異変に気がついたのは案外にも早い時期だった。
今まで人を好きになるなんて感情はなかった。
女にも男にも不便はしなかった、放っておいても向こうのほうから寄ってくる。
この子もまた、あの時の生徒と同じように自分によってくる。
しかし、この子は自分の中で特別なのだと最近思う。
「ヴォルデモート、おかえりさない!」
ナナは小さな身体でタックルに近い行動をする。
これをするようになったのはいつごろからだったのか、いまいち覚えてはいない。
しかし、きっと自分が忙しくなってここにあまり帰ってこなくなったあの時期からだろうとは思う。
無邪気なナナは、とにかくお帰りなさいを言う。
これもナナに言われて気づいたことだが、お帰りなさいというのはいい。
帰る場所があるというのはほっとするものだ。
孤児院以外に帰る場所がなかった頃、自分の居場所がなくストレスをためていたものだ。
よもや闇の帝王と呼ばれる自分がそんな穏やかな思いを今更抱くとは思ってもいなかった。
それもこれも、此処に居座るナナの存在のせいだ。
「ただいま。大人しくしてたな?」
「うん、してたよ!」
孤児院にいた頃、子どもは周りにたくさんいた。
でもどいつもこいつも自分を化け物のように扱うし、大人も腫れ物に触るかのような様子だった。
どんなに優等生になっても誰も、その扱いを変えてくれなかった。
考えて見ればそれもマグル嫌いの根底にあるものなのかもしれない。
ナナを抱える。
たった今人を殺したこの手で、死んでいるナナの身体を抱える。
たった今仲間を殺したこの手で、無邪気なナナの身体に触れる。
きょとんとしているナナだが嫌でもないのか胸に頬を擦り付けて甘えてくる。
昔孤児院にいた野良猫を思い出す。
変に人馴れしていたあの猫を。
あの猫は自分以外の人にもああして甘えていたのだろうか。
それを考えると、少々嫌気が差す。
猫相手にそんなことを思うのもおかしな話だ、彼(もしかしたら彼女だったのかも知れない)は生きるために人間を利用していたのだから。
そこまで考えて、ああ、その猫は自分じゃないかと嘲笑した。
ナナもあの猫と同じなのだろうか。
この屋敷に居るものに優しくされたら、無邪気なナナは誰しもにこうして甘えるのだろうか。
それを実験するのはいささか気が引けた。
今は、自分だけに甘えていればいい。
此処に閉じ込めて、自分だけを見ていればいい。
「ヴォルデモート?何考えてるの?」
「なんでもない。ただの下らない戯言だ」
「ふぅん、そうなの」
ナナは特に気にする様子もなく、またもぞもぞと胸元に戻った。
そのまま眠ってしまおうという魂胆だろう。
それも悪くはない。
また、思考の海に身を沈める。
ナナは自分のこうした汚い部分に気づいているのだろうか。
無邪気に笑うナナももう精神年齢的には十分歳を重ねている。
ナナも自分のいない間にさまざまなことを考え、迷いっているのかもしれない。
もうナナは自分たちが何をしているのか気づいている。
マグルとそれを守ろうとする魔法使いを殺して回っていること。
ナナは殺しをしてすぐのものには決して触れようとしない。
オリオンやアブラクサスが帰ってきても、それが殺しの後であるとナナは彼らの帰宅を気づいていないようなそぶりを見せる。
彼らが部屋に来てようやく、彼らに触れる。
間違いなく、ナナは気づいている。
ゴーストである彼女だからこそ、死には敏感なのだろう。
それでもナナは自分たちについてくる。
屋敷のすべてが彼女の掌の上にあるのだから、此処にいる人間全員を締め出すことだって可能なのだ。
それをしないということは、ナナはそれを容認しているということ。
ナナはどう思っているのか。
聞きたいが、聞けない。
聞いてしまえば、この微妙なバランスが崩れてしまうような気がしていた。
気がしていた、というよりかは確信していた。
証拠も何もないが、本能的にそれを感じ取っていた。
どうすることもできないジレンマに身を焦がしても、腕の中の少女はのんきに甘えるのだ。
ただ、いえることは。
生きている人間よりも、よっぽど死んでいるナナのほうが温かいと自分が感じていること。
きっと、自分はナナを――――、
「――――」
「…?なんか言った?ヴォルデモート」
「いいや。なんでもない」
口から零れたらしくない言葉は空気にかき消されて消え、ナナには届かなかったようだ。
それでいい、これもまた、ナナには聞かせられないことなのだから。