04.ヘリックス マンション
このマンションはセキュリティに厳しい。
特に55階から上の、螺旋状に組み合わされている部屋への入口はたった一つ。
各階の軸となるフロアにある、エレベーターのみ。
エレベーターに乗り込むにはカードキーがなくては進めないようになっており、客人を迎える時は、わざわざ軸の始まりの階である55階まで行かなくてはならない。
配達員たちは55階フロアにある高さ80cm、幅55cm、奥行き35cmの配達ボックスに物を入れる。
その配達ボックスもまた業務用エレベーターとなっており、内容物をカメラで確認したのち、自室まで運び込むことができるようになっていた。

非常用階段すら存在しない特殊なマンションで、ある意味、すべてが自己責任となる。
火事も事故も殺人も、起こったとしても気付くのに遅れる上、助けを呼ぶことも、助けが来るのも非常に遅くなる。
その分、そういったことが起こりにくい様なシステムになっているのだが。

「俺、仕事でここに来たんだ。上の階に住むを殺す仕事」

少年は食パンを齧りながら、淡々とそう答えた。
なるほど、彼くらいの大きさなら宅配ボックスに入ることだろう、とマリは少年の身長を思い浮かべた。
カメラに小細工をして、注文品が届いたと見せかけて、少年は上の階に入り込んだのだ。
上の階に住む人のことを、マリは一切知らない。

55階以上の住人に近所づきあいと言う概念はない。
マリのように、誰とも会いたくない、人付き合いが面倒、金はあると言う人が集まっている。
上階の住民が誰なのは知らないが、もう息絶えている人間ということを今初めて知った。

ダイニングテーブル越しに殺人の告白をされたマリは、淡々とハラミ・ソーセージを咀嚼した。
面倒事を持ってきてくれたもんだ、と眉根を寄せながら。

“流石に上の階で人が死んでいる状態で住みたくない”
「床は厚そうだし、何より、この部屋と上の階で被る部屋はないんだから腐敗してもこの部屋には何も影響はないと思うけど」
“気持ちの問題”
「潔癖?」
“そこまでではないけれど、死体が上の階にあると言われて気にしないほどずぼらでもない”

確かに物理的な被害はなさそうであるが、精神的な被害は見られそうだ。
別に死体が気持ち悪いというわけではないが、あると分かってしまった以上、片付けないと気持ち悪い。
少年は感覚が狂っているのか、きょとりと小首を傾げるばかりだった。
随分な教育をされているらしい。

マリはヨーグルトを掻き混ぜ、どうしたものかと思案した。
上階の死体もそうなのだが、目の前の少年をどうやって家に帰すかも目下の問題である。

目の前の少年はヨーグルトにたっぷりとドライフルーツを乗せて、口に運んでいる。
殺し屋であるという少年はなぜか家に帰りたがらない。
マリの憶測だと、この少年はそれなりにきちんとした家で育てられている。

このマンションの住人は誰だか分からないにしろ、誰だか分からないようにするだけの財力と権力を持ち合わせた人間である。
物理的な力ではなく、社会的な力を持ち合わせた人間を殺すことは簡単ではない。
自分もまた、それと同等の力を持っていないと殺人はできない。

「そんなに嫌なら、後片付けしにいく?」
“君が帰ったら、適当なことを言って業者に片付けてもらうからいい”

散らかした玩具を片付けようとする子どものように、少年は軽い様子でそう言った。
ただ、壊すばかりの彼が綺麗に掃除できるとも思えない。
何事も、専門家に任せた方がいいのだ。
ただし、犯人がいる状態でその専門家を呼ぶ気にはなれない。

問題は一つになった、少年をどうやって家に帰すのかと言う点である。
彼が外に出ようとしない限り、彼を両親の元に返すことはできない。
絶対に不可能とは言わない、この世界に絶対はほぼあり得ない。

“君はどうして家に帰らないの。帰りたくないなら居てもいいけれど、食事のこともあるからいつまでいるのか決めているなら答えて”
「…何となく?居てもいいなら居たい」
“わかった。好きにしていい。けど、ご両親が迎えに来たら帰ること”
「分かった」

イルミが家に帰らない理由は、自分でもよく分かっていなかった。
今回の仕事は大掛かりだったため、少しの間次の仕事は入っていないし、たまにはよくわからない自分の気分に付き合うのも悪くはなかった。
何より、意外とこの場所は居心地が良く、念文字だけで会話をする学者は面白かった。
気に入ったと言うのが、一番の理由であったが、具体的にどこがどう良いのか説明はできそうになかった。

エルビス・オングは食べ終えた食器を片付け終えると、また机に向かって行ってしまった。
学者らしく、とにかく学問にはげむつもりらしい。
暇を持て余したイルミは、広い部屋内を探検したり、ベランダに出て外を眺めたり、壁際にある本棚の本を読んだりして過ごした。
時計もない部屋はとても静かで、時の流れは窓からの外の景色でしか感じられなかった。

2人しかいない空間だ。
2人居るのに1人しかいないくらいに静かで、でも振り返るともう1人いる。
イルミはこの不思議な感覚を何といえばいいのかわからなかった。
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