Past liquidation
玲は確かに、前世の記憶を持っていた。
しかしもうそれを他人に求めることはやめようと思ったのだ。
覚えていない者にとっては、押し付けとしか思われないからだ。
波多野も玲も諦め始めていて、思い出さないなら、それはそれでいいという考えになってきていた。

この時代でもう一度友好関係を作るもいいし、いっそ何もなかったように接触しないのもいい。
玲は前者を選び、波多野は後者を選んだ。

「そんで三好は玲を置