01.
話には聞いていたが、確かに随分と美しい女中だ。
地肌が非常に肌理細やかで、白粉など必要はないのだろうことが伺える。
まだ残っているあどけなさと、コルセットによって作られたほっそりとした柳腰や強調された胸部の妖艶さが合さり、下手な女よりもよっぽど欲を掻き立てる。
園田もこれにやられたに違いないと、三好は考えた。
士官学校上がりの園田に、この色気は耐えられまい。

カフェ街に行けばもっといい給料がもらえそうなものだが、それをしないところがまた、彼女の矜持の高さを感じる。

「園田様、いかがなさいましたか?」
「いいや…花見に行くのも悪くないと思ってな」
「随分とお気に召されたのですね」

淡く口元を緩めた姿は、品と愛嬌がある。
普段物静かな分、こういう微細な変化が非常に綺麗に見える。
スズは会話の中に細やかな知識を織り込んで話すので、口下手な園田も楽しく会話ができたのだろう。
彼が青柳家において、スズに心を許したのは、至極全うなことであったに違いなかった。

青柳家は青柳一正とその妻、それから一人娘の3人家族である。
仕事は貿易商、主に中国から布類を輸入して日本の会社や軍部に卸している。
洋服や軍服の需要が上がった国内で、彼一代で随分と利益を積んだ優秀な商人だ。
園田はその青柳家から軍部に回す分の布を買いにくる、お遣い役の軍人だった。
彼は軍人一家の三男坊で、青柳家の一人娘に気に入られており、週に一度、園田が指名されて布を買いに来ることになっている。

三好がその園田に成り代わったのは、つい先日のことであった。
理由は、青柳の輸入経路にスパイがいる可能性があるためだった。


結城中佐に呼び出された三好は、手渡された資料をざっと読んだ。
成り代わる園田は間抜けそうな軍人で、青柳家の一人娘である祥子から好意を寄せられているというのに、スズと言う青柳家の女中に熱を入れているらしかった。
根津神社に2人でツツジを見に行くという呑気さに、三好はため息をつきたくなった。

「輸入経路は中国ですか」
「そうだ、今、神永にも追わせている」

成り代わる男のどうしようもなさはさておき、本題である。
中国でレジスタンスの動向を探っていた福本から、解読済みの陸軍の暗号文を発見したという連絡が来たのが、つい1週間ほど前のこと。
地元企業がレジスタンスの本拠地になり、そのうちの上層社員だけがレジスタンスとのことだ。
今回はレジスタンス云々よりも、その情報がどこから漏れたのかが分からないのが問題だった。

福本が得た情報の中で中国と貿易をしている商人が怪しいとの報告を受け、結城中佐が国内で中国貿易をしている会社を探した。
レジスタンスが表向きでやっている企業の業務は鉱物輸入や繊維の卸業と貿易だった。
鉱物輸入は関口家、繊維貿易は青柳家の2つが輸入を取り扱っており、その各々にD機関の人間が付くことになった。
関口家には既に神永が別件で出向しており、三好は園田が毎週火曜日に青柳家に使いに行くタイミングで成り代わる予定になっていた。

「青柳がスパイであるかどうか探れ。スパイであったなら、泳がせろ」
「わかりました。明日からすぐ取り掛かります」

訓練生からD機関の一期生としての初めての仕事だ。
三好は資料を結城中佐に返して、微かに笑った。
初任務に向けて、三好が感じたのは緊張でも不安でもない、自分がどこまでやれるのかという好奇心だけだった。

三好が園田として青柳家に入り始めて1か月が経とうとしていた。
週に一度だけの訪問と決まっているため、1か月というそれなりに長い期間ではあるが、実際に彼らに会うのは3回目であった。
彼らに会わない他の日は、聞き込みをしたり、園田として軍部に入り込んだりしていた。

9月に差し掛かることもあり、スズは長袖の黒いワンピースに衣替えしていた。
まだ蒸し暑い日もあると言うのに、随分と健気である。
しかし、彼女は狭い額に汗1つ垂らさず、涼やかな様子だ。
彼女の丁寧に結い上げられた黒髪の生え際と彼女の華奢な首筋がまぶしい。

「まだ暑いだろう?」
「ええ。ですが、暦上はもう秋です。ちょうど今日は白露と言う節だそうですよ」

スズは薄い唇で白露の一節を歌い、まだちっとも露は濁りそうにありませんが、と話した。
三好はその言葉に少し驚いたのだ。
女中であるスズは無論、女学校に通っていた経歴はない。
それだというのに、二十四節気を把握した上で暦便覧の歌まで暗記している。

二十四節気は中国から伝わったもので、それなりの学がない限りは知る由もない知識である。
日本でも立春、立夏、立秋、立冬の四立までであれば知るものも多いが、八節まで覚えている人間は稀である。
少なくとも士官学校出身の園田は知らないだろう。

