Sweet Fragrance
欲求を叶えたお陰か、大人しくなったオリオンに部屋で待つように伝えて、リドルは自室を出た。
杖を取り上げようとしたが、理性はしっかりと残っているようで手放すのを嫌がったため、彼の手にはまだ杖がある。
ダメ元で外から鍵をかけたが、出ようと思えば出られてしまう状態だ。

急いで医務室に入ろうとしたリドルの隣を、青いネクタイが通り過ぎた。
女だったと思う、独特な甘い香りが漂っていたからだ。

「…!きみ、」
「は、はい?」

その甘い香りは先ほどまで嫌と言うほど嗅いだ匂いだった。
リドルは慌てて振り返り、すれ違った生徒を呼び止めた。

長いクリーム色の髪を適当に一つに括っている、野暮ったい眼鏡の女だ。
身嗜みにはずぼらなのだろう、ネクタイも巻かれているだけで締められていない。
なぜ呼び止められたのかわからないと言わんばかりの素っ頓狂な声を上げた女は、ずり落ちた眼鏡をくい、と押し上げた。

「え、っと、何でしょう」
「ちょっといいかな?」
「…え、っと、何でですか」
「ここでは少し話しづらいから」

はあ、と怪訝そうに眉を寄せる女の手を多少乱暴に退いて、リドルは人気の少ない廊下へ向かった。
女からは、オリオンと同じ甘い匂いが漂ってくる。
間違いなく、何か関与している。

温室に向かうための小路で、リドルは足を止めた。
この辺りなら、人は滅多に来ない。
念のため人払いも済ませた後に、女と向き直った。

「ええと、ミスター・リドル?何か用ですか?」
「ああ。ミス、その甘い香りは一体どういった薬品?」
「…ま、まさか。リドルくん、飲んだの?」
「僕じゃない。誰とは言わないけれど、スリザリンの下級生が誤飲して…なかなか面倒なことになっていてね」

明らかに動揺した様子のレイブンクロー生にリドルは確信した。
温室の傍は暖かいだろうに、レイブンクロー生の顔色は真っ青である。
間違いなくこいつが犯人だ。

レイブンクロー生は終始両手の指をもじもじとさせながら、目を泳がせている。
話し方もおどおどしていて、レイブンクローらしからぬ様子だ。
頭はいいのかもしれないが、聡明とは言いかねるような気がする。

「解毒剤があるよね?」
「…今、作ってる最中です。もしかして、ブラック君ですか、飲んだの…」
「その通り」
「わ、わあ…まずいな、それは…」

まずい、と軽く話しているが、まずいどころの話ではない。
今のところ、オリオンの興味はリドルにしか向いていないからいいものの、他の人間に向いたら大変である。
惚れ薬系であれば、時間が経てば経つほど、その人の品位を損ねる可能性が高くなる。
だからこそ、誤飲しないように注意を払っているオリオンがこれ以上失態をされすようなことがあれば、立ち直るのに大変な時間がかかることだろう。

「で、どうなりました…?」
「はあ?君、効能もわからないままに作ったの?」
「いえ、効能は分かっています。ただ、人によって変わるんです。解毒剤もそれに合わせて少し変えないといけないので…どうなりました?」

おず、と伏せていた顔を上げたレイブンクロー生の目は、心なしか輝いている。
とんだマッドサイエンティストだったようだ。
自分自身が実験台になるならまだしも、他人を巻き込んでいるのだから大変に迷惑だ。
リドルは苛立ちを覚えたが、解毒剤のためには答えるしかなかった。

「…効力は惚れ薬とほぼ同等だったようだが」
「まさか!そんなはずありません。ほぼって何ですか」
「対象が女じゃないという点で、ほぼ、だ」
「あ、男性だったんですか」

リドルの言葉に一度声を大きくして否定してきた辺り、薬に対しての自信があるらしい。
薬の効力の一部を伏せられるなら伏せておこうとしていたリドルの狙いは外れた。
リドルが本当にことを遠回しに言うと、レイブンクロー生は納得したようにうなずいた。

彼はレイブンクロー生が、自分が遠回しにし、なお伏せた事実に一瞬で気づいたことに驚いた。
レイブンクロー生はそのリドルの内心を感じ取ったのか、ガムシロップ入れのような形のガラスの小瓶を取り出した。
蓋は金属製で、…風邪薬の原液が入っている容器によく似ている。

レイブンクロー生はその小瓶をリドルの前で振った。
甘い匂いがふわりと舞う。

「私が作ったのは“人を好きになる薬”です」
「“人を好きになる薬”…?惚れ薬だろ、それ」
「違いますよ!惚れ薬は相手の判断能力を鈍らせて好きにさせる薬です。私が作ったのは、自分の臆病心を無くして、相手への興味を深める薬です」

なるほど、とリドルは頷いた。

レイブンクロー生は初対面の人間と話すのに慣れていない、言葉頭がはっきりしない、どもる。
恐らく、レイブンクロー生は自分でこの薬を飲むつもりだったのだろう。
短時間の会話の中で、彼女の奥手そうな様子はリドルに伝わっていた。
それだけの理由で新薬を作ろうとする辺りは、まさにレイブンクローといったところか。
リドルは赤い目を細めて、レイブンクロー生を睨んだ。

