Re start
レースのカーテンが揺れる出窓、隣の製薬室に繋がるアンティークのドアノブ、クローゼット、繊細な生地の天蓋付きのベッド。
見慣れたオリュンポスの自室に、夕子は戻ってきた。

「全く…夕子も損な性格してるよ。セオドールに付いていけばよかったのに」

リドルはため息をつきながら、パタパタとせわしなく動く夕子に荷物を手渡した。
衣類を仕舞っている夕子は、そう?と答えるだけだ。

夕子は卒業間際にセオドールから研究室に入らないかと言う誘いを受けていた。
ノット家お抱えの研究室は魔法省からも一目置かれるくらいの大きな研究所の1つで、給料も設備も福利厚生も整っていた。
寮も配備してくれるというセオドールの良心的な誘いを、夕子は断ったのである。

「リドルはそっちの方が良かった?」
「僕はどっちでもいいんだけど。夕子にとって条件がいいのはセオドールの方だっただろ」

オリュンポスに戻る、と夕子が決めた時、リドルは特に反対をしなかった。
本当にいいのかと聞くことはあったが、止めることはなかったのだ。
リドルは夕子がオリュンポスに戻る理由を聞くことはなく、ただ、夕子がそう言うならと思ったのだ。
もちろん不思議だったし、リドル自身なら間違いなくセオドールの研究室を選択していた。

夕子は小首を傾げて、まあそうだけど、と答えた。

「なんだか疲れちゃったし、貧乏でもいいから休みたいの」
「…ああ、まあそうだろうね」
「それに、セオが“いつでもやりたくなったら声を掛けてくれ”って言ってくれたし。落ち着いたら考えるよ」

疲れた、と苦笑いする夕子にリドルは少し心が痛くなった。
本当は楽しくなるはずだった夕子の学生生活は途中から、未来の自分の対処と薬作りで埋まってしまったのだ。
ここ数年、ずっと張詰めていたから生身の夕子が疲れるのは当たり前のことだった。
最近生身に戻ることができたリドルはその感覚を忘れてしまっていたのだ。
生きていた感覚を忘れてしまっている、という事実は彼を落胆させた。
夕子に拾われてから数年、リドルはそれなりに人間らしく生きていたつもりだった。

「リドル、手伝って」
「あーあー、無理しないで」

クローゼットの上に物を乗せようと背伸びしている夕子をみて、リドルは慌てて彼女の傍に寄った。
成長したとはいえ、15歳くらいから夕子の身長は伸びることをやめてしまっていて、小柄で可愛いらしい大人になった。
まだ自分の方が大人に見えるとリドルは安堵したのだ、夕子はもう、彼よりも年上だったから。

「リドル?」

無事クローゼットの上に今のところは使う予定のない洋服の入った箱を乗せることができた夕子は、ふとリドルを見て不安になった。
何か思案するように遠くを見る癖は、彼が何か思い悩んだときのものだ。
また一人何か考え、悩んでいるのだろうか、と思うと、夕子も悲しくなる。
リドルはいつだって1人で抱えようとするからだ。

不安げに見上げる夕子の瑞々しい黒い瞳が、ぎゅうと胸を締め付けた。
夕子は成長するが、リドルは成長することができない。
いくら彼女が童顔であったとしても、いつかは夕子の方が年上だと思われる時が来る。
リドルはそれが目下、最も恐ろしい事態だった。

「わたし、リドルが好き。リドルが消えちゃうのは絶対嫌だった。一緒に成長できないのは分かってる。でもわたしも止めることはできるから、だから」

夕子は成長していた、言葉に出さないと伝わらないことをリドルよりもよくわかっていた。
リドルが何を恐れているのか、夕子にはあまりわからない。
ただ、リドルが何かを恐れて不安がっているのは分かっていた。
そして彼がそれを決して言葉にしたがらないことも。

だから夕子は、自分の考えはきちんと伝えるようにしようと心に決めた。
自分のわがままでリドルを生かすと決めたその時から、リドルには真っ直ぐでいようと、彼が不安にならないようにしようと、そう決めていた。
夕子が想いを言葉にすることを、火を噴きそうなほど恥ずかしく思っていて、拙い言葉でしか伝えられなくても、それでもリドルには全部伝わっていた。

「ごめん、愛してる。愛してるよ、夕子」

夕子が苦手なことをこうも一生懸命にやって、自分を想ってくれているのに、一体何をしているのだろうとリドルは苦笑いした。

お互いに縛って、縛られて、それでいいと思った。
求めるように伸ばされた夕子の腕がリドルの首筋に触れた。
夕子からそう言う風にしてくるのは珍しいことだ、とリドルは喜んで屈み彼女を抱きしめ、熱い唇を合わせる。
夕子の細い腰に手を添わせると懸命に背伸びをしている夕子の震えが指に伝わって、背筋を痺れさせた。
もっと欲しくなって、角度を変えて何度もキスをしていたが、夕子の方が限界を迎えたらしい。
ふらふらしだした彼女をベッドに押し込めて、続きをと一旦顔を離した時だ。

耳まで真っ赤に染め上げた夕子を見て、リドルは嬉しくなった。
可愛くて可愛くてしょうがない。

夕子は積極的なリドルをおずおずと見上げて、おもうんだけど、と舌足らずな声で話し出した。

「リドルって、これだけ甘やかしておいて、まだ私がどこかに行っちゃうと思うの?」
「そりゃあ。夕子って自覚ないけど美人だし、癖はあるけど面白いし。魅力的だと思うから」
「…あの、…そっか。リドルは自覚あると思ってたんだけど、リドル以上にいい人を探そうと思うと、相当大変だよ…」

リドルの言葉に夕子は更に顔を赤くしながらも、そう答えた。
なんて恥ずかしいことを言うのだろう、と手で顔を覆いたくなったが、両手はリドルの手が独占しているから、それは叶わなかった。

リドルは夕子の言葉に一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐに笑い出した。

「そう言えば、そうだね」
「そうだよ…」

呆れた様子の夕子の首筋に顔をうずめて、リドルは笑った。
18歳になった夕子は、どれだけ美しいだろうか。
甘い乳白色の肌や黒真珠の瞳、時折薔薇色に染まる頬、柔らかな果実を彷彿とさせる唇。
今はまだ愛くるしいという言葉が似合う夕子だが、艶が出てきたら化けるだろう。

それもまた、楽しみだと思えるのは、夕子のお陰だと思う。

「ありがと、夕子。これからもよろしく」
「こちらこそ、リドル」

こつ、と汗ばんだ額をくっつけると夕子はくすぐったそうに笑った。
溶け合うような熱が心地よくて、生まれて初めてリドルは生きていてよかったと思った。
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