03.息子と父と上司の嫁
そんな話を僕が思い出したのは、父さんの前に座る女性のせいだ。
母さんに負けず劣らずの長く美しい髪は、見慣れない紺色だった。
光が当たっている部分だけ、水底のように暗く青く光っている。
少し前に正面から顔を見たが、やはり美人だった。
母さんや父さんより随分歳上に見えるその人は風格というか、なんというか、両親よりもずっも落ち着いた優しく甘い匂いがした気がする。

「喧嘩したんですって?」
「そう。イタチを怒らせてしまって」

困った様子の声だ。
イタチというのは、同い年のシズキの父だ。
穏和な人で、怒ったところなんてみたことがなかった。
一体この女性は何をしたのかと思った。

父さんは僕にアイコンタクトで出ていきなさい、と言っているようだけど無視した。
しばらく何度か視線を感じたけれど、僕が好奇心ゆえにリビングに居座っていると理解して諦めたようだ。
彼は呆れた様子で女性に問いかけた。

「一応聞きますけど、原因は?」
「イタチとシズキが長期任務でいないのを忘れてて、家で倒れちゃったの」
「倒れちゃったって、それでなんで怒られるんですか」
「あの人たちのご飯を作らないものだから、自分の食事を忘れて栄養失調で。先に戻ったのがイタチだったものだから誤魔化しもできなくてね…」

呆れた。
呆れるし、そんなことがあるのかと驚く気持ちもある。
栄養失調になるほど食べないで腹が空かないのだろうかとか、そもそも食事もせずに独りで家で何をしていたのかとか、色々と分からない部分があった。

父さんは目の前のチトセという人を意外とよく知らないのだろう。
いつもよりも固い微笑みでシズキのお母さん…チトセさんを見ていた。
どうして、父さんのところに来たのか、どうしてほしいのか、父さんには分からないのだ。

でも僕には、チトセさんがどうしてここを選んだのかはわかるような気がした。
昔、僕が母さんに叱られて家を飛び出した時に、シカダイのところへ行ったのと殆ど同じ理由だと思う。
僕はその時、母さんとシカマルさんの仲が良くて、尚且つシカマルさんがとても頭のいい人で、母さんのことも父さんのことも巧く止められる人だと知っていたから、彼のところへ行ったのだ。
今回、チトセさんも同じように、イタチさんの部下であり、優しいイタチさんがそう強く出られない相手のところを選んでやってきたのだ。

「悪いことは言いませんから早く謝って貰えます?イタチさんの機嫌が悪いと困るのは僕なんですが」

あとそれから、看護師の母さんが今いないのも理由かもしれないと推理した。
母さんは看護師ではあるが、そちらは副業だし、今の時間は店に出ているから安心していられると思ったのだろう。
病気がちとシズキも言っていたし、今回叱られた理由も看護師だったら誰でも怒るようなことだ。

それにしても、随分色々考えて行動する人なのに、なんだか子供っぽい人だな。
僕は話を聞きながらそう思った。
父さんは面倒そうな声音で、イタチさんのことですから、許してくれるのでは?と問いかけている。
僕もそう思う。

「何て謝れば許してもらえるかしら?私、これで2度目なのよ」
「…もういっそ、二人が居ないときはサクラのところへ行ったらいいじゃないですか」
「人の家は落ち着かないじゃない」

前科があるのか、と心の中で突っ込んだし、父さんもそう思ったに違いない。
普通であれは食事を忘れて栄養失調なんて早々に起こり得ることではないというのに、2回目。
一体、どんな生活をしていればそうなるのか、僕には全く分からない。

僕は飲み物を取りに行く振りをして、正面からチトセの顔色を見た。
色白の父よりも色が白く見える、血の気は殆どない。

「ところで体調はよくなったんでしょうね?」
「ええ、もう大丈…」
「診断書にはあと2日は入院すべきと記載があるが?」

体調がいいわけない、そう思いながらも台所に入った僕は目を丸くした。
いつの間にか、僕の後ろにイタチさんが立っていたのだ。
本当にいつの間に、だった。
いつからか、勝手口から台所に入ったのだろうかとか、でもそうだとしてもいつの間に僕の後ろに立ったのだろうかとか、色々な考えが脳裏をぐるぐる回ったが、ちっともわからない。

イタチさんは僕を受け流すように台所へ送り出して、本人はサイの後ろに立ってチトセを睨んでいた。
僕は慌てて台所から出て、リビングに戻った。
父さんは驚いた顔をしていた。
まさかこんなに早くイタチさんがやって来るとは思ってもみなかったからだと思う。

「入院は眠れないし嫌だって何度も…」

ただ、チトセさんはイタチさんの登場にちっとも驚いていないようで、思ったよりも早かったのね、と面倒くさそうにそう言っただけだった。
チトセさんはイタチさんが来ると、より一層に子どもっぽく見えた。
不機嫌そうに話す姿は、薬を飲むのを嫌がるチョウチョウみたいだ。

「入院が嫌なら努力してくれ。とりあえず自宅安静で済むようにとサクラがうまくやってくれたから、薬だけは飲むこと」
「え、いいの?」

イタチさんはいつも通り…よりは少しやっぱり子供っぽく、薬袋をチトセさんの前の前に突き出してそう言った。

どうやらイタチさんは看護師のサクラさんに話をつけて、チトセさんが家にいられるようにしていたらしい。
そこで僕は、もう一度、シズキの言葉を思い出した。
“父さん、母さんにベタ惚れだから”…本当にその通りだったみたいだ。

「すまないな、サイ。巻き込んでしまったようで」
「いえいえ…お大事になさってください」

父さんは随分と疲れているようだ。
イタチさんもそれが分かっているのか、チトセさんの手を引いてすぐに家を出て行った。

その夜、母さんがイタチさんから頂いたという美味しそうなお肉がテーブルに並んだのは、嬉しかった。
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