5.
アブラクサスが帰ってから、#ナナはせっせと夕食の準備をしていた。
本当なら、今日は仕事があったはずだがそれもなくなり、小さな身体では#ナナの手伝いをすることもできず。

リドルは仕方なく、ソファーで本を読んでいた。
年末にかけて忙しくて、こうしてゆっくり本を読む暇もなかったから有難いと言えばそうだが、如何せん、何もしないでいると言うのは気が引ける。

「#ナナ、」
「あ、リドル。やることはないから本でも読んでて」

自分が休んでいるときに、#ナナに動かれるとなんだか落ち着かない。
掃除はクリスマス前に殆ど終わらせていて、年末にやる分はいつもの掃除くらい。
家でやること自体がそう多くない時期であることだけが、不幸中の幸いだ。

意外と料理が好きな#ナナはアブラクサスが帰ってから、1時間くらいキッチンに籠っている。
リドルは暇を持て余していた。
彼は暇と言う時間がどうにも苦手だ。

「#ナナ、何かないの」
「何もないよ…本当にじっとしていられないね」
「子ども扱いするな」
「大人の時も、じっとしていることなんて殆どないと思うけど」

読んでいた本も飽きてしまって、リドルはそれをサイドテーブルに置いて、ソファーを立った。
…立ったではなく、降りたが正しいのだが、認めたくはない。
いつもよりもちょっと遠いキッチンに、#ナナは立っている。

普段、彼女の旋毛を見ているリドルだが、まさか膝裏を見ることになるとは。
ある意味新鮮と言えばそうだが、どうにも屈辱的である。
#ナナの着ている部屋着のワンピースの裾を引っ張り、彼女を呼ぶ。

「#ナナ」
「はいはい」
「…絶対子ども扱いしているだろ」
「実際、今のリドルは子どもだもの」

ちょいちょいと控えめに裾を引くリドルに、#ナナが多少なりとも心が躍ったのは言うまでもない。
リドルはとても不服そうだ、そんな顔も可愛らしい。

ただ、そろそろ彼のプライドも悲鳴を上げるころだろう。
名残惜しいが、子どものリドルとはお別れしなくてはいけない。

#ナナはリドルの脇の下に手を入れて抱き上げた。
小さくなったリドルだが、もとより小柄な#ナナにとってはそれでも、それなりに重い。
抱きしめると、子ども特有の甘いミルクの香りによく似た匂いがした。
柔らかな頬に自分の頬を寄せて、きゅうと強めに抱きしめる。
リドルは何も言わなかった。

「…気は済んだ?」
「うん、済んだ」
「#ナナのことだから、解毒剤もあるんだろ?」

#ナナは微笑んで頷いた。
散々に脅しかけてみたが、元々解毒剤も用意してある。
新しく作った薬なので、いつ解けるのか、そもそも自然に解けるのか怪しいため、きちんとそちらも作った上での実験だ。

#ナナはリドルを抱きかかえたまま、戸棚の奥にあった小瓶を取り出した。
その小瓶をリドルに手渡し、ソファーに再び戻す。
リドルはその小瓶を開けようとしたが、小さな手では力が足りない。

「…#ナナ」
「っふふ、ごめんってば」

わざとではない、予想外の展開に#ナナは肩を震わせた。
じっと睨むようにこちらを見ているリドルの手から小瓶を受け取った#ナナは、その口のコルクを取ってから、再度リドルに手渡した。

リドルがそれを飲み干すと、いつも通りのサイズに戻った。
ようやく一安心、と言わんばかりにぐっと立ち上って伸びをした。
まるで狭いところに閉じ込められていた猫みたいだ。

「お帰り」
「お帰りって、#ナナが勝手に子どもにしたんだろ」
「まあ、そうなんだけど。休めた?」
「十分にね。最後の方なんて持て余したくらいだ」

大きくなった呆れ顔のリドルは、悪戯好きの小さな可愛い#ナナを抱きしめた。
#ナナに抱きしめられるのも悪くはなかったし、甘やかされるのも良かったが、やはりこちらの方がしっくりくる。

擽ったそうに笑う悪戯っ子の頬にキスをして、ソファーに引き寄せる。
今日一日、オリオンやアブラクサス、それから自分の相手をしていた#ナナは随分と疲れたことだろう。
そうなるきっかけを作ったのは#ナナ自身とはいえ、それなりに大変だったことに変わりはない。

「でもこれで、年末年始は休みだね」
「それが狙い?」
「ん。それもある」

嬉しそうにしている#ナナを見て、若干リドルは心が痛んだ。
年末年始仕事の可能性があると伝えたから、彼女はこんな手の込んだ作戦を立てたのだろう。
先ほどまでは広く感じていたソファーも、今は狭いソファー。
手を伸ばせば彼女にすぐに触れることができる。

#ナナの頬を撫でようと伸ばした手は、空を掴んだ。
唐突に#ナナは立ち上がって、キッチンへ行ってしまった。
リドルには#ナナの考えることはいまいち読めない。
他の人の考えていることは大体わかるのに、一番分かっておきたい人の気持ちは分からないままだ。

「誕生日おめでとう、リドル」

でも、それも悪くないと思えるようになった。
こういった驚きの混ざった喜びを得ることができるようになったから。

#ナナが持ってきたのは、イチゴの乗ったシンプルなショートケーキだ。
2人だけだから、そう大きなものではない。
ただの丸い、イチゴのホールケーキ。

「懐かしいな…子どもの頃、欲しかったやつだ」
「うん、そう。リドルの子ども姿見てたら、思い出したの。そういえば、食べてなかったなって」

昔…本当に昔、孤児院時代の頃、#ナナとリドルはこの丸いホールケーキに憧れていたことがある。
孤児院のあるストリートの向かい側、少し歩いたところにケーキ屋があった。
そこには様々なホールケーキがいつも並べられていて、#ナナとリドルは暇があると、色とりどりのそれを見ていた。
丸いケーキをみんなで仲良く分けることは、貧しい孤児院では難しい。
だから2人はそれを実際に食べたことはなかった。
その後、各々何度か誕生日は迎えたが、そういえばホールケーキを食べることはなかった。

#ナナもそのことを心のどこかで覚えていた。
小さなリドルの寝ている姿を見ていた#ナナは、はっとそれを思い出したのだ。
本当は甘さ控えめのタルトにしようと思っていたのを、急遽変更してショートケーキにした。

「…ありがとう」
「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう」

ホールケーキはある種、平和と幸せの象徴だ。
あのとき、ショーウィンドウに見ていた幸せな世界が、今手元にある。

Little Happiness
(手のひらサイズの幸せ)

「来年は絶対に子どもにするなよ」「リドルがちゃんと休んでくれるならね」
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