「随分と難しいことを知っているものだね」
「ええ。育て親に教わりました」
「その節はどのようなものなんだい?」
「それは、またのお楽しみにいたしましょう。もう旦那様がお待ちでいらっしゃいますから」

しかし、スズの経歴を調べていた三好はその言葉はもちろん、彼女が博学である理由を知っている。
スズの東京での育て親は中国系二世、外村蓮太郎…祖父が中国人で、立川の工場地帯で働く中国人に日本語を教えたり、生活の手伝いをしたりしていた人物である。
彼に中国の学問を教わったに違いなかった。
その間で二十四節気を知る場面があったのだろう、学歴はなくとも知識は持ち合わせているというようだ。

「こんにちは、青柳さん」
「ああ、こんにちは、園田。いつもの内容だな?」
「はい。こちらが領収書、それから次の発注書です」

書斎に入ると、大きな窓とその前にあるマボカニーのデスクに座る青柳一正の姿がすぐに目に入った。
歳の割にしっかりとした髪は綺麗に分けられ、アイロンの利いたパリッとしたワイシャツを着ている男だ。
その身形からも、彼が几帳面なのはわかることだ。

園田が鞄から軍部の領収書を取り出して青柳に渡すと、彼は無言でそれに目を通し始めた。
女中のスズと同じく青柳一正もまた言葉数の少ないタイプであったが、自分本位な話は得意らしく、今までに三好は貿易事情や祥子の結婚話など他愛のない話を聞いていた。

「スズはどうかね」
「あちらの女中でございますか?…ええ、随分としっかり教育されているようで」
「そうでもない。失礼はしなかったかね」

唐突な質問に三好は少し驚いて見せた。
三好は特に唐突とは思わないが、園田は唐突だったと思うだろう。

スズは失礼など殆どすることはない。
下手な女学生よりも清楚で博識、立ち振る舞いやマナーもしっかりしている。
青柳家に入る前に、それなりに訓練をさせたのであろうことが伺えた。

「いい女中をお育てになっているようですね」
「そうでもないさ。縁で身寄りのない漁村の娘を譲り受けてしまった」
「そうでしたか。ちっともそんな風には見えなかったので、驚きました」
「そうかね?まだまだだと思うのだが」

まだまだ、と言う割には悪いところは一切言わない。
それもそうだ、スズには欠点と呼べるものは特筆してない。
敢えて言うならば、愛想があまりよくないことくらいである。

青柳がスズのことを下に見ようとするのには、別の理由がある。
彼は有能な貿易商である前に、一家庭の大黒柱であり、目に入れてもいたくない娘の父である。
そして窓の外にいる白いワンピースを着た娘、祥子が園田に気を持っていることもまた、青柳家の周知の事実。

祥子はすでに結婚してもおかしくない年齢で、ただ良家の一人娘であったがゆえに、なかなかいい相手を見つけられなかった。
その中で、軍人一家の三男坊である園田は最適な相手であり、祥子も彼に気を寄せていると来た。
すでに青柳家は園田家に結婚の話を持ち出しており、園田の気など知らずに話は進んでいる。
つまるところ、彼らは園田の中のスズの存在を蹴落とし、その位置に祥子を置きたくて仕方がない、そう言うことである。

頭がいいのにやっていることは親馬鹿な父親なのだな、というのが三好の考えである。
そんなことをしている暇があったらスズをうまく懐柔して園田を振らせればいい。
窓の外で如雨露に水を汲もうと窓際に近づいた祥子が、今気がつきましたと言う風に手を振った。
一応園田も軽く手を振り返して、青柳に視線を戻した。

「可愛らしいお嬢様ですね」
「今日は日差しが強いから外に出るのはやめなさいと言ったんだがね」
「ははは。本当に愛らしい」

領収書を一頻り確認したらしい青柳は園田の反応に満足したのか、頬を緩めている。
祥子は一通りの植物に水をやり終えたのか、窓の中から消えていた。
こちらに来るだろうな、と園田は考えて背後のドアに気を配った。
スズがまだ外にいたなら、何かしら祥子と話をするはずだ。

その後確かに背後のドア付近で、祥子が普段よりも低い声でスズに対して別の用事を言いつけてから部屋に入ってきた。

「お父様、園田様。こんにちは」
「こんにちは、お嬢さん。今日は天気が良かったようですね」
「ええ。ですから、庭に水やりに」
「そうだったのですか。植物も喜んだことでしょう」

他愛のない様子で祥子に話しかけると、彼女は猫撫で声で園田に甘えるように微笑んだ。
夜の街の女のような、雄を狙った雌の顔だ。
それくらい園田でもわかりそうなものだが、初心な彼はそれを避ける方法を知らない。
三好は園田を演じて、少し頬を染め上げ、困ったように笑って見せた。
そうするだけで祥子は嬉しそうに笑い、青柳も口角を上げるのだ。
陳腐極まりなかった。
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