00.
りりん、と洋間に似合わない涼やかな音が響いた。
開け放たれた窓からは、湿気を多く含んだ風が入ってくる。
ようやく6月に差し掛かるか、というような季節だと言うのに随分と暑い。
待合のための客間は日当たり良好で、室温は30度近くまでありそうだ。

アイスコーヒーが入ったグラスがたっぷりと汗をかいているような環境でも、女中は汗1つ垂らさずに給仕をしていた。
紅を塗った形跡はないのに、やけに赤い唇だと園田は思った。
恐らくは肌が白すぎるからだ、上質な絹に一筋、紅を引いたような印象を受ける。
なかなかお目に掛かれない、うら若く美しい女中だった。

「園田様、いかがなさいましたか」
「いや…」
「まもなく旦那様がお戻りになりますから、今しばらくお待ちくださいませ」

見過ぎていたせいだろう、女中は静かに用件を聞いた。
見惚れていたことを察せられた恥ずかしさから、園田は目の前にあったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
良く冷やされたコーヒーが喉の奥に滑り込んでいく心地よさを感じながら、園田はどこか冷たくも感じる美麗な女中を脳裏に描いた。

他の女とは全く違う、聡明で気高い女だ。
どうしてこんなところで女中をしているのか、園田には理解できなかった。
彼女ほど美しければ、もっと別のところで働くこともできるだろうに。

「時間があるようなら少し話に付き合ってくれないか」
「…ええ、わたくしでお相手できるようなお話でしたら」

水滴が零れないように右手で布巾を添えながら、丁寧に空になったグラスにコーヒーを注いでいる女中に、園田は声を掛けた。
彼女は一度ちらと顔を上げたが、綺麗にピッチャーの底の水滴を拭き取って、背を伸ばしてから口を開いた。
コーヒーの入ったピッチャーを給仕用のワゴンに戻した女中は園田と机を挟んで向き合い、立ったまま園田の話を聞いていた。

青柳家の部屋はどこも西洋風に美しく纏められていて、畳に正座や胡坐で座るのに慣れている園田にとっては落ち着かない部屋ばかりだった。
気を落ち着かせるために、また、青柳家の当主が来るまでの退屈しのぎも兼ねて、女中と話し始めてもう数か月がたった。
園田は軍人の末端で、堅苦しい…例えば、季節の話だとか天気の話だとか、我ながらにつまらないと思うような話しかできなかった。
ただ、女中はそのような他愛のない話の1つ1つに、コメントや質問を挟み、1を2にした返事をくれる。
その心遣いや、聡明さに園田は女中に惹かれていた。

「この季節だと、どのような花が綺麗だろう?」
「名前の通り、サツキが美しく咲いております。緑に赤が映えて、華やかでよろしいかと」
「サツキか…根津神社が綺麗と聞くな」

花の話を振ったのは、ただ、部屋の片隅に置かれた一輪挿しに薔薇が刺さっていたのをちらと見たからだった。
園田は花などに知識はないし、贈るような相手もいなかった。
ただ、この女中には花が似合いそうだと、そう無意識のうちに考えていたからである。

園田の実家の近所にある根津神社のサツキは数も多く、美しいと聞く。
彼の母や姉が好んで言っていたことを思い出し、園田は微笑んだ。
園田自身は根津神社への参拝は初詣程度で、サツキを見に行ったことはなかった。

「左様ですか。今の時期はさぞ、美しいでしょう」
「今度、一緒に行ってみるか」
「お戯れを。祥子お嬢様をお連れになってみては?お嬢様も花には詳しくていらっしゃいます」
「…いや、君と行ってみたいんだ。ダメか?」

彼女は視線だけを動かして、静かに園田を見た。
女中の身でありながら、主人のお客に手を出すなんて、とんでもないことだ。
何より園田は青柳家の一人娘である祥子が懇意にしており、女中が手を出していい相手ではない。

ただ、園田はその全容を全く察していない、鈍感で無知な男であった。
女中はしつこく食い下がる園田をあしらって、給仕用のワゴンに向かった。
水の入った瓶と結露した瓶がテーブルクロスを濡らさないようにとコルクでできたコースターを置いて、部屋を出た。

部屋の中に残されたのは、半分ほど注がれたアイスコーヒーのグラス、瓶入りの水、それからコースターだ。
ため息をつきながらアイスコーヒーを飲み干して、瓶入りの水をそのグラスに注ごうと持ち上げたときに、園田はコースターの下の紙に気が付いた。
彼はそのメモ書きに目を通すと、丁寧に畳み直してからシャツの胸ポケットに仕舞った。
prev next bkm
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -