Fill
四方八方、荒れた田んぼで塞がれていた。
げろげろと、最近は気持ち悪くて触れない蛙が鳴いている。
すぐ後ろは林でその後ろは森。
バスは1日1本のみ、バス停までは歩いて60分。
道に迷うわけがない、道路は一本だけ。

「…これは、また、凄い田舎ね。よく見つけたね」
「貴重だねぇ、この田舎」
「半端ねぇっちゃな…」

この物件を見つけてきた張本人、双識も驚きのようだ。
車から降りた軋識が唖然とした様子であたりを見渡した。
田んぼ以外なにもなかった。
隣の家に回覧板を渡すのにどうするのだろうか。

「ちなみに隣の家までは1キロ以上あるようだよ。コンビニまでは車で1時間以上。まぁうん、トンデモ物件って感じだね」
「私、これ、どうやって暮らすの?物理的に」
「ああ、大丈夫だよ、食材や消耗品は配達で届くから。あ、安心して。名無しさんが好きな連載中の漫画、購読している雑誌、愛読書の新刊、その他の本は一緒に送るからね」

そのあたりまで計画はバッチリらしい。
ありがたい話ではあるが、手がこみすぎてて逆に怖い。

少し前まで人が住んでいたのだろうか、中は綺麗。
部屋は多く、そのすべてが和室。
縁側には我が物顔で猫が眠りこけている。

「うん、うん、住めば都って言うしね…うん、大丈夫、うん…」
「大丈夫だっちゃ、一応ここは電波も届く、インターネットも利用可能、だっちゃ」

説明書を棒読みする軋識が後ろから来る。
双識は猫と戯れていた、適当なやつだ。
なんというか、軋識にはイメージぴったりな環境な気がする。
この田舎がこんなに似合うのは軋識くらいだろう。

まぁそんな失礼なことは言えないが。

「うーん、でもまあ、こういうのもいいかな…でもなぁ…」
「何がそんなに心配なんだい?」
「…独りが嫌」

家族がいれば、どこだって天国なのに。
ここでは、他の家族に一緒にいてほしいだなんて言えないだろう。
だが、ここ以外では名無しさんは、今生きていけない。

一緒にいてほしいなんて、我儘。

「…なーんてね、戯言だよ」
「名無しさんさえよければ毎晩名無しさんの布団にもぐりこみに行くよ」
「くんな変態」
「やめろ」

目が本気だったので一瞬でその意見を一蹴する。
家族同士の親近強姦なんて勘弁してほしい。

軋識もキャラ忘れて鋭い突っ込みを入れる。
それにしても、なぜにそんなよくわからないキャラなのか…。
ラムちゃんだよねぇ、と名無しさんは不思議に思った。
それはおそらくみんなそうだ。
でもキャラがどうなろうと、軋識自体は変わらないので誰も何も言わないが。

「慣れるまでは大変そうだけど…ま、慣れれば都ね」
「一応、今日明日は俺は一緒にいるよ。暇だしね」
「暇かぁ…戦争の後の言葉だとは思えないね」
「ま、終戦のあとの事後処理はないからね」

小さな戦争なるものに今まで巻き込まれいた事実は多少なりともあるものの、そこまでではない。
名無しさんは数週間前のその戦争を思い出す。
あまりいい記憶ではなかった。

とにかく何だかわからない敵から逃げてばかりだった。
殺すにしても、殺していいのやら分らないから、手加減して相手していたが、それは大きなストレスだった。

「ま、少しここでゆっくりしていくよ」
「そうして。軋識はどうするの?」
「悪いっちゃが、他に用事があるから帰るっちゃよ」

なんとなくその答えを想定していたので、驚くこともない。
少し残念な気もした。
双識は逆になぜか満足そうだった。



ああ、これはなんていう夢なんだろう。
双識はその光景を見て、そうとしか思えなかった。

女の子がいるというだけでこの変化のしよう。
やはり少女が一番だと思うのだ。

「…なに突っ立ってるの?」
「ああ、うん、何でもないよ!」

少し大人っぽいようなひざ丈の白いスカートに、ブラウンのTシャツ。
その上からばっちり用意してあった、軽くフリルのあしらわれたエプロン。
本当ならエプロンはもっとフリルがあるものが良かったのだが、欲張りをして断られたら元も子もないので少し自重したのだ。

両手にお椀を持った名無しさんは怪訝そうに双識を見つめる。

「なら手伝ってよ…もう、」
「手伝うさ!」
「じゃあ、ご飯自分でやって」

寝起きのせいか、冷たいあしらい。
ただそれでも双識にとっては、名無しさんのエプロン姿がすべてを許す要因になっている。
最も、この程度で怒るような沸点の低い人間ではないのだが。
名無しさんに触れてしまいたくなる気持ちをどうにか抑えて、茶碗を手に取る。

名無しさんは満足しているのだろうか、この状況に。
名無しさんと縁合って、出会って、ここまで来て。
名無しさんは最初の目的を零崎になって、愛識になって、果たせているのだろうか。

「名無しさん、こんなんでいいのかい?」
「え?うーん、もうちょっと少なめで」
「ご飯の話じゃないよ」

いや、茶碗を持っている時点で答えはそれしかないのか…。
何の話?と不思議そうに小首を傾げる名無しさんを愛おしく思いつつ、話を進める。

「零崎になって、戦争を味わって、病気になって…大変だろう?」
「わ、双識がそんなことを言うなんて…、熱ないよね?」

真剣な話なんだが、とちょっと怒ろうかとも思った。
しかし、小さな掌が額に触れただけでその気はなくなる。
無邪気で、無垢で、愛おしい。
これは、家族愛なんてものじゃないことを、双識は理解していた。
そこまで双識はそんなに子供じゃない。

「あはは、珍しいなぁ、双識がそんなこと言うなんて」
「そうかい?私は私なりに結構心配しているのだよ」
「なら、その心配は杞憂ね」

今まで京都府内にいるときは、どうしても機嫌が悪かったのだが。
こちらにきて、楽になったのだろう、名無しさんは上機嫌だった。
高く笑い飛ばして、さぞかしおかしそうに名無しさんは笑った。

「私は、零崎になれて幸せだよ。探しものも最低限見つかったし、たとえ病気をしたって、怪我をしたって、かまわないよ。だってさ、心配してくれる人がいるんだよ?それだけで私は幸せだし、満足できるよ。現時点では」

人間は貪欲だから、いつかもの足りなくなってしまうかもしれないけれどね、と付け足した。
その名無しさんの表情に嘘は見えない。

心配してくれる人がいることが名無しさんにとっての大きな一歩に違いなかった。
名無しさんは身体が幼いころから弱かった。
ただ母は、看病することもない。
自分の身体を、心を心配してくれる人がいることは幸せだった。

「だから、ここで独りになっても、私はいいの。だけど、家賊の状況がつかめないのが困るとは思うけど」
「名無しさん…、」
「別にこれは双識のせいじゃない、曲識のせいでもないしね。私が迂闊だったのが悪かったわけだし。後運が悪かったのかな?」

最後の方はもう苦笑いだった。
だけどそれは、安心しきったそれで。
何ともなく、自然に、素朴に、名無しさんは笑うのだ。
満たされているように、たゆたうように。
prev next bkm
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -