02.
青柳家に園田として侵入し始めて1か月以上が経過した。
青柳一正の性格を鑑みると、彼がスパイに向いているかと言えば否。
ただ福本の報告によれば、レジスタンスの中ではまだ情報が来るだろうと予測されている。
神永の担当である関口家か、三好の担当する青柳家が一枚かんでいる可能性が非常に高いことに変わりはない。

三好はここ1か月程度、漏えいが起こりそうな部分を探した。
輸入品の点検、軍部からの領収書に暗号文がないかの確認、青柳家の人間の動向。
それらをすべて洗い出しているにも関わらず、物的証拠が一切見つからないのである。
どこかに情報を隠している可能性もあるが、そうだとすれば、それをどのように家から持ち出し、どこへ流しているのかの経路を掴まなくてはならない。

また、心証的証拠を掴むために青柳一正に何度かカマをかけたことがあるが、それは当たらなかった。
生真面目で素直、自信家ではあるが自尊心が高く、慎重派…いたって普通の男だ。

「園田様?」
「ああ…すまないね、少しぼんやりしていたみたいだ」
「お疲れですの?お勤めがお忙しいとは聞いておりましたけれど…」

毎週火曜日に園田は青柳家に出向き、一週間分の領収書や軍部からの依頼書を持って行く。
祥子がいれば、彼女と茶を飲んで帰るのが園田の火曜日の過ごし方であった。
茶を淹れるのはスズの役目であり、今日も彼女は静かに部屋の隅に佇んでいた。

今日の祥子は学友に習ったらしいチェスを園田に教えていた。
元々園田家は西洋嫌いな人間の集まる家である。
そのため、西洋かぶれの盤遊びに馴染みがないので退屈に思っているが、祥子にはそこまで考える頭はないらしい。
学校も通い損であるな、と三好は心の中で皮肉った。

「スズ、確かクッキーがあったかしら?」
「はい。旦那様がお土産にとお持ちになられたものが」

部屋の隅で何かの包装紙を畳んでいたスズは、小さな声でそう答えた。
園田は祥子とスズが話しているのを自然と見る。
祥子よりもいくらか年下のスズは多少子供っぽい声音で、すぐにお持ちいたしますと部屋を出た。

スズが部屋を出たのをいいことに、祥子立ち上がって園田と向かい合った。
甘い花の匂いが鼻孔を擽るが、その匂いは自然な花の匂いではなく、コロンの香りだ。
裕福な家庭の娘たちは一様に化粧や香水などに競って金を掛ける。
仕事でもないのに難儀なことである。
園田様、と誘うように囁く祥子に園田は顔を赤くした。

「いけませんよ、お嬢さん。婚前の女性がこんなことをしては」
「あら、そうかしら?」
「ええ、そうです。いけません」

祥子の甘い誘いに乗るわけにはいかない。
園田は軍人の端くれ、仕事先のお嬢さんに現を抜かすようでは、上司に張り倒されることだろう。
何より軍人は情事に関して敏感で、末端であればあるほど女遊びには厳しい。

祥子は子ども扱いしないで、と拗ねたように言ったが、頑なな園田に諦めたのか、自分の椅子に腰を落ち着かせた。
ふくれっ面で手元にあったティーカップを傾ける姿は確かに愛嬌があるが、その程度である。
大人らしく見せたり、子どもらしく見せたりと忙しい女である。
2人のそんなじゃれ合いが終わる頃合いに、部屋の扉がノックされた。
スズが戻ってきたらしい。

「お嬢様、お持ちしました」
「ええ、ありがとう。そこに置いて」

スズはワゴンを引いて、静かにクッキーの乗った白い平皿をチェス盤の脇に置いた。
ワゴンの上にはクッキーが入っていたのだろう銀色の缶箱と缶箱の下に包装紙、ティーポット、ティーカップが2つ揃えられている。
そして祥子のティーカップの中身を見たのか、ティーポットとカップを持って彼女の前にもう一度やってきた。

言われる前に動くことができる、気の回る良い女中であると三好は彼女を評価している。
ついでに園田のティーカップにも茶を注いで、スズはそこが所定の位置であると言わんばかりに部屋の隅に戻った。


「スズ、そう言えば貴方、部屋の花を変えたの?」
「はい、お嬢様」
「私、あれは好みではないわ」
「…失礼いたしました。すぐに変えます」

スズの隣にあるチェストの上に飾られている濃いピンクの花を、三好はちらと見た。
モザイク硝子でできた小さ目の丸いボウルの中に球根ごと飾られている。
スズはそのモザイク硝子の鉢植えごと、手のひらで包み込むように持ちあげて、ワゴンの下段に隠した。


夕方になり、園田は帰路につこうとしていた。
青柳家の門をくぐり、祥子に先ほどまでの楽しい時間についてお礼をしてから、曲がり角に向かって歩く。
そしてそこで、左へ曲がって、更にもう一度左手へ。
園田は帰るふりをしていつも、青柳家の裏手に回り、植木と蔵の間にある庭の勝手口に向かうのである。

庭の勝手口には、昼に見た濃いピンクの花が花壇の隅に植えられていた。
その傍にはスズが佇んでおり、如雨露で水を与えている。

「スズ、」
「…園田様」

ピンクの花はイヌサフランと言う名前の花で、最近スズが園田に9月の花として教えた花であった。
花言葉は「私の最良の日々は過ぎ去った」。
イヌサフランが秋に咲くことから、過ぎ去った夏を思い浮かべて寂しく思う意味が込められた花言葉である。

彼女は園田に対して、部屋に飾られた花で気持ちを伝えることがあった。
園田にも分かりやすいように、前もって花の情報を教えたうえで、その花を利用する。
青柳家の中では会話ができないことを案じての行動だ。
スズの聡明さがよくわかる。

「いらっしゃってくださったんですね」
「ああ…俺は綺麗だと思ったんだがな、イヌサフラン。残念だ」
「いえ。もともとイヌサフランは外にあったほうが美しく見えますから」

彼女を抱きしめて、君もそうだ、とスズの耳元で囁くとスズはすぐったそうに笑った。
夕日に照らされたスズの肌理細やかな頬は、赤に染まっている。
華奢なスズの身体からは、水や植物の青臭い香りがする。
彼女はコロンも化粧もしたことがないのだろう、素朴で、しかしそれが美しい。

ほっそりとした腰に腕を回すと、びくりと、スズの身体が震えた。
怖がらないでほしい、と呟けば、恥ずかしそうに俯いて小さく、はい、と答えた。

「スズ、また会いにくる」
「ですが、園田様は、祥子お嬢様と…」
「ああ、そうだ。でもまだ、婚礼は済ませていないし、俺も認めていない」

園田の女選びだけは評価できるな、と目下の黒髪を見て思った。
まだあどけなさが残るスズだが、潤んだ瞳や柔らかそうなぽってりとした唇は女の色香に富んでいて、そのギャップが男心を心地よく擽る。
小さな手に宿る微かな抵抗も、悪くない。

スズの耳元に唇を寄せようとしたが、彼女の小さな手に邪魔されて辿り着くことはできなかった。
おやめください、と震える声で言われるのも嗜虐心に触れる。
三好ならこのまま無理にでも壁に押し付けて接吻の1つでもするのであるが、今は園田であるから何もしない。
そっと彼女の身体から手を離すと、ようやくそこでスズは顔を上げた。

耳まで深紅に染めあがったスズは、薄い水の膜が貼った黒い瞳に園田を映した。
園田はその言葉に何も返さずに、裏の勝手口のドアを開けて、長い影だけを残して去って行った。
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