも離れがたくなってしまう。
自ら気を引き締めて、線引きをしっかりとしなくてはならない。
お互いのために国境を設けなくてはいけない。

ひんやりとした足に包帯を巻き終えた。
その足をそっと地に降ろして、苦笑いする。

「地に足をつけて暮らしてくださいね」
「幽霊じゃあるまいし、足くらいつけてるよ」
「…国語も勉強し直しましょうか」

脱力しながらも、紬はどこか温かな気持ちがしていた。
間もなく春が訪れる。
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