understand
気だるげに細められた繊細な造りの目は、先ほどから同じ一文を睨んでいる。
普段なら簡単に読み進めるような本なのに、眼球は微動だにしていない。
多少の熱気を含んだ風が館内を通り過ぎ、そのついでにアオイの耳に掛かっていた黒髪を攫って行った。

幼い子供のようなふっくらとした指が、黒髪をまた所定の位置へ戻すのを眺めていたレギュラスだったが、ふいに顔を上げたアオイとばっちり目を合わせる羽目になった。

「…何をそんなに気にしているの?」
「それはこっちの台詞。そのままじゃ、そのページに穴が開くよ」

怪訝そうにそう言ったアオイを誤魔化すように、わざとらしく彼女の手にある本に視線を移した。
本のタイトルは“思えば不思議な魔法”であり、授業で使用する参考文献というよりは、一般的な軽い読み物の分類に入るような内容である。
レギュラスはその本を読んだことはなかったし、興味もなかった。

アオイは本を広げて、レギュラスの前に置いて見せた。
無いように目を通すと、そこには「魔法の基本原理について」という表題がつけられていた。

「魔法の基本原理ね…マグルが考えそうなことだな」
「気にならないの?」

そもそも、魔法と言うものは考えるだけ無駄な場合が多い。
原理が分からないまま1000年以上が経過している分野の話であるがゆえに、それを解明しようとするのは非常に物好きな研究家くらいだ。
解明したところで、金になるわけでもなく、何かが救われるわけでもなく、魔法はいつまでたっても魔法で、それ以上でもそれ以下でもない。

生まれてから魔法と接し続けている魔法使いにとって、魔法は不思議なものではない。
原理や理由が分からないとしても何一つとして困ることなく、便利に使うことができる。
当たり前の根本を探ろうと言う考えは、殆どの魔法使いは持ち合わせていないのだ。
だからこそ、アオイの純粋な疑問自体が、レギュラスにとって不可思議なことだった。

「じゃあアオイは、マグルの製品…例えばテレビなんかがどうやって動いているのか気になって調べたりする?」
「するけど」
「…まあ、アオイはそうか」

大抵の人々は当たり前に使えているものに対して、疑念を抱かなかない。
使えているのだからそれでいいし、使えなくなったらその時に原因を考えればいいと思う。
レギュラスは答えが出るとも限らない曖昧な思考を続けたいと思わなかった。
愚かで詰まらないのはこちらかもしれないと思わないわけではないけれど。

目の前に座るアオイはレギュラスが考え込んだのを見て、本を閉じた。
彼は気づかないだけで、気づいてしまえば色々と考え込む人であるとアオイは考えている。
雑念を入れ込んでしまったかとも思ったが、こういう、とりとめのない話がアオイは好きだった。

「分からないでいるのは怖いことだと思うの」
「…まあ、それは一理あるけど」
「分からないままでもいいけれど、分からないと自覚した状態でいるのって、ちょっと辛い」
「それは分かる」

アオイはレギュラスの言葉に少しだけ目を丸くした。
マグル生まれのことを馬鹿にしている彼だから、下らないことと笑われると思っていたのだが、いい意味で当てが外れた。

「でしょ?」

それが少し嬉しくて、浮足立つ心を抑えるようにレギュラスを見た。
口元を覆って俯いている彼を見たアオイは小首を傾げた。

レギュラスは驚きを隠せずにいた。
アオイは感情の起伏が異様に平坦で、レギュラスは彼女の声音だとか口調で感情を判断することが多い。
図書館で出会ったレイブンクローの彼女は13歳にしてはあまりに静かで、揺蕩う水面のように微細な変化をするものだから、彼女を理解するためには少しだって目を離すことはできない。

「レギュラス?」
「何でもない。本当にアオイは物好きだな」
「まあ、そうかもしれない」

小首を傾げたままのアオイにレギュラスは苦笑いした。

この3年、贈り物やカフェ巡り、テスト勉強など色々なことをしてきた。
どんなに小さくても、アオイの変化が見たくて、それだけのために。
だというのに、こんなに下らない、どうでもいい会話で笑うのだ。

アオイはレイブンクローの変わり者、本だけがお友達、図書室が自室なんて言われるくらいだ。
考えてみれば、その辺の女の子が喜ぶようなことでアオイが喜ぶはずもないのかもしれない。

「…でも、レギュラスも変わってる。そうでしょ」
「何でさ」
「レイブンクローの変わり者に付き合うなんて、相当な変わり者以外無理だと思うけど」

真顔でそう言うアオイが可笑しくて、レギュラスは肩を震わせて笑った。

「変わり者って自覚はあるのか」
「そこまで仰々しくはないと思ってるけど、まあ」

自覚がないと思っていたが、アオイは変わり者である自覚を持ち合わせていたらしい。
その上、ちょっとだけ気にしているようである。
周囲の評価を気にしないと思っていたから、仰々しくないなんて気にしたような言葉を使ったことにも少しだけ驚いた。

