ドラッグストア
古本屋は煉瓦道の中にぽつりと建つ、格子窓の建物だ。
明るい赤茶色の煉瓦の間に挟まるように、古本屋のところだけ木で作られている。
暗い色の材木を使っているため、そこだけ影ができているようだ。
扉は引戸で、そこも他の店と違っている。

エリーゼは遠慮なく扉を開け、真っ暗な店内を眺めた。

「まさか、古本屋もストライキなんてことはないだろうな?」
「ないない。ここは仕事なんてしてるようでしてないから、ストライキするほどのストレスなんてない」
「お前みたいな客が来るとストライキしたくなるよ、エリーゼ」

店の中からではなく、エリーゼやクロロの背後から男の声がした。
クロロは反射的に殺気を放っていた、声の主の接近に気づかなかったことを警戒してのことだ。
クロロでも気が付かないほどの見事な気配の消し方、やり手であると判断してのことだった。
エリーゼがクロロの肩を叩く数秒後まで、その殺気は古本屋に宛てられていた。

エリーゼに叩かれてようやく殺気を収めたクロロが見たのは、涙目になっている細身の男だった。

「お、おま、…ヤバいヤツ連れてきてんじゃねーよ…。あーもう無理、店閉めるわ」
「えー、困るよ、せっかく歩いてきたのに」
「大した距離じゃねーだろ。もうそいつ出禁にする、マジ無理」

色の薄い髪は赤ん坊の産毛のような細さで、ふわふわしている。
肌色は病的なほど白く、涙目になっている濃いブラウンの瞳だけが浮いているようだ。
やり手かと思ったのだが、そうではない…ような気がする見た目である。
見た目で判断するほどクロロは愚かではないが、これで本当はやり手なのだとしたら、それこそ本物である。

無理無理、と連呼する青年を呆れたようにエリーゼは見た。
この青年は間違いなくサラームの古本屋『ドラッグストア』の店主、オリヴィアである。
女性の名前をしているが、オリヴィアは間違いなく男で、彼自身名前をものすごく気にしている。

「そんなに怒らないでよ、オリヴィア」
「ヴィーって呼べよ!」

オリヴィアは両手に抱えている荷物を乱暴にカウンターに置いて、エリーゼに向き直った。
そしてエリーゼの後ろにいるクロロを見て、う、とか、あ、とか声にならない声を上げるのだ。
内弁慶とでもいうのだろうか、どうにも強い相手に弱い男だ。

オリヴィアはレジ横の壁にあるスイッチを押した。
じじっと音を立てて、ランタン型の照明に火が灯る。
長いまつ毛に縁取られたダークブラウンの瞳や柔らかそうな薄茶色のセミロングの髪、金縁の眼鏡。
エリーゼと同じくらいの身長で、隣に立っていると女友達と言われても違和感がないくらいだ。
どれをとっても男らしさは皆無だった。

「とにかく!アブねー奴はここに入れない!」
「確かにクロロはちょっと危ない奴だけど、私が手綱握っておくから許してよ」
「馬鹿、お前は俺と同じくらい弱っちいだろ。手綱なんて握れんのか」
「信じてよ、ヴィー。クロロ、三度の飯より本が好きなビブリオマニアなんだ、これでも」

クロロはもうオリヴィアのことなど見ていなかった。
灯りが点いたことで良く見えるようになった本棚に夢中になっていたからだ。
丁度、クロロのいる辺りの本棚には美術関係の本が並んでいる。
絵画の説明が書かれた本や、有名な画家の自伝書、一枚の絵をモチーフにした物語。
様々な本が並べられている、それこそどこにでも売っているような本から、以前ビブリオマニアの中で話題になった絶版本まで、価値問わず同じ書架だ。

クロロが手に取ったのは、見事な絵画が描かれた本だ。
その作家は画家でありながら、本も書き、葬儀もし、死化粧もした。
意外なことに女で、彼女は柔らかで耽美な文体で死をモチーフにした作品を数多く生み出した。
彼女の本の表紙は一冊一冊手書きで作られ、一つとして同じものはない。
そのため、一つの作品に付き、本の数は大よそ10冊程度しか存在しない。

「オルフェンナ・ジュエンの“絵”…」

葬儀屋兼画家のオルフェンナ・ジュエンは最終的に殺人鬼であることが発覚し、死刑にされた。
死を描き続けるあまり、自身で死を感じたくなったというのが動機であるが、葬儀屋の運営がうまくいっていなかったという話もあり、真実は分からない。
しかし、オルフェンナの逮捕後に発覚したその事実は、オルフェンナの作家としての名前に箔を付けた。
死を目の前にし続けたオルフェンナの小説と絵画は、多くの人の興味を引いた。
ただし冊数が少ないが故に、その本を読んだ人は殆どいないと言う。

クロロも興味を引かれた一人である。
数冊は手に入れることができたが、彼女の処女作である“絵”は見つけることができていなかった。
だからこそ、まさか偶然出会えるとは思いも縁らなかった。

「…OK、ビブリオマニアってのは信じよう。でもマジで怖いから、ここで読むのはやめてくれ。他の本に被害があったらと思うと、気が気じゃない!」

かなりコアなマニアの中では有名であるが、一般的には知られていない本の価値をクロロが知っていることに気付いたオリヴィアは、確かに彼がビブリオマニアであると信じた。
ただし、クロロが危険人物であることに変わりはない。

“ドラッグストア”にはオルフェンナ・ジュエンの他にも、稀少な本が本棚に並べられている。
誰でも手に取って読めるようにしているのだ。
だからこそ、自分が信頼できない人間や危険を持ってきそうな人間が入店するのだけは避けたかった。
そんなリスクを伴いたくない。

「分かった、他の本も見せてくれるなら考えよう」
「15分だけだ。それ以上は許さない。…“時間制限権限(タイム・キーパー)”は俺!」
「念は使えるのか…」
「お前みたいな客のために練習したんだっての」

エリーゼは苦笑いしながら、2人の様子を眺めた。
オリヴィアは念能力者だ、ただし、弱い。
エリーゼと同じく、戦闘をしないための能力だ。

「クロロ、オリヴィアの念の先生はサヴァだよ。似たような能力。」
「強制退店能力か?…全く、どいつもこいつも、商売をする気があるのか」
「ないね。自分が好きなようにできればなんでもいいんだから。他の奴に後悔しているだけいいと思え」

師はアーデルのサヴァである…ここまで言えば、何となく彼の能力が分かった。
“時間制限権限(タイム・キーパー)”はその名の通り、時間制限を掛ける能力だろう。
15分とオリヴィアが宣言した以上、15分以上はここに居られないに違いなかった。

クロロは肩を窄めながら、本棚の影に姿を消した。
オリヴィアの円は狭い店内をきちんと覆い切っているようだから、早いところ好みの本を見つけなくてはならない。

「オリヴィア、私が責任もって返すから、借りても?」
「…しょうがないな。丁寧に扱えよ」
「ありがと。クロロも本に対しては丁寧にするから、大丈夫」

女に対してはあんまりな行動をするクロロだが、自分で価値があると思ったものに対してはとことん尽くす。
ただその価値は移ろいやすく、飽きるとその限りではないことは伏せておいた。
その時はエリーゼがしっかりと保管をすればいい。

エリーゼも15分のうちに、1冊くらい借りる本を探そうと店内をうろつき始めた。
“ドラッグストア”の本棚は、オリヴィア自身が読みやすいように適当に分類をしている。
レジ前の“美術”の棚は店の手前に向かって進むと、近代から古代に変移していく。
その右隣の棚には“音楽”…音楽を劇にしたものや、音楽家の自伝、ミュージカル化した小説などが置かれている。

ちらちらと見て、エリーゼはその中から“正直者のマルクル”を選んだ。
本から始まり、オペラにもなった有名どころの本だ。

「エリーゼ、そろそろ15分だ」
「おっと…オリヴィアに借りる本を伝えて出よう」

入口近くでクロロと出くわした。
クロロは手首をトントンと叩いて、エリーゼに時間を確認するように促した。
先ほど“時間制限権限(タイム・キーパー)”に宣告されてから、10分が経過している。

オリヴィアはレジカウンター横のロングケース・クロックと向かい合いながら、本を読んでいた。
2人が帰ってきたのを横目で確認すると、椅子から立ち上がってカウンターについた。
エリーゼとクロロで合わせて4冊の本がカウンターに並べられた。
そしてエリーゼの持ってきた“正直者のマルクル”を見て、眉を寄せる。

「エリーゼ、お前その本好きなら買えばいいだろ…」
「ここに置いてあるやつが好きなの」
「…まあいいけど。貸し出しは1週間。必ず戻せよ」

“正直者のマルクル”は一般書架に置いてあるような、どこにでもある本だ。
クロロが持ってきた“オールド・エイジアの盛衰”や“カドレナの悲劇”よりはずっと価値も低い。
オリヴィアがここにその本を置いているのは、ただ単に有名どころであり、他の演劇と共に置いておくべき演目出るからという理由しかない。

これを貸してくれと言うのはエリーゼだけだ。
買おうと言う者すらいない。

ただ、エリーゼはこの古本の匂いがする“正直者のマルクル”が好きだった。
読み古されて端のよれてきた感じや背表紙のすり切れた始めた見た目、初版にしかない挿絵。
それらが魅力的で、わざわざ“ドラッグストア”で借りるのだ。
そして、より味を出すために絶対に買わないで置いておく。

「エリーゼも変わりもんだよなあ」
「隣の男よりはまし…痛っ!」
「煩いぞ。もう15分になる」

呆れ顔のオリヴィアにエリーゼは拗ねたように、隣のクロロを指差した。
クロロは刺された指を強く握り、そのままロングケース・クロックの方を指差させた。
痛みで涙目の視界でみると、ロングケース・クロックの秒針は、間もなく12を指そうとしていた。

「じゃ、またな、エリーゼ」

かちり、とロングケース・クロックの秒針が天辺を指した。
その瞬間、エリーゼとクロロは何かに引っ張られるように、引き戸の外に追い出された。
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