4.或る日
ノクターンにも本屋や雑貨屋、薬局があることを、夜子はすっかり忘れていた。
リドルに言われた通り、朝食を食べてすぐに家を出た夜子だったが、昼前よりも前の時間の時点で、暑さにやられてノクターンに戻ってきていた。
結局ダイアゴン横丁では教科書を買うだけにとどまり、それ以外のものはノクターン出揃えることにした。

昼はノクターンに近い場所にある、小さな喫茶店で過ごそうと思いながら、夜子はノクターンの道を歩いた。
あと揃えるものは魔法薬学に使う真鍮の鍋と乳鉢、それから天文学の星見表くらいだ。
それらのすべてが揃う雑貨屋を夜子は知っていた。

「こんにちは」
「おや、良かった。東洋の。生きていたんだねえ」
「あ、その節はお騒がせしました」
「いいやいいや。店の前で死にさえしなけりゃなんだっていいんだがね」

トリロジーは雑貨屋と銘打ってはいるものの、雑貨と呼べるものが殆どない店だ。
置いてあるものは様々で、広義に言えば雑貨かもしれないが、もう雑貨とは言えないような専門用具も取り扱っている。
薬学器具もあれば、何に使うのかわからない手錠や縄、動物や昆虫まである。

トリロジーはノクターンには珍しく、かなり派手な色味と外装の店舗である。
変わり者で有名なトリロジーの店長は、店を作る際にトタン屋根のように波打ったヘンテコな庇の屋根を設えた。
その屋根は玄関上を通り過ぎて、道路に飛び出した部分すらある。
また、店の周りはぐるっと蔦で覆われた垣根で囲われている。
垣根と店の間には大小さまざまな平らな石が敷き固められ、前が降っても水たまりにならないようになっていた。

そう、雨の多いイギリスで野宿をするにはもってこいの建物だったのだ。
夜子はそのトリロジーの前で何度か野宿をしたことがあり、何度か店長に見つかっている。

「今日は新学期の準備かね」
「ええ」
「そうかい、今日でないといけないわけでないなら、帰った方が良いだろうね」

雑多な店内で目当てのものを探していた夜子は、顔を上げてカウンターの方を向いた。
彼はなんてことはなさそうに手元の不思議な形の器具を弄っている。
夜子は彼から目を離し、少し思案したが、彼がそう言うからには帰った方がいいのだろうと結論付けた。

トリロジーの店長はそれ以上のことを何も話さなかったが、夜子は彼の言葉を疑わない。
ノクターンでは忠告は甘く見てはいけない、軽い忠告を無視した結果、酷い目に合うパターンが多くある。
カウンターにいるトリロジーの店長を一瞥して、夜子はドアノブに手を掛けた。

「分かりました。また今度にしますね」
「それがよいだろうね。リストがあるならその辺りに置いておいておくれよ、集めておくからね」

夜子は手にしていたリストを玄関脇にあったミニチュアの真鍮鍋の中に円筒形にして入れて、店を出た。
未だに日差しは煌々と煉瓦を照らしている。
トリロジーの軒下に設置されている時計は17時を指している、あれはわざと5時間ほどずらされているので、今は12時だ。

嫌々ながらも日の当たる道に出て、夜子は喫茶店を目指した。
教科書と一緒に買った本があるから、そこで読みながら時間を潰すのがいいだろう。
また買い物で暇を貰わないといけないのが難点ではあったが、忠告を無視して何か起こってしまう方が怖かった。


カフェの店員がクッキーを配り出したのを見て、夜子はカフェオレを飲み干した。
このカフェでは昼の3時になるとクッキーやマフィンを売りに来る。
このあと店の前で売り出すものであるが、店の中にいる人には先に提供してくれるのだ。
ここの茶菓子は美味しいと評判で店の外に出すとすぐに終わってしまうので、それを目当てに3時前に入店する人もいるくらいだった。

夜子はクッキーを2袋買って、レジに向かった。
会計を済ませて外に出るとやはり強い日差しが煌々と煉瓦道を照らしている。
少しでも曇ってくれれば楽なのだが、と思いながら空を仰いだが、青いばかりで曇りそうもなかった。

「暑…」

額に浮かぶ汗をぬぐいながら、夜子はノクターンの日陰を歩く。
もう帰っても平気だろうか。
付き合いは短いものの、夜子はリドルの基本的な性質をある程度理解していた。
彼が来客を好んでいないことも、そう長話をする人ではないことも、言いつけを守らない人が嫌いなことも、なんとなく理解している。
昼頃に来客があると言っていたが、もう3時間も経っているのだから大丈夫だろう。