「大体、お前いったいどんな魔法をかけたらこうなるんだ?」
「こうって…ただ単に人好きになるだけ…」
「ただ単に?…もし君がそれを狙っていたならこれは失敗作だ。ただ単に人好きになるだけなら、別にこんなに焦ることはない」

何らかのきっかけで彼女が飲むはずだった薬を飲んだオリオンは、臆病心どころか羞恥心も無くしてしまっていたのだから、大問題なのである。
羞恥心や自制心はある程度残さなくてはならない。

そういう微妙な性格や周囲の環境を変化させる薬の開発は異常に難しい。
今回のように、極端な例が出やすいからだ。
レイブンクロー生もそのリスクについては理解していたのだろう。
怪訝そうに眉を顰めた。

「…何か他に?」
「この薬、本来の応力がどうであれ、惚れ薬としての効力があるようだが?」
「え、嘘…じゃあ…リドルくん…」
「そういう目で見るな。何かされていたら、それこそお前を探している場合じゃない」

真っ青な顔で問いかけたレイブンクロー生に軽く経緯を伝えたところ、きょとり、と彼女は目を丸くした。
その後、吹きだすように笑ったので、リドルは堪え切れずレイブンクロー生の頭をひっぱたいた。
笑い事ではないのだが。

ひっぱたかれても、肩を震わせたままのレイブンクロー生にリドルは呆れた。

「っ、あ、うん…」
「ミス、笑っていないで早いところ解毒剤を作らないとブラック家から呪われることになるけど、いいんだな?」
「い、いや、それは…!」

瞬時に笑いを止めたレイブンクロー生は、また顔色を悪くした。
オリオンに薬を盛ったとあれば、ブラック家が黙っているわけがない。
彼女の名前をリドルは知らなかったが、ブラック家の大きさくらいは彼女くらいの年の魔女であれば十分に理解できるだろうことは分かっていた。

慌ててローブからラベルの貼られた小瓶を2つ取り出した彼女は、それらを混ぜ始めた。
混ぜるたび、彼女のローブからはガチャガチャとガラス製品の擦れる音がする。
どうやら様々な薬品を持ち歩いているようだ。

「で、でも、惚れ薬の効力が随分強いみたいだったので、それであれば、簡単に。鬱とかじゃなくてよかったです」

解毒が大変だったとしても、鬱の方がまだましである。
リドルは静かにため息をつきながら、小瓶を振るレイブンクロー生を観察した。

この新薬のベースは結局のところ、惚れ薬だ。
でなきゃ、あんな挙動をするはずがないことをレイブンクロー生も理解している。
惚れ薬の解毒剤はある程度のレベルの魔法使いであれば、比較的安易に作ることができる。

レイブンクロー生は傍にあった木箱の上に、いくつかの小瓶を並べていく。
それらを迷うことなく、てきぱきと混ぜ合わせていく。
惚れ薬の解毒剤は安易に作ることができるが、惚れ薬自体は作るのが難しい。
それを自力で作り上げ、更には改造まで加える辺り、魔法薬の成績自体は悪くないらしい。
その他の一般常識が欠落しているだけで。

「で、君の名前は」
「え…、あ、ユーリアです。ユーリア・モトレイ…」
「そう。じゃあユーリア、解毒剤はいつできるの」
「え、えっと、夕食前には…」
「わかった。すぐに届けて。これ以上、オリオンから目を離すとまずいから」

小瓶を並べて始めたレイブンクロー生…ユーリアを一瞥して、リドルはこれであれば、そう時間はかからなさそうだと判断した。
オリオンはリドルの自室に閉じ込めておいたが、何をしでかすかわからない。
だからと言って自室に戻ると、それはそれで何をされるかわかったものではない。
アブラクサスに助けを求めようかとも思ったが、あの男が今のオリオンの状態を笑わないわけがないからやめた。

リドルの周囲の人間のうちで、最もまともで穏やかな男だ、できる限り尊厳を損なわせることなくすべてを終わらせてやりたい。
そのためにリドルができるのは、彼がリドルの自室から出てこないように見張ることくらいだ。

「あ、あ、ちょっとまって!」
「何?」
「持って行くって、スリザリン寮に?」
「そりゃあそうだ」
「な、なんて言って入れてもらえばいいですかね…?」
「僕宛てに届け物って普通に言えばいいだろ」
「え、受け取ってもらえますかね…?」
「もらえる。断言できるから、言う通りにしろ」

リドルへの贈り物は非常に多い。
スリザリン生たちはそれにもう慣れている。
フクロウ以外の方法…本人に直接渡したいと言う生徒のために、代理で受け取る生徒がある程度いてくれるくらいだ。
今日はエイブリーが暇をしていたはずだから、彼が受け取ることだろう。

ユーリアはリドルの言葉に不安げにしていたが、ややあって頷いた。
その姿を見て、リドルはその場を立ち去った。

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