5.アキメネス
きっちりとしたビジネススーツに、綺麗に纏められた黒髪。
背筋は自然と伸ばされていて、整然とした様子で、どこか取っつきにくい。
170cmはありそうな背丈の女性は、睨むように紬を見ていた。

「アポイントを取ったところは評価に値するわね、月岡さん」

嫌味とも取れる言葉に、紬は頬を引き攣らせた。
以前アポイントなしで彼女に会って、物凄く遠回しに叱られたのを思い出す。
礼儀作法に厳しい彼女は、片岡美弥子…千冬のマネージャーだ。

彼女にアポイントを撮った理由はたった一つ、千冬と会うには彼女に頼まなくてはいけないからだ。
紬は真っすぐと彼女を見据えた。

「それで?話って何かしら」
「千冬に会わせてください」
「またその話?」

怪訝そうに目を細めた美弥子に、紬は一瞬たじろいだ。
彼女のようにはっきり物を言う人が紬は苦手だ。
ただ、美弥子に認めてもらうには、こんなことでたじろいでいてはいけない。

美弥子は真っ直ぐにこちらを見てくる紬に、多少なりとも期待を抱いていた。
昔のようにおどおどとした子供っぽい様子やこちらの気を伺うような雰囲気が抜けている。
もう少し試す価値はありそうだ。

「お隣さんは彼女さんかしら」
「いいえ。ご挨拶が遅れてすみません、MANKAIカンパニーの監督兼マネージャーのいづみと申します」
「なるほどね。あなた、また芝居を始めたの」
「はい」

隣に連れていたいづみに関してわざと嫌な言い方をしてみたが、彼女もまた、賢い。
紬が慌てて答えてしまう前に、いづみ自身でしっかりと自己紹介をしてこの話題を終わらせた。
あくまで立ち合いでしかないという意思表示ができている。
いづみに関して深堀をしても何も出てこないだろうことがよくわかる。

美弥子は改めて紬に向き合った。
最後に会った時は、芝居の道を諦めていた。
進むべき道を失った紬に、千冬を任せることはできないと美弥子は判断した。

「千冬は未だにあの時のままよ。前に進んだあなたと違って」
「俺が千冬を連れて、一緒に前に進んでいきますよ」

しかし、今の紬はその時とは全く違う。
きちんと進むべき道も、意志も、持ち合わせている。
これならば、千冬を任せても悪くはない。

紬と違って、千冬は未だに前に進むことができず、足踏みをしている。
冬の特別公演、“雪の女王”にだけ出演し、それ以外の時は劇団の経理をしている。
滅多に劇団の外に出ることはなく、劇団内に居てもコミュニケーションを殆ど取らない。
元々内向的な性格だったことも災いし、今は表情が変わることも稀にしかない。
本当の“雪の女王”だと噂する劇団員がいるくらいに、今の千冬は冷たく触りがたい。

「…わかったわ。千冬に会わせる。今すぐでもいいけど」
「いえ、千冬に先に話をしてください。彼女、突然のことに弱いですから」
「そうね」

本当の千冬は“雪の女王”などではなかったはずだ。
美弥子は悲しみに暮れた千冬の姿しか知らない。
ただ、彼女の本質がそこにないのは、何となく分かっていた。

紬は、本当の千冬の姿を知っている。
“雪の女王”になってしまった彼女を、普通の女性に戻すには、誰かの力が必要だ。
それこそ、お伽噺の王子様のような存在が。

「私から、千冬に伝えるわ。もしかしたら、嫌がるかもしれないけど…まあ何とか言い包めて連れてくるから」

紬は王子様というにはどうにも心もとないが、まあ、千冬にとってはそうなり得るのだろう。
千冬もそろそろ前に進まなくてはならない。
舞台の上の氷の世界と違って、現実世界は止まることがないのだから。
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