彼女はそれだけ話すと拗ねたように本のページを徒に捲った。
アオイは周囲が下す、自分への評価を全く無視しているわけではない。
寧ろそれなりに考えていて、考えたうえで周囲からの評価よりも自分の価値を重んじている。
自覚がないほどの馬鹿ではない。

「僕はアオイが好きだから付き合ってるんだけど」

レギュラスはアオイが変わり者だから面白がって傍にいるわけではない。
変わり者であっても、そうでなくても、アオイだから傍にいる。
いつかはそれを伝えようと思ってはいたことだった。
勘違いされても、それならまた伝えればいいと思いながら軽く伝えた。

アオイは無造作に捲っていたページを、乱暴に閉じた。
閉じられた本を腕に抱いて、アオイは立ち上がった。

「…私のこと、そんなに鈍感だって思ってる?」

アオイは立って、座っているレギュラスの真後ろに立った。
顔を見られるのが恥ずかしかったからである。

確かにアオイは変わり者で、活字と学びを何よりも大切にしている。
ただ、友情や愛情がないわけではない。
経験は殆どないが、知識としては持ち合わせている。

同室の女の子たちが夜にヒソヒソ話す恋の話だとか、オシャレの話だとか、キスの話だとか。
そう言うものを、アオイは聞いたことがある。
アオイみたいにそういうことに縁がないような生活はしたくないとまで言われたことがある。

そんなことはない、と言えるような生活はしていないけれど、なんとなく腹が立った。
別にそんなもの欲しくない、縁がなくっても結構だと思っていたはずだった。
しかし、今の胸の高鳴りだとか、真っ赤になっているだろう顔は正直だ。

「待って」
「やだ」

今までちっともそんな風な様子は見せなかったのに、いきなり普通の女の子みたいに少しの冗談まで織り交ぜて話す姿にレギュラスは今度こそ驚いた。
ダメ元でふざけた言葉が伝わってしまったと、慌てて振り返ったレギュラスが見たのは、薔薇色に染まった頬とバツが悪そうに逸らされた黒い瞳だった。

アオイはレギュラスが振り向いた直後にすぐにその場を離れようと一歩、後ろに下がった。
レギュラスは慌てて本を抱いたままのアオイの腕を取った。

「分からないことをそのままにするのは怖いこと、だろ」

軽い冗談に乗せた言葉じゃ、お互いにわからない。
レギュラスはアオイの言葉を借りてそう言ってみたが、アオイは引け腰で後ずさりし、後の本棚に足をぶつけていた。
いつだって自分なりの答えを追い続けていたアオイは、初めて目の前の答えを知るのが怖いと思った。

レギュラスの手を払うこともできずに、立ち竦んだアオイはそれでもきちんと前を見ると、真っ直ぐなライトブルーの瞳が黒い瞳の中に差し込んだ。
分からないことは確かに怖いが、分かってしまうこともまた怖いものがあったなんて。

「や、やっぱり、分からないままなのもいいと思う」

藪蛇だったのだ、突っつかない方がいいところをうっかり突っついた。
ちょっとだけレギュラスに腹を立てて、うっかり触ってはいけないところを触った。
そして出てきた蛇に、アオイは恐れをなしたのである。
自分を守る様に腕の本を強く抱きしめて、辛うじてアオイはそう伝えた。

世の中知らない方がいいこともある、というのはアオイの祖国の言葉だ。
それに加えて、知らぬが仏、なんてものまである。

レギュラスは恐れをなしたように潤んだ瞳を揺らすアオイに脱力しそうになった。
先ほどの強気な発言は、感情に任せたものだと気が付いたからだ。

「アオイに言われたくはないけど、今回はそう言うことにしておこうか」

年上の女のように駆け引きをしようとか、そういうレベルの話ではなかった。
鈍感ではないにしろ、その辺りの経験がアオイにあるわけがなかった。
同い年ではあるけれど、活字と紙と羽ペンが一番の友達なアオイに恋愛はまだ早いのかもしれない。

まるで蛇に睨まれた蛙のように怯え切った目をされては敵わない。
レギュラスはアオイの腕から手を離して、一歩彼女に近づいた。
近付けば、アオイは怯えて更に強く本を抱きしめて身を固めてしまった。
いつかその本みたいに、アオイの細い腕で抱きしめられることを夢見ながら、レギュラスは家族にするような触れるだけのキスを彼女の額に落とした。

「この話は、また今度で」
「期待しないで待ってるよ」

レギュラスはまだ赤いままの頬を隠すように俯いたアオイに笑いかけて、彼女の手から本を奪い去った。
本を失って空虚を様っていたアオイの手を取って、レギュラスは図書室のドアを目指した。

分からないことを考えることは、無駄であるだろうが、時に楽しくもある。
レギュラスは握ってしまえば手に入るものを、あえて手のひらで泳がせる楽しさを知ってしまった。
アオイがいつか自分の気持ちをよく知って、今度は彼女の柔らかな唇から答えを聞けたなら幸せだ。
その日を夢見て、レギュラスはしっとりと汗ばんでいるアオイの手を握りしめた。
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