夜子はそう思いながらノクターンを歩いた。
トリロジーの前を通って、大通りを突っ切り、早足で細い小道に入り込もうとしていた夜子の肩を誰かが掴んだ。

「っ!」
「すまない、突然に。君はリドルさんの養い子だろう?」
「…どなたですか」
「僕はレギュラス。レギュラス・ブラックだ。はじめまして、こんにちは」

慌てて夜子はショルダーバッグの中に手を突っ込んだが、華奢な手に二の腕を抑えられて、握りしめた杖を鞄から出すことは許されなかった。
ひょろりと高い背をした男性で、その細腕からは想像できない力で夜子を押さえつけている。
別に痛いわけでもないので、夜子は力を抜いた。

穏やかそうに微笑む男性のファミリーネームを夜子は聞いたことがあった。
ブラックと言えば、今話題の、アズカバン脱獄をした彼だ。
しかし、目の前にいるブラックは指名手配犯とは似ても似つかない顔立ちをしていた。

全体的に儚い印象を与える薄めの顔だが、繊細で整っている。
色白の肌はネイビーのワイシャツによく映えて、細身にぴったりとフィットしていて、すっきりと洗礼された様子だ。
ノクターンにおいては眩しすぎるくらいの人だ。

「はじめまして、こんにちは、ブラックさん。私にどういった御用ですか?」
「ああ…レギュラスと呼んでくれないか?昨今の影響で腹立たしいことに苗字を名乗ることに抵抗があるから」
「失礼いたしました。では、レギュラスさん。私にどのような御用ですか?」

微笑んだまま腹立たしいと言うものだから、一瞬戸惑ったが、彼なりの怒りの表現なのだろうと夜子は無理やり納得して名前を呼ぶようにした。
大人の男性のことを名前で呼ぶようなことは今までなかったので、非常に緊張する。

それにブラック家と言えばノクターンでも有名な純血の家の当主様だ。
自分が思いつく精いっぱいの敬語を使って、背筋をしっかりと伸ばして対応するように心がける。
不躾で礼儀作法のなっていない子だと思われたくなかった。

緊張している夜子に対し、レギュラスは彼女の肩に置いていた手を離して、腰の後ろで組んだ。
彼女の緊張を警戒と見て、敵意がないことを示すためだ。

「今日、リドルさんのところに来客があったのは知っているね?」
「はい」
「その来客さんと僕は先輩後輩の仲でね。何かあるかもしれないから、2時までに帰宅しないようであれば手助けに来てほしいと頼まれてしまっているんだ」
「…はい?」

今日の来客が誰かは知らなかったが、リドルが夜子を外へ出したことと、ブラック家の当主と同寮であることを考えると、来客が純血主義であることはすぐにわかった。
そして後輩とはいえ、ブラック家当主を使い走りにできるレベルの家だ。
手助けができることなど何もないのではないか、という思いが夜子の返事を半音上げた。

ただ、レギュラスはいたって真面目そうに夜子を見ている。
彼が本気なのが分かったので、夜子は分からないことを質問することにした。

「私が手助けできることなど、ないかと思われますが」
「まあ、不確定要素ではあるけれど。はっきり言うと、一緒に巻き込まれて欲しいってことだね」
「巻き込まれる…」
「僕としても巻き込まれるのは御免だったのだけれど、色々あってこうせざるを得ない。リドルさんは君がお気に入りのようだし、居てくれると少し場が和らぐかもしれないから」

レギュラスはため息をつきながらそう言った。
どうやら彼は先輩にいいように使われてしまっているらしい。
意外と穏やかで素直な人のように感じたが、夜子を巻きこんで自分が助かろうとしていることを考えると、性格事体はそう良くないのかもしれない。
ただ、口に出して言ってくれるだけましだった。

ただ、夜子自身はあまり自信がなかった。
レギュラスは過信していると思った。

「お気に入り…というわけではないと思いますが。ただのメイドですし」
「いいや。あの人は今まで来客以外の人間を家に上げない。ましてや、家に置くなんて今までなかった。君は特別だ」
「は、はあ…」
「それでも、君がいてくれると心強い。…ああ、そうそう。トリロジーでの買い物は済ませておいたから」
「はい?」

レギュラスは状況がつかめず戸惑っている夜子の手を取った。
時刻は3時半、大遅刻である。
もしかするともう既にルシウスが帰宅している可能性もあるが、それは別に構わなかった。
ノクターンで偶然夜子を見つけて、買い物の手伝いをしていたことにしてしまえばいい。

未だ目を白黒とさせている夜子を自分の元に寄せて、レギュラスは杖を振った。
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