絵画は卒業後もリドルの手元にあり、彼に様々な知識を与えた。
リドルは卒業後魔法省に入省し、中身から魔法界を変えてやろうと画策している。
夜子はリドルの記事が載っている新聞を読みながら、欠伸をした。
やがて新聞を、鍋の火にくべた。
「酷くない?」
「え、ごめんなさい…?」
「…まあ、別にいいんだけど」
新聞の向かいにいたリドル本人が怪訝そうに眉を寄せていた。
リドルと一年遅れで卒業した夜子は魔法省へ入省したものの、どうにも合わず、半年で退省してとある研究機関の研究員になっていた。
マイペースな夜子にはそこが随分と気に合ったようで、今や最年少研究室長となっている。
休みでも白衣姿で鍋に向かっている姿に、リドルは呆れた。
鍋の中身は薬ではなく、チョコレートなのがさらに酷い。
なぜ白衣なんだ。
「何でチョコレート」
「え?研究員に人に頂いたのだけど、こんなに食べきれないから加工しようと思って」
「何で貰ったんだ?」
「分からないけど、上げるっていうから貰った」
ハロウィンの時期はとうの昔に過ぎた。
無意味にお菓子を貰うような時期ではないのだが、夜子は大鍋一杯のチョコレートを掻き混ぜている。
加工するにしても、量が多いのではないかと思うのだが、それは置いておく。
『知らない人間から物を貰うのはどうなんだ』
「一応顔見知りですし、受け取らないのも悪いかと思いまして」
あまりにも甘ったるい様子に、リビングのチェストの上にいる絵画の中のサラザールが苦言を申し立てている。
顔見知りが無意味にチョコレートを渡すとは思えない。
明らかに下心があるだろうと、サラザールは眉を寄せた。
彼が眉を寄せるだけで何も言わなかったのは、彼から見て右側にいるリドルが怒った様子だったからだ。
生活力がなさそうだとか、どうせ近所づきあいなんてできないだろうだとか、家を探せないだろうとか、散々馬鹿にしながら、理由を付けながら、リドルは夜子と一緒に暮らし始めた。
その真意は言うまでもない。
「何が入ってるか分からないものを受け取るな」
「呪いが掛かっていないのは確認したよ。中に何が入っているか分からないから火にかけたんだけど…、まあ、何も入ってなさそう。フォンダンショコラにしようかな」
『フォンダン・オ・ショコラ。何も入っていないって、何を根拠に…』
「最近作った試薬です。毒の形状をいくつか記憶させていて、それと混ざると色が変わるように作っているんです。あと、一応ベアゾールも用意しました」
日本人特有の言語を話すといちいち訂正してくる煩いサラザールを受け流し、夜子は白衣のポケットから試験官を取り出した。
そこには食欲を削ぐような青色をした液体が入っている。
そして、もう片方のポケットからベアゾール石を取り出した夜子はのんびりと小麦粉を取りにキッチンに戻った。
もうどこから突っ込んでいいのか分からなくなってきたサラザールは面倒になって、椅子に腰かけた。
何も言うまい、と言わん限りの様子に、リドルはため息をついた。
「夜子、その試薬、毒性はないだろうな?もちろん」
「ないよ、100%とは言わないけど」
そのためのベアゾールを持ってる、と夜子は淡々と答えた。
確かに試薬であるし、そうでなかったとしても何事にも100%…完全はない。
同僚の男から貰ったチョコレートだって、100%安全とはいえないと夜子はそう考えていたということだ。
呆れるほど、夜子は人を信頼しない。
誰かから物を貰ったとしても必ず呪いを確認し、口に入れるものであれば今回のように解毒を前提で考える。
誰かからの伝言は伝言元にわざわざ確認を取り、教えてもらったことはすべて調べ直す。
学生時代以前から長らくそうであったからリドルはなれているものの、他の人間にとっては苛立つことこの上ない。
学生時代、この症状はそこまで露見していなかった。
夜子に関わる人間があまりにも少なかったからだ。
それが仕事を介して露見して、ようやくリドルは気が付いた、夜子がスリザリンに選ばれたのはこれが原因であると。
「リドルも食べる?」
他人を信頼しない夜子は、自分に対してメリットがないと分かった人間はばっさりと切り捨てる。
信頼していないのだから、居ても居なくても変わりないからだ。
自分のためなら情を捨て、手段を択ばない姿は、ある種の狡猾さに通ずる。
夜子がリドルについてきている意図を、彼は便利だからだろうと考えている。
リドルがいれば面倒な契約や近所づきあい、価値のない会話をしなくて済む。
小麦粉を篩いながら、夜子は何とはなしにそう聞いた。
別にどちらでも構わないという感情がありありと分かる声音だ。
「毒がないならもらう」
「そう、よかった。こんなに食べきれないだろうから」
良かったと言っているが、本当にそうなのかは分からない。
夜子と長く共に過ごしているリドルですら、時々彼女のことがよくわからなくなる。
他の人間であればなおさらだろう。
リドルは他人に興味のない夜子に興味があった。
彼女の初めての興味が自分であればいいと思った。
思い続けて間もなく5年が経過するが、その願いは敵わないままだ。
それを見つけるまでは、スリザリンらしい彼女の世界から消えてしまわないように、甲斐甲斐しく彼女の世話を焼く。
「夜子、ケーキなんて焼けたのか」
「レシピを見れば大体できるものじゃないの?」
「…どうだか。やってごらんよ」
それが意外と楽しくてしょうがないのだから、恋というものはどうしようもないものだった。