6.浮世離れ
カレーなら平皿とスプーンだけでどうにかなるし、ストックができるなと思っていたけれど、ちょっと今回は難しそうだ。
紬は大盛のカレーに温玉を乗せたものを美味しそうに頬張る真尋を見て苦笑いした。

華奢な身体のどこに入っているのか、男である紬よりもよく食べる。
ご飯も念のためと3合にして正解だった。
2合だとストックできなかっただろう。

「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
「ほんと美味しかった、ありがとね!」

カレーを大盛2皿、その上でデザートのプリンも美味しそうに食べている。
通りで冷蔵庫の中がコンビニのご飯で埋まるわけだ。
夏の日差しのように明るい笑顔に、意味もなく紬まで明るい気持ちになる。

4つあったプリンのうち2つ完食した真尋はスプーンを咥えたまま、財布を漁り出した。
先ほど包丁を買ってくるようにと言われて渡された財布とは別の海外ブランドの財布だ。
真尋はその中からお札を1枚出して、紬の上着のポケットに捻じ込んだ。

「はい。今回の食費」
「ちょ、ちょっと待ってください!多すぎです!」
「え?これくらいするでしょ?」
「しませんよ。レシートありますから…」

5000円札ならまだしも、まさか1万円札を捻じ込まれるとは思わなかった。
米や包丁を買ったとはいえ、近隣のスーパーが安かったこともあって5000円程度で済んでいる。
数枚のレシートを真尋に手渡すと、びっくりした顔でそれらをまじまじと眺めている。

食後のコーヒーを淹れるべく席を立った紬の後ろで真尋はウソォ、と女子高生みたいな感想を呟いている。

「えー、こんなに安いの?」
「…次はもう少し良いのにします?」
「ううん、美味しいからこれでいいんだけど。何でこんな安いの?月岡くん、めっちゃ節約上手じゃない?」
「え…?いや…駅前のスーパー、安かっただけかと…」

紬はようやくそこで察した。
真尋は相当裕福な家で育った、その上生粋の箱入り娘だ。
裕福な家と言うだけなら、花嫁修業くらいあるのかもしれないが、家事すらできないとなるとそれすらもしていないということ。
それでも許される家なのだから、きっと自分が想像できないくらいに大きな家なのだろう。

そう思うと、不意に頬が引き攣るのを感じる。
手元のインスタントコーヒーを淹れる手が止まる。
それなら身の上の分からない自分よりも、きちんとした家政婦を入れるべきだ。
できることなら、男ではなくて女性で、きちんとドリップコーヒーを淹れられるような。

「また作ってくれる?」
「ええと…俺なんかの料理でいいんですか?」
「うん。実家よりもずっとおいしかったし。人と食べるのも久し振りで楽しかったし」

それが本音なのか、それとも適当な嘘なのか、世辞なのか。
紬は何となく本音っぽいけどな、と目を細めた。
真尋は嘘を言ったり、お世辞を言ったりするような人ではないように思える。

インスタントコーヒーにお湯を注いだ紬に、真尋はうんうん、と頷いた。
どうやらインスタントコーヒーの存在は知っていたらしい。
ティースプーンで粉を溶かすべくくるくる掻き混ぜている。
ちょっと安心した。

「カレーに卵乗ってるの、初めて見た!あれ、何の卵?」

眩暈がしそうなほどきらきらした笑顔は、紬の常識を一気に覆した。
前言撤回、温泉卵も知らない20代とどう接したらいいのだろう。

「温泉卵です…知りません?」
「温泉卵は知ってるけど、初めて食べた」
「あはは…そうなんですか。初温泉卵ですね」
「触感が変わってるけど、美味しかった。卵は万能だね、流石」

まあ、でも悪い人ではないのだ。
何も知らない赤子のように無邪気で純粋なだけで、害はない。
何より卵が好きみたいだ。

マグカップを両手に持って、紬は実家の犬のように後ろをついてじゃれついて回る真尋に注意しながら、リビングのテーブルについた。
プリンはもうないが、先ほど玉ねぎを仕舞おうとしたときに見つけたクッキーがある。
真尋のことをもう少しよく知るために、会話をした方がいい。
彼女が一体どういう人で、どういう風に接すると言いのか、何が好きか、嫌いか。
知っておかないと、これからの方向性を決めかねる。

「家で作れますよ」
「え、温泉ないよ?」
「温泉じゃなくても作れるんです、これが」

そうは思っているが、紬は真尋との他愛のない無意味な話をやめられない。
真っ白なスケッチブックに新しく絵を描き始めたような気分だ。

クッキーの入っている袋の口を丁寧に開け、背を開く。
真尋はそれだけでもおお、と嬉しそうに紬の手元を見て笑うのだ。
温泉卵を家で作って見せたらきっともっと面白い。

「今度、一緒に作ってますか」
「包丁握ったことない私でもできる?」
「そりゃ、できますよ。なんたって包丁をつかうことはありませんし」

卵料理で包丁を使うことはほぼない。
マグカップを覆う彼女の細い指が傷つくことはないのだ。
次のご飯は確実に温玉乗せになるな、と思いながら紬はクッキーを一口に食べた。
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