02.My presence
少女はいつからその屋敷に住んでいたのか覚えていない。
家族のことも、自分の過去のことも、どうして死んだのかも何もかも覚えては居なかった。
覚えているのは唯一、名前だけ。

少女は自分自身がナナと呼ばれていたのを覚えていた。
ナナというのがおそらく自分の名前であることだけ、それだけが彼女を何とか繋ぎ止めていた。

とはいえ、繋ぎとめられていても精神をすり減らすだけだった。

『…、誰か来た…』

自室のベッドの上で膝を抱え、窓の外を見ていたナナはぽつりとつぶやいた。
その声は空気を振動させることなく消える。

屋敷の門をくぐっているのは黒いフードを着た人が3人ほどだった。
どうすることもできないのだが、ふらりふらりとナナは起き上がり、ふわりふわりとエントランスへ出た。
とにかくかすかな希望にかけることしか彼女にはできない。

「…悪くないな」
「名門一家の屋敷ですのでしっかりしていると思いますが」
『…?子どもじゃないのね』

いつもどおり、シャンデリアの上からナナは訪問者を見ていた。
大体この屋敷に来るのは幽霊屋敷を見に来る子どもたちで、たまに少し大きなお兄さんが女の人と来る程度。
大人が来ることはまったくといっていいほどない。
しかし、最近2人ほど彼らと同じような黒のローブに身を包んだ人が来たのを思い出した。

ともかくナナは遠くから彼らの姿を眺めた。
皆黒いローブを着ていて分かりづらいが3人は全員男性のようだ。
右に立つ背の高い人が屋敷の説明をし、左隣の人が頷いている。
真ん中の人は何も言わず、ただじっと前を見据えていた。

この左右の人は見たことがあった。
先ほどいった最近来た黒いローブをきた2人組だ。
声やしぐさ、魔力でなんとなくわかった。

引き続きランはシャンデリアの上から3人の様子を伺う。

「昔はいい家だったんだろうな」
「ああ、仕掛けも多かったらしい」
「…」

左に立っていた男性は少し声が高い。
きょろきょろとあたりを見渡しているらしく、手元の明かりがふらふらと辺りを照らしていた。
右の人は冷静に手の書類を読んでいるようだ。
真ん中の人だけはだんまりで、何かを探っているようにも見えた。

『…ここに住む人かなあ…』

いつものようにシャンデリアをブランコ代わりにして一人遊びをしながらの言葉だった。
ぽつりとナナのつぶやいた言葉は、辺りを少しだけ揺らして消えた。
いつもそれは誰にも気づかれず、すぐに溶けて消えてしまう。

しかし、今日は違った。
真ん中に立っていた人が、じろり、とシャンデリアをにらんだのだ。
ナナはどきっとして、ぴたりと動きを止めた。

「おい、この家にゴーストが住んでいるなんて聞いてないが」
「…いえ、私が確認したときにも、オリオンが見たときにもいませんでしたが」
「お前たちには見えていないか」

真ん中の男の目は間違いなくナナを捕らえていた。
左右の男はまったく見えては居ないようで、真ん中の男の行動を不思議そうに見ている。

ナナはもう一度、彼に話しかけてみることにした。

『私が、見えるの?私の言ってること、聞こえる?』
「ああ、俺だけのようだが」
『…っ!』

ナナはうれしさのあまり、シャンデリアから飛び降りた。
結構な高さがあるのだが、無論死んでいるのだし問題はない。

『はじめてよ、私のことわかってくれたの!』
「相当消えかけているな、お前」
『?そうなの?』
「これだけ見えない上に誰にも認知されていない。何で存在しているんだ、お前は」

気づいてもらえた嬉しさのあまり、くるくると彼の周りを回る。
彼が呆れたように話しているのもどうでもよいと思ってしまうほど、ナナははしゃいでいた。

何年、一人ぼっちでいたのかわからないが長いこと人と話していなかった。
だから嬉しくてたまらない。
冷静に聞けば自分の存在を否定されているようなものなのだが、今のナナがそれを知覚するのは難しいことだった。

「…本当に居るんですね」
「ああ。子どもだ…おそらくこの家の娘か何かだろう」
「…ここの屋敷で死んだ子どもは居ないはずですが…」

はしゃぐ少女を尻目に、左隣の男…オリオンが真ん中の男に問いかける。
真ん中の男はナナを見つつ、ナナの特徴を簡潔に述べた。
右隣の男は手に持っていた書類をじっと見て、そのような子どもはこの家には存在しないと言う。
では、この目の前の少女は何だというのか。

真ん中の男は、少女に向かって言う。

「お前、名前は」
『ナナよ、ナナって呼ばれていたの』
「…アブラクサス、ナナという娘が居たということは?」
「ありません」

右隣の男、アブラクサスはきっぱりとそういいきった。
彼の手元の資料にはこの家のことが書いてあったが、ナナという女児の名前は載っていない。
この屋敷は比較的最近立てられたものらしく、1世代しか暮らしていなかった。
そのため、住んでいた人間の数も少なく、リストアップも簡単だった。

資料に間違いはない。
それでは、目の前のこの少女はいったい何者なのか。

『ねえねえ、お兄さんたちここに住むの?』

そんな疑問を知らず、少女は無邪気にそういってのけた。
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