5.常識知らず
最近部屋を探し始めた紬は、この部屋の家賃を予想してみていた。
部屋はリビングともう2部屋、リビングダイニング、ロフト付き、トイレ風呂別、マンションの最上階、最寄駅、スーパー、コンビニ徒歩10分。
単身向けの部屋ではなさそうだし、10万くらいは下らないと思われる。

真尋の年齢を知らないとはいえ、30代ということはないだろう。
20代単身でここに住むのはすごいことだ。
手に持っているスーパーの袋を持ち直して、フロントのパネルに801と打ち込んだ。

「こんにちは、月岡です」
“月岡くん、こんにちは!今開けるね〜”

確かにいちいちこれをやるのは面倒に思う気持ちも分かる。
ただ、女性の一人暮らしだしこれくらいあった方がいいのも確かだ。

エレベーターで8階まで行って、真尋の部屋は角部屋。
絶対に家賃は相場より高い。
どんな仕事ならこんな部屋に住めるのだろうか。
大手の商社かメガバンク…国家公務員かもしれない。

スウェット姿でドアから半身乗り出して手を振るどうにも子どもっぽい様子を見ると、到底そんな風には見えないけれど。

「いらっしゃい」
「お邪魔します。あ、これよかったら」
「プリンだ!ありがとう、一緒に食べよ〜」
「はい、ぜひ。あ、冷蔵庫開けてもいいですか?」

駅前のケーキ屋さんのプリンが美味しいと大学の友人が言っていた。
1人で食べるには気が引ける値段だが、人への手土産と思えば罪悪感も薄れる。
そういえばアレルギーや好き嫌いを聞いていないことに今更気付いたが、真尋も嬉しそうだからほっとした。
真尋は早速プリンの箱を開けながら、いいよーと適当に答えた。

スーパーで買った豚小間を仕舞いながら、若干不安になってきた。
一応、家政婦っぽく料理をするつもりで来たが、豚小間でよかったのだろうか。
それなりに良い家に住んでいるわけだし、牛の方が良かったか。

「真尋さん、カレー好きですか?」
「うん、好き。今日カレーなの?」
「はい。豚小間ですけど…」

やった、と嬉しそうにしているからカレー自体は平気そうだ。
その点は一安心だと紬は胸を撫で下ろした。

冷蔵庫に入れるものを入れて、遊ぼうとせがむ真尋を宥め、とりあえず洗い物から片付けることにした。
相変わらず平皿とボウル、それからフォークやスプーンばかりだからそう時間はかからない。
片付け終わったら、そのままカレーを作るべく野菜を袋から出した。

「真尋さん?包丁とまな板どこにあります?」
「ないよ?」
「え?」
「え?」

包丁とまな板を探したが、見つからない。
どこかに仕舞ってあるのかと思い、リビングでテレビをつけている真尋に声を掛けると、とんでもない返事が返ってきた。
お互いによくわからないまま、ダイニングカウンター越しに顔を合わせた。

真尋は本当に紬の驚いている意味が分からない。
包丁とまな板などなくても食事はできる。
困ることはないと思っていた。

「…え、ないんですか?」
「だって使わないし」
「いや…家政婦さんは使うんじゃ…」

そこでようやく、真尋は話の本質に気付いた。
確かに料理をしない真尋は使わないが、料理をするにはほぼ必ず必要になる。
そもそも料理をすると言う考え自体がなかった真尋はそれに気づくのに時間がかかった。

まさかの反応に紬は純粋に驚いた。
驚いたうえで、気の抜けた笑いが出てきた。

「あははーうっかりしてたね」
「あはは…買いに行きましょうか」
「そうだね。ハイこれ、財布!」

なんだか違う世界に住んでいるみたいだ。
料理をするときに包丁を使うということを忘れているとか、財布を他人にぱっと渡してしまうとか。
普通だったらそんなことできない。

ただ、真尋はそれを簡単にやってしまう。
それが吉と出るか凶と出るかなんてことは、考えていない。
信頼を置いていると言うより、細かなことは気にしない大雑把さ。
いっそ清々しいくらいの思い切りが、今の紬には心地よかった。

一緒に行こうとは言わずに、紬は部屋を出た。
どうせ彼女は外に出たがらないし、包丁も使わない。
真尋を連れていく必要は一切ないから。
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