He is funny
静まり返った地下の男子寮に、革靴の音だけが反響している。
通り過ぎるたび、蝋燭の火が揺れ、黒い影を揺らしていた。

リドルは無表情で階段を下り続けた。
スラグホーンの研究室で愛想笑いをし続けるのも、なかなか疲れる。
学校内、教授の研究室、図書室…どこでもリドルは笑顔を張りつけている。
己のためであるからできることだが、疲れないわけではない。

「リドルさん」
「…何だ、オリオンか。勝手に部屋に入るな」
「ふふ、すみません。お疲れかと思って人払いはしておいたのですが」
「ああ…それで静かだったのか」

人気のない階段を下りて、自室に繋がるフロアに足を踏み入れた瞬間、一つの扉が開かれた。
ただでさえ地下室は音が籠りやすく、響きやすい。
これだけ静かだったら、部屋にいても足音が聞こえるのだろう。

扉から出てきたのは、下級生のオリオンだった。
彼が出てきた部屋はオリオンの自室ではなく、リドルの部屋だ。
下級生ではあるが、家柄が良いが故にかなり自由だ。
リドルのことを慕う彼は、意味もなくリドルの自室に入り浸ることがある。
だから、リドルも彼が自室から出てくるのにはそう驚かなかった。

「ええ。どうぞ」
「そこはお前の部屋じゃないと何度言ったらわかるんだ?」

どうぞ、と扉を開けているオリオンの隣を通り抜ける。
甘いコロンの香りがしたので、リドルは多少眉を顰めた。
オリオンはそう女遊びの激しい生来はないから、珍しいことだ。
もしくは、女遊びの激しいアブラクサスの元で時間を潰していたか。

どちらでも別にいいか、とリドルは鞄を放って、ベッドに腰を落ち着かせた。
オリオンはうっすらと笑みを浮かべたまま、リドルの放った鞄をラックに掛けた。

「それで、リドルさん。少しお伺いしたいことがあるのですが」
「…ちょっと待て、オリオン。お前、何か飲んでないか?」
「やだな、アルコールなんて飲みませんよ」

オリオンがリドルの隣に腰掛けた。
リドルはここで、オリオンの異変に気付いた。

普段、オリオンは人との距離を見誤るようなヘマはしない。
リドルとの付き合いも浅くない。
だから、リドルが隣に誰かに座られるのを嫌うということをよく知っているはずで、今ここで、疲れている彼に緊張をもたらすような行為をするわけがない。

つまるところ、変なのである。
アルコールの匂いはしない、ただただ甘い香りがオリオンを包んでいる。

「アルコール以外に」
「いえ?特には」
「寄るな。惚れ薬でも盛られたんだろ」
「そんな間抜けに見えます?」

確かに変な話ではあるのだ。
オリオンはもちろん、リドルやアブラクサス、純血家の者たちは基本的に惚れ薬を非常に警戒する。
人からの貰い物には、必ず呪いがかかっていないか確認する。
しっかりとそう躾けられているオリオンが、簡単に惚れ薬を盛られるわけがない。

それに、だ。

「それに、リドルさん。どうして惚れ薬だって思うんです?僕、女の子を誘ったりなんてしていませんよ」
「本当に、なんで僕なんだ」

おかしいと思い距離を取ろうとしたリドルの手を、オリオンはしっかりと掴んだままだ、
意外と力の強いオリオンに、リドルは距離を取ろうにも取れない。
敵意はなさそうなので今のところ実害はないが、手が掴まれてしまっている以上、杖が取り出せない。
話をしている最中も、オリオンは距離を詰めてくる。

リドルは久し振りに身の危険を感じていた。
まさかとは思うが、惚れ薬よりももっと厄介な呪いをかけられている可能性がある。

「何ででしょう?でも、僕、元々リドルさんのこと好きですから」
「気色悪いことを言うな。お前、絶対何か飲んだだろ」

明らかに、何かしらの呪いをかけられている。
オリオンが面と向かって呪いをかけられるわけがないので、恐らく何らかの薬を盛られたに違いない。
大広間で出されるゴブレットのかぼちゃジュースでさえ、警戒する彼が無警戒で飲むもの。
無警戒と言うよりは、警戒ができない、する必要性がないものか。

一体どこで盛られたのかと考えている隙に、オリオンがリドルの手を引いた。
昔は小柄だったオリオンだが、今はリドルよりも身長が高い。
力も彼の方が強く、杖のない状態だと押し切られてしまう。

「いい加減にしろ」
「そう怒らないでください」
「怒るに決まってる。ああ、もうお前、今日何を飲んだのか全部言え」
「ええ…?そうですね…」

甘ったるい香りと声が鼻と耳をくすぐる。
オリオンはリドルをベッドに組み倒し、微笑んでいる。
猫のようにリドルの首元に顔を埋めたオリオンに身の危険を感じたが、どうにも身動きが取れない。
とりあえず会話を続けていた方がいいだろうと、リドルは考えていた。

女にするように、首元に唇を寄せていたオリオンは、リドルの問いかけにようやく体を起こした。
話をするときはきちんと体制を整える癖のある真面目な男でよかった。
リドルの腹の上に座っているオリオンはうーん、と小首を傾げた。

「朝食に紅茶、昼食にかぼちゃジュースを飲んでます。あとは、アフタヌーンティーですね。これは談話室で。もちろん、すべて杖を振った後に飲んでますよ」
「他は」
「うーん…、飲み物ではないのですが、今日、体調が優れなかったので医務室で熱さましを飲んでいますが」

間違いなくそれだ。
医務室で熱さましではない何を飲まされたに違いない。
マダムが処方を間違える可能性はないと思うが、別の人間に渡すべき薬を誤って渡した可能性はゼロではない。
…こんな効力のある薬を誰かに処方する可能性もなさそうだが。

それにしても、これは出来損ないの惚れ薬のようなものだろうか。
リドルを押し倒して楽しんでいるオリオンを眺めながら考えたが、答えが出ない。
同性に惚れるようにできているのか、そうだとしたら 事態は深刻だ。

「で、オリオン。お前はどうしたら、僕の上からどいてくれるんだ?」

オリオンはリドルを襲うでもなく、ただ時折、首筋に顔を埋めたり、神を撫でたりする程度でそれ以上は何もしない。
きちんと話しかければ答えてくれるあたり、多少なりとも理性的である。

頬を赤らめている姿は、性に対して初心な女のようだ。
元々性欲が強い性質でもないオリオンだからこそ、これくらいで済んでいるのかもしれない。
これがアブラクサスでなくてよかった。
この様子であればそう酷いことはされないだろうと想定して、早急にこの展開から解放されるべく、リドルはオリオンに問いかけた。
リドルの頬に冷たい指を這わせていたオリオンは、水底のような暗いブルーの瞳をリドルの赤い瞳に向けた。
たっぷりとリドルの身体を愛でていたオリオンだったが、リドルの言葉にはきちんと答えようと、手を止めて考え出した。

「ちょっと、抱きしめてもいいですか?」
「…それでいいのか」
「はい。そうしたら、退きますから」

オリオンの答えはリドルが想定していたよりも可愛らしいもので、拍子抜けした。
とはいえ、抵抗がないわけがない。
複雑な心境を抱えながらも、挨拶の一環、家族だと思えば、と背筋の悪寒を何とか納めながら、リドルはオリオンを抱きしめた。

オリオンのコロンの香りに包まれながら、リドルはこの後どうしたものかと米神を震わせながら考えていた。
とりあえず、彼が薬を飲んだという医務室を訪れるのがいいだろう。
犯人は現場に戻ると言うのがマグル界でも魔法界でも定石である。

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