05.日常に戻る
保護者は窓からやってきた。
何度も言うが、ここは地上から役200mほど離れた一室である。
ここに到達するには、200mをよじ登るか、飛行船から飛び降りるかしかない。
マリは親が親なら子も子、蛙の子は蛙、瓜の蔓に茄子はならぬ…最もしっくりくるのは、この親にしてこの子ありか。

マリは机から離れて、人の気配がするベランダに向かった。
少年は突然立ち上がった学者をちらと見て、そのあとすぐにベランダの方を見た。

「父さん?」
「イルミ。こんなところで道草を食っていたのか」

静かにベランダの窓を割って中に入ってきたのは、2mはありそうな大男だ。
白銀の髪に隆々とした身体、研ぎ澄まされたオーラ。
どうやら少年の父親らしいが、黒髪で華奢な少年には似ても似つかない。

父親は部屋で待ち構えていたかのように立っている女を見て、警戒心を露わにした。
帰ってこない息子を心配して迎えに来たはいいが、息子以外の人間が部屋にいる。
誘拐なんぞされるような息子ではないと考えていたが、可能性はゼロではなかった。
女は念遣いで、尚且つ、不思議なオーラを纏っている。
何をしてくるのか分からない。

警戒をし始めた少年の父に、マリは困った。
彼から見れば、自分は誘拐犯に見られてもおかしくはないということに今更ながら気が付いたからである。

“よかったね、お父さんに来てもらえて”
「うん。父さん、俺、誘拐されるほど間抜けじゃないし」
“すみません、家には電話がないもので。彼も携帯を無くしてしまったようですよ”
「…そうなのか」

女の前に立ったイルミは、何も話さない女と会話をしているようだった。
よくよく見てみれば、女の周りにあるオーラに文字が浮かび上がっては消えている。
念文字で筆談をしているらしい。

女はイルミの背中を優しく押して、一歩前に進ませた。
イルミは流れるように父の方へと移動する。
父の足元に立ってもなお、イルミは女から視線を離さなかった。
女は困り顔で佇んでいる。

攻撃的な様子ではないことは分かった。
筆談の内容は他愛もないことで、本当に迷子の子を親に届けたかのようだった。
イルミを抱きかかえてみても、特に大きな怪我もなく、空腹そうでもなかった。
恐らく目の前の女が面倒を見てくれたのだろう。

「息子が世話になった」
“いいえ。いい子でしたよ”

女は淡々と念文字でそう答えた。
イルミが随分と懐いているようで、名残惜しそうにちらちらと女を見ている。

確かにこの女はどうにも距離を保つのが得意なようで、先ほどから絶対にこちら側の警戒領域に足を踏み入れない。
シルバはある程度、これくらいあれば相手から不意打ちを食らったとしても瞬時に反応し殺せると自信を持って言える距離があった。
女はそのことを知らないが、きちんと距離を測って、その中には絶対に入らないようにしている。

少なくとも、今のイルミより実力のある女だ。
彼女が今の自分のように警戒心が強く、残忍な性格をしていたなら、イルミは殺されていたに違いなかった。
イルミは運が良かった、何らかの事情で部屋から落ちて、この部屋のベランダに引っかかったことも、部屋の住人が随分と優しい人間であったことも、彼を利用するような人でなかったことも、ただただ運が良かったに過ぎない。

「…俺はシルバ。シルバ・ゾルディックだ。お前は」
“エルビス・オング、と言う学者ですが…本名はマリと言います”
「エルビス・オング?」
「マリが本名なんだ」

本名を知ったイルミが嬉しそうに名前を呼ぶ中、シルバは怪訝そうに眉を寄せた。

エルビス・オングは数年前に突如現れた天才学者だ。
今の科学と呼べるものを全て解明し、以前以上の発明やサービス開発をした。
それらの功績は、現在の科学を100年程進めたとまで言われた。
しかし、エルビス・オングは決して人前に姿を現さず、様々な噂が流れていた。
現在目の前にいるのはまだ20代に差し掛かからないくらいの若い女だ。
本物のエルビス・オングだとしたら、若すぎる。

“信じる、信じないは自由ですよ、どちらもね”

エルビス・オングはそう言って、今度こそ、2人に背を向けた。
名残惜しそうに振り返るイルミに気を止めることもなく、エルビス・オングは日常に戻った。
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