.マイ・ホーム
借りた本をトートバックに仕舞って、クロロとエリーゼは歩き出す。
ロングケース・クロックは先ほど14時半を指していた。
歩いてこられない距離ではないにしろ、バスを使った方が快適な距離を歩いたせいか、時間が結構経っていた。
“ドラッグストア”を出るころに12時くらいになるようにとアーデルを出たのに、ストライキのせいで、もうこんな時間だ。

「お腹空いた。なんか食べて帰ろ」
「それがいいな」

サラームで最も大きな広場、ファミリア・トータムに辿り着いた2人は適当な店に入ることにした。
ファミリア・トータムには、午睡を楽しむ老人やお茶をしながら会話を楽しむご婦人、それから大小さまざまなランチワゴンやパラソルで溢れている。

また、広場の外苑にはテラス付きのカフェやレストランが多く並ぶ。
2人は外苑の建物の2階にあるカフェを選んだ。
注文を取りにきたメイドにクロロがサンドイッチとコーヒーを2つ頼んだ。
メイドは2人の前にサラームの地図がデザインされた紙のランチョンマットと水を置いて、去っていく。

「…本当に変わった街だな、ここは」
「何で?」
「通りの名前1つもそうだが…この街、製作者がいるだろ」
「その通り。地図を見るとなんとなくわかるよね」

ランチョンマットの地図を見て唸るように呟いたクロロに、エリーゼは笑った。
地図には通りの名前や広場の名前、有名な建物の名前が簡単に載っている。
サラームの街は、このファミリア・トータムを中心に放射線状に大きな通りが5本走っている。
その5つの通りには、それぞれ名前が付けられている。
サラーム、ビヴァリー、クラレンス、ドロシア、エリオット。
そして、ファミリア・トータムの中央にあるのはトータム・ヒストリアと呼ばれる大きな日時計。

その他、有名な建物には誰かしらの名前が付けられている。
その建物は、サラーム通り側からエリオット通り側へ向かってトータム・ヒストリアから見て近いものから順に、レストラン・フローリア、帽子屋ゲンテン、ヘミング学校、アイスルネ・マーケット。
偶然にしては出来過ぎている、こんなアルファベット順に並ぶわけがない。

「サラームさんはこの街の初代市長。小説家。代表作は“マイ・ホーム”作家名は…」
「ルーデ・ア・ティアム…なるほど。つながった」

“マイ・ホーム”はその名の通り、家族の秘密の物語だ。
父、母、娘、息子、孫の5人が各々の秘密を抱えながら、1日3回、1つの円卓を囲む。
5人分の短編が入った“マイ・ホーム”が代表で、その後、続編がいくつか出ている。
その5人家族の名前は、すべてこの街の大通りの名前と一致する。

ちなみに、“マイ・ホーム”はどこにでも売っている本だが、あまり評判は良くない。
どこにでもありそうな駄作と言っていいような作品だ、なぜか何度か再販をしているが故に稀少価値もない。
まさかサラームの初代市長が書いたものだと誰が想像するのか。

「“マイ・ホーム”はサラームへ人を呼び込むための物語って話。物語性はあんまりだけど、道標にはなるって言われてる」
「どっちが先なんだ」
「街の名前の方が先」

サラーム市長は、この小さな町の大地主だったそうだ。
元より文学や絵画、音楽が好きだった彼はこの街を芸術の街にしようと、様々な芸術家を優遇し、呼び込んだ。
街の学校で芸術分野を伸ばす教育をし、更に芸術家を増やし、街並みをデザイナーたちと考えて街を作った。

そうして出来上がった街に、自分の名前を付けた。
そして街の整備が終わった頃に、彼は小説を書き始めた。
5人の家族の話、作った街の大通りに名前が付いた5人の家族の。

クロロはふむ、と頷いた。
こうして聞いてみると、あのつまらなかった“マイ・ホーム”を読み返す気になる。

「で、この話。まだ続きがあってね。ちょっと怖い話なんだけど」
「何だ」
「サラームさん、死ぬまで独り身だったんだって」

サラームでは有名な話だ。
サラーム・トータムは街づくりに夢中になるばかり、一般的な人生を忘れてしまっていた。
60を超えたあたりでようやくそのことに気付いたが、もう遅かった。
家族を持ってみたい、この街のように芸術に理解があり、ちょっとお茶目で秘密のある家族を。
そうして書かれたのが、“マイ・ホーム”であると言われている。

「…悪趣味だな」
「サラームさんにとっては、この街こそが家族だったのかもね」

人生を掛けて作った街、“サラーム”は今も芸術家の憩いの街として存在している。
それは一つの家族を持つことよりも素晴らしい功労であると、誰しもが思うだろう。
だが、サラーム市長にとってそれが本当の幸せであったのかは、誰にも分らないのだ。

複雑な話であるとエリーゼは思うが、クロロはそう思わない。
自分のやりたいことに人生を尽くすことができることは、非常に幸せなことだ。
加えて家族など作ろうものなら、達成し得なかったに違いないと考えていた。
この街を作るのに、家族は必要がなかった、それだけのことだ。

話が一段落した頃に、メイドが食事を持ってきた。
サラームの飲食店のメイドやウェイターは空気を読む能力が非常に高い。
話をしているテーブルや考え事に耽っているテーブルには決して料理を持って行かない。
敢えてそこを飛ばして別のテーブルに持って行く。
それに対して怒る客もいないわけではないが、作業の妨げをして怒る客の方が圧倒的に多いため、そういうスタンスになっている。

エリーゼとクロロはやってきたホットサンドに手を付けた。
サンドイッチはポケットのような空洞に様々な具材を詰め込み、焼かれている。
作業をしながら食事をするサラームにおいて、サンドイッチといえばホットサンドを指す。

「この街で起こる全ては、サラーム・トータムの物語って言われてるの」
「壮大なことだ」
「そ。でも素敵でしょ」

コーヒー片手に、エリーゼはティースプーンを振った。
サラームの形を示すかのようにくるくると円形を描くシルバーの煌めきは、クロロにとって眩しすぎた。

まさか、と言いたくなるのを抑えて、クロロは黙ってカップを手に取った。
誰かの物語の中で暮らすのは真っ平だとクロロは思った。
そういうところで、エリーゼとクロロは…エリーゼと蜘蛛はと言ってもいいかもしれないが、相容れないのだ。

「そうかもな」

思ってもないくせに、と笑うエリーゼにクロロも笑い返した。
自分にない感情を知ることは面白いことでもある。
だからこそ、自分はいつまでもエリーゼの元に戻ることになるに違いない。
そしてどうにも、自分はエロティックの欠片もない、この面倒で尚且つ理解し得ない人間が好きなのである。
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