4.スノードロップ
華奢な花弁が下向きに垂れた背の低い花。
スノードロップを見ると、幼稚園の教室の片隅で、絵本を抱えて小さくなっている姿を思い出す。
彼女は人の目に付かないように懸命に首を垂れて、身体を小さくして何かから隠れるようにしていた。

その彼女に、初めて紬は自ら声を掛けた。
普段は丞の後ろに隠れてばかりの紬が、初めて自分から話しかけた相手が千冬だった。

「千冬と俺、それから丞は幼稚園の頃からの親友でした」

幼い記憶の中の千冬は、おっかなびっくり俺の方を見たのを覚えてる。
まるで目を合わせたら吠えられる犬の前を通り過ぎる時のように、慎重にちらとこちらを見て、すぐに目を逸らした。
俺は確か、千冬の持っていた絵本が読みたくて、声を掛けた。
本を見せて、と言ったような気がする。

千冬は徐に、俺の前で絵本を開いて読みだした。
朗々と丁寧に、母が読むように読みだした。

「俺と千冬はそのうち、お互いに好きになって、高校生になって付き合うようになって。それから大学までそれが続きました。問題は、大学卒業間際に俺がGOD座を受けた後でした」

その声が俺は好きで、良く千冬に声を掛けるようになった。
幼稚園から小学校に上がるときも、中学に行くときも、高校も、大学も。
全て千冬と同じ場所を選び、ある時は千冬が俺に合わせ、ある時は俺が千冬に合わせ。
3人揃って同じ学校に通うのが当たり前になった。

千冬が拒んだのは、芝居だけ。
恥ずかしがり屋で人前に立つことに慣れない千冬は舞台の上に立つのだけは、と困ったように笑っていた。

「俺がGOD座に落ちた冬、今まで芝居なんてしたことがなかった千冬が舞台に上がりました」

初めて見た、雪の女王の演目は今も覚えている。
観客に目もくれず、女王としての役を涙ながらに演じ切った。
その時、俺は別に千冬に呼ばれたわけではなく、丞に言われて初めて彼女が舞台に立つことを知った。
どういうことか分からないままに見せられた演目が、自分たちが数年で身につけた技術以上の感動がそこにはあった。

「…物凄い才能でした。俺も丞も気づかなかったけど、彼女には歌の才能があった。それを見初められて、スカウトされたんだそうです。…俺、遣る瀬無いやら悔しいやらで、なんで君がなんて、彼女に当たり散らしたんです」

丞はまだよかった、彼女の才能に驚くだけだった。
ただGOD座を落とされたばかりの紬には耐えられなかった。
自分たちがしてきたことを全て否定されたような気がしてしまった。
人前に立つことをあんなに嫌がっていた千冬が、簡単な気持ちで舞台に立つわけがないのに。

その時のことを、紬はあまり覚えていない。
覚えていないなんてなんて無責任なことかと紬は今思っているが、その時は本当に自分が自分じゃないかのようだった。

「元々千冬は繊細で、そんなことを言えば酷く傷つけることなんて分かってたんです。でも止められなくて。気が付いた時には、もう千冬は酷く泣いて、取り乱していて。俺、その千冬に謝りもせず、呆然と立ってました。丞に殴られて、ようやく状態を飲み込んで、なんてやっているうちに、騒ぎを聞きつけた千冬のマネージャーと鉢合わせて…出禁になりました」

気が付いた時には丞に殴られ、千冬はマネージャーに抱きしめられて泣いていた。

初めて舞台に立って、それだけでも緊張していただろうに、追い打ちを掛けるように幼馴染から心無い言葉を投げつけられた。
丞からも酷く叱られ、芝居を続ける気も起きず、そのまま丞とも千冬とも決別していた。
ただ、どうしても千冬にだけは謝りたいと何度か女神座に行ったが、それも叶ってはいない。

「美弥子さんというのが千冬のマネージャーさんで、彼女をスカウトした方です。…当たり前ですけど、俺のことをものすごく嫌っていて、決して千冬に俺を近づけないようにしているんです」

千冬のマネージャーの美弥子さんに言われた言葉を、紬は未だに引きずっている。
役者としても、人としても最低なことをしたことを自覚すべき。
彼女はそう言った。
それは、自分も間違いがないと思っている。

紬は様々な要因から役者として、もう一度舞台に上がった。
ただ、過去の後悔とトラウマは、未だ紬の中で燻っている。
前者は決して忘れてはいけない楔だ。

「俺は大好きな芝居の道に戻ってきました。でも、千冬は戻ってこない。傷つけておいて、こんなこと言うなんて烏滸がましいと思いますが…俺、千冬が好きです」

ずっと3人で歩いていた道。
一度別れて1人になって、今は丞と2人で歩いている。
…どうしても、もう1人いないと駄目だと感じる。

欲張りに違いない。
それは分かっているけれど、後悔はしたくない。

「千冬とこのまま決別したくはないんです。せめて、きちんと謝りたい」

一度すべて投げ出して逃げた、投げだしたそれらを、今紬は拾い集めて進んでいる。
もう手にできない場合もあるかもしれないことは分かっている。
ただ、手を伸ばさずにはいられない。
手が届く場所にあるなら、伸ばしてみるべきだと思えるようになった。
それで叩き落とされたなら、その時また考えればいい。

真っ直ぐ見据えたいづみの顔は驚きを湛えていた。
ただ、目を合わせるとすぐに笑った。
前に進もうとしている紬を応援せずにはいられない。
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