1.夜のノクターン
ノクターン横丁の夜は危険が多い。
大抵の善良な住民たちは用がなければ決して夜のノクターンに繰り出すことはない。
夜のノクターンにいるのは、純血の魔法使いや闇の魔術に精通したもの、それから夜にしか生きることができないものなどだ。
その全容は確かでないものの、夜子はそのどれにも該当しないことは確かだった。

夏だと言うのに、昼過ぎから降り続いている霧雨のせいで肌寒いくらいだった。
夜子は長袖の学校指定のカーディガンを羽織って、大きな蝙蝠傘と共に歩いていた。
蛇の這った跡のような曲りくねった小路を進み、ノクターン横丁の奥へ奥へと進んでいく。
どこまで行ってもノクターンは2階建て以上の建物がなく、どこまで行ってもずっと同じ風景を歩いているような錯覚に陥る。

パン屋と魔法具屋の間にある従業員通路のような細道を、夜子は進んだ。
これから向かう屋敷の主は優れた魔法使いで、スリザリンの末裔であると噂されている。
ノクターンの主…マスターとも呼ばれる人で、基本的にはマグル嫌い。
魔法使いなら、姿あらわしを使えるのが当たり前と言う考えの元、魔法使いのみを家に入れるために、家への道は非常に狭く、誰も通らなさそうなところを選んでいるという。

姿現しの使えない夜子は、その人の通らなさそうな小道を歩くしかなかった。
ゴミを漁る猫を跨いで、乱雑に張り巡らされた洗濯紐の間を抜ける。

「…ここ?」

狭い従業員通路を抜けると、突然開けた場所に出た。
小規模な広場のような場所で、噴水やベンチ、切りそろえられた植木がある。
煉瓦の色もくすんだ赤ではなく、明るいベージュや朱色でできている。

何より、街灯があるのが特徴的だ。
ノクターン横丁には殆ど街灯がない、あっても弱々しい光を灯すものばかりだ。
だというのに、ここの街灯は煌々と橙色の光を零している。
まるでいつか写真で見たイタリアの広場を切り取って張りつけたかのような光景だ。

噴水の向こう側に、2階建ての家があった。
屋敷と言うには少し小振りで、門扉は夜子の胸辺りの高さにあるくらいの、ごく一般的な家だった。

「…ごめんください、」

表札はないにしろ、メモ通りの場所にある家だ。
恐らくここに違いないと夜子は門扉を開いて、小さな庭に足を踏み入れた。
綺麗に揃えた芝と飛び石、それから家の裏に繋がる小路には、如雨露やバケツが置いてある。
どうにも生活感に溢れすぎていて、困惑した。
ノクターン横丁では、こんなに明るい風景は中々ない。

夜子はダークブラウンのドアノッカーを控えめに叩いた。
異常なのだ、ノクターンにおいてこんなに明るく普通の家は。
こういう家を建てたいなら、ノクターンではなくてもっと別のところに建てるべきだ。
それをしない、明るい家をこんな暗い街に作る、住人の少し歪んだ性質を夜子は本能的に感じ取っていた。

「おや、随分と小さいお客がきたものだ」
「こんばんは、初めまして、マスター」
「…ああ、こんばんは」

ややあって、玄関のドアが開けられた。
顔を出したのは、30代くらいの男だ。
夜子はその人を恐れることなく、真っ直ぐと見据え、挨拶をした。

ノクターンの夜の挨拶は、こんばんは、だけである。
夜分遅くに失礼します、という言葉はノクターン慣れをしていない人が発する言葉であると考えられている。
ノクターンにおいては夜分の方が都合のいい相手が多いからである。
夜中のノクターンのマナーを知る、あまりに幼い客にリドルは多少驚いた。

「さて、ここに何用だ?」
「…あなたの大切なの、届けに」

そう、夜子がノクターンの主に会いに来たのは他でもない、彼のものと思わしき品物をホグワーツで拾ったからである。
夜子は肩にかけていた鞄から、真っ黒な日記帳を取り出した。

リドルは訝し気に目を細めた。
その日記帳は確かに自分のもので、彼女の言う通り、大切なものである。
それはかつての友人に預けていたはずで、ホグワーツになどあるべきではない。
ましてや、こんな誰とも知れない拙い少女が持っているべきものではなかった。

「どうして、僕のだと分かった?」

夜子は困ったように眉を寄せるばかりで何も言わない。
そしてはっとしたようにショルダーバッグに手を入れた。

リドルはその瞬間に、夜子の首元に杖を向けた。
自分の分霊箱を持っている上に、身なりもいいとは言えない少女の不可解な行動を許すわけにはいかない。
少女ははっとしたように両手を上げた。

「違う、メモが」
「メモ?」
「英語ができないから」

先ほどから随分と拙い話しぶりだとは思っていたが、まさか英語ができないとは思いも縁らなかった。
リドルは首元に突き付けていた杖を、軽く降って翻訳魔法をかけた。

「これでいいだろう」
「え…」
「僕の言っていることが分かるな?分かったなら、自分の名前と身分を証明しろ」
「はい。私は夜子・如月と言います。日本出身で、ホグワーツの2年生です。今は、ノクターンでアルバイトをしながら暮らしています」

夜子は自分が流暢な英語を話していることに驚いて、目を丸くした。
翻訳魔法の存在自体は知っていたが、こうも簡単に英語を話せるようになるとは。
リドルの話す内容もすぐにわかったので、落ち着いて受け応えができた。

夜子の言葉を聞いて、リドルは不可解ながらも頷いた。
色々と気になるところはあるにしろ、彼女がホグワーツ生で、自分の分霊箱を持っている事実は変わらない。

「…中に入れ。こんなところで長々話す内容じゃない」
「え、いえ…私、これを渡しに来ただけなので」
「お前にとってはそれだけでも、僕にとってはそれだけじゃない。いいから入れ」

分霊箱に関与する話を玄関先でするのは避けたい。
誰が聞いているとも限らないし、今ここで何が起こるかわからない。
玄関はまだ、リドルの領域の外である。
一歩家の中に入れば、リドルの領域内となり、基本的なプライバシーや身体の危険からは逃れることができる。

ここまで日記帳を持ってきた少女が何もなくて済んだのは、彼女がただの少女だったからに過ぎない。
リドルのものであることが分かれば、その日記帳の価値は一気に上がる。
ありとあらゆるリスクを考え、回避する必要がある。

夜子は、家の中に入るのを躊躇っていた。
理由は簡単で、人様の家に上がる機会が一切なかったからである。
リドルの深い意図など全く関係なく、ただ単に家に上がることを遠慮していた。
彼の後ろに覗く家は、とても綺麗で明るく、良い香りがした。
そんなところに自分が入り込んでいいのか、不安だったのだ。

いつまでも二の足を踏む夜子の腕を引いて、リドルは玄関の扉を閉めた。
そんな下らない理由で時間を割くほど、暇ではない。
prev next bkm
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -