Family's
それでどうして、名無しさんは誘拐された。
誘拐と言ったら名無しさん自身も疑問符が湧くようなものだったが、だがあれは誘拐だったのだろう。

それから数日後に名無しさんの所業は世間にばれ、しかし、それが名無しさんの所業とはされずに終了した。
犯人はおそらく同居していた男だろうとう見解に落ち着き、ただ証拠はないのでなんともならないらしい。
そんなありきたりな事件として、これからもそのまま変わることのない未解決事件としてお茶の間の意識の外に落ちていくのだろう。

「はわ、…んんー、ま、そうだよね」

下水は赤くならなかったらしい。
そりゃそうだ、水は大量に流れているのだから。

「これがお前がやったって言う事件か?」
「あ、うん。そうなんです」
「派手にやったな…」
「これが必要最低限だったんですけどね」

キッチンカウンター越しの長髪(といってもセミロングぐらい)のイケメンお兄さんから手渡されたホットサンドの乗った皿をテーブルに置く。
存在感の薄い部屋の隅に据え置かれた小さいテレビに映る、数日前に目の前にしていた非現実。

その惨劇を聞いて、長髪のお兄さん(名前は覚えてないけど。凄く変な名前だった)は呆れたように名無しさんを見た。

「随分な破壊主義だな…だが悪くない」
「やや、別に破壊主義なわけじゃないですよ」

…そんな趣味があるわけない。
今まで一応普通にごく普通にをやっていたのだから。
ただ、“それ”を探すためだけにやったらそうなっただけだ。
目的と違った結果だけが伴ってしまったわけだが。

おかげさまで、この一賊に入れてしまった。

「あ、これ美味しい」
「そうか。紅茶はいるか?」
「いただきまーす。お腹ぺこぺこ」

チーズとハムのホットサンドを頬張る。
なんだか昨日はいろいろあって、駅弁以外食べれなかったのでうれしい限りだった。
結局半日もホームレスを体験せずに、屋根のもとで眠りにつくこともできたし、何より朝食も出る。
とってもゆとりのある生活だ(まだ一日だけだけど)

「なんだ随分馴染んでるじゃないか」
「ああ、来たのか、双識さん」

昨日と変わって、ジーパンにTシャツの誘拐犯。
相変わらずのオールバックに眼鏡のその姿はやはりイケメンだった。
ちょっとこの空間にいたくないと思う名無しさんだが、そうもいかない。

「おはよう、誘拐犯さん」
「いい加減名前を覚えてくれないかな?昨日そのせいで警官に声をかけられたのを忘れたかい?」
「ううん」

長髪のお兄さんよりも何と言うか、いじりがいがあると思う。
昨日、彼は名前を名乗り忘れていた。
名前を知らないから、適当につけたニックネームで呼びまわっていたのだ。
するとどうだろう、警官が来て、ちょっといいかい?と…あとは想像にお任せするが、そのこと思いだすといまだに笑ってしまうのだ。

「…双識さん、完全に舐められてるな」
「…何がいけなかったかな…」
「冗談ですよ。あえて言うなら自己紹介を怠った罰ゲームです」

人に自己紹介させておいて、自分はしないなんてずるいですよ、と名無しさんは続ける。
まぁ、それはそうだろう、と昨日真っ先に自分から自己紹介してくれた長髪のお兄さんが言う。
ただ、その自己紹介は名無しさんの中の眠気に負けて全く頭に入っていないが。

「お願いだから、名無しさんちゃん、もう一度自己紹介するから」
「え、それはいいです。覚えてますよ、双識さん」

そう、この自称変態誘拐犯、零崎双識。
彼が名無しさんに声をかけて、零崎へ招いた。

名無しさんは楽しそうに笑う。
その笑顔の中身がからっぽだとしても。
それに気付かずに、笑う。

「…でも、ごめんなさい。長髪のお兄さん、覚えてないんですよ…」
「…まぁ、それも…曲識だ」
「ああ…曲識さん、覚えました!」

曲識は若干傷ついたように見えたが気を取り直し、もう一度自分の名を告ぐ。
綺麗なウェーブの髪の毛は女性の名無しさんも羨ましく思う。
名無しさんのひねくれた性格とは逆に名無しさんの髪は一か所もうねったり跳ねたりする曲がったりすることなく、ただただ重力に素直だった。

曲識はティーカップにそっと紅茶を注ぐ。
良い香りが店内に広がったところで、また双識が口を開いた。

「ところで昨日聞き損ねたけど、名無しさんちゃんはあんな殺し方をしたのかな?」
「あ、ちゃん付けしなくていいですよー」
「ああ、そうかい?じゃあ改めて…」
「改めなくてもいいです」

名無しさん的には少し話をずらしたかったが、それはうまくいかない。
やはり自分よりも長く生きているだけあるらしい。

名無しさんは曲識によって運ばれた紅茶に口をつけて、ひとつ間をおいた。
4分休符というよりは8分休符程度だった。

「家族を殺す、ということを嫌悪しているんでしょう?双識さんは」

それは答えに近づくための伏線でもあった。
今まで、双識さんと話しているとそうと思ってるとしか名無しさんは考えられなかったのだ。

双識は当たり前そうに、こくり、と頷く。
その隣で、曲識が表情を変えずに名無しさんを見ていた。

「…だが、名無しさんは彼女…名無しさんの生みの親を家族でないといったね」
「ええ。そもそも、家族の定義ってなんだと思いますか」

名無しさんのあの行為に至るまでの、共通の問いかけだった。
延々と名無しさんはその問いかけの答えを探し続けていた。
そして、それは母親のある一言で1つの答えへと導かれた。

「…恐らく定義自体は、人それぞれだね」
「でしょうね。ただ、それは細かいところの話です。もっと大雑把に、家族は血液、DNA以外で何で結ばれていると、言えますか?」

―――そして、零崎は何で繋がっているのですか?

名無しさんの問いかけに双識は即答した。

「それは、思いやりとか愛だろうね」
「そうですね。私が母を殺したのはそれが母と私の間には欠乏していたからです」
「…つまり、」
「私はあの時母に、“       ”と言われました。それは、私の存在を最初から否定しました。それは、私の今までの行為をすべて崩しました。それは、私が母を母と呼べなくなった瞬間でした。…家族が崩壊する言葉でした」

その魔法の言葉は家族のつながりを消した。
きっと母はそんなことなどこれっぽちも考えていなかったろう。

だが、それは名無しさんにとって、大きすぎる、根元からの、原点からの、崩壊だった。
その崩壊は家族という鎖から蘭を解き放ち、名無しさんを殺人鬼にした。

「私は、新しい家族を、そして、新しい愛を、探すためにここまで来たんです」
「…そうか、名無しさんは合格だな」
「そうですか」

合格じゃなければ、たぶん名無しさんは死んでいただろう。
これ以上名無しさんの原点を壊してしまえば、名無しさんは何もなくなる。
名無しさんという個人がなくなる。
それは等号死を意味する。
医学的にではなく、倫理的に。

「…だがそれは、母親をぐちゃぐちゃにした理由にはなっていないな」
「ああ、それは私の理念の問題です」
「理念?」

今までうんともすんとも言わず、頷きもしなかった、曲識がようやく話に乗ってきた。
目を閉じて座っていたので、名無しさんはちょっとだけ寝ているのかな、とも思っていたくらいだった。
別にそういう訳ではなく、名無しさんの家族に対する概念とかにはあまり興味がなかっただけなのだろう。

ようやく静かに目を開けえた曲識が発した質問は、どこか名無しさんを咎めているようでもあった。
もっと大人しく、綺麗に殺せば良いのに、というのが曲識の思いなのだろう。

「あはは、ちっちゃい時の思い出がまだ私の中に根付いていたんですよ」
「?」
「ねぇ、曲識さん、“愛”ってどこにあると思いますか?もしくは“心”でもいいです」
「…それは目に見えたものではないだろう」

そう、目に見えない。
そんなもの、現実には存在しない。
それは思想上の物質で、現実、三次元には存在しない。
いや、思想としては存在するが、形も何もない。
空気より重くて、地球より軽い。

そんなものだ。

「でも、幼い私は、それはきっと身体のどこかにあるって信じてたんです」

そう、身体のどこかに、心臓の中とか、頭の中とか、お腹の中とか。
どこかに存在して、実存して、目に見える形で、存在すると。
小さい名無しさんは信じていた。

そして、その名無しさんは、名無しさんが成長しても、まだ、名無しさんの片隅にいた。

「…それでばらしたのか」
「そうですよ」

バラバラにした。
身体の動きを停止させて、胸を腹まで開いて、頭蓋骨を粉砕し、中身をさらけ出して。
すべてを分解して、調べて、触って、温かくて、それで、でも、見つからない。

見つかるはずがない。
形はないのだろう?
そんな声がどこかでした気がして、名無しさんはその行為をやめた。
残ったのは、開かれた人の残骸と、母の愛の残骸。

「見つからないんです。愛がなくちゃ、私はいつまでも生きてると言えない」

――― 私は、死んでいる。

まだ死んでいる、生きていない、存在を認められない。
生きていることを、この世界で呼吸していることを、認められない。
認知されない、きっと誰にも。

「必死、だったんですよ」
「…そうか」

曲識はそれだけ言って、また黙りこくった。
少し聞いてしまったことへの罪悪感もある様に見えた。
そんなこと気にしなくてもいいのに、気にしてしまうあたり優しい人みたいだった。

「ま、零崎にいれば嫌でも愛を感じられるさ」
「…主に双識さんのストーカーと変態ぶりでな」

うふふ、と笑う双識を冷やかな目で見る曲識。
なんというか、2人とも仲が良いようだった。

「2人は親友か何かなんですか?」

名無しさんはちょっと羨ましかったので、2人を目前にして聞いてみた。
双識は飲んでいた紅茶を、曲識は飲もうとしていた紅茶をそれぞれ持ち直して、そろっておかしそうに言う。

「家族だよ」
「家族…みたいなものだ」

…ああ、私もこんな風に、なれたらいい。

そう純粋に素直に無垢にそう思った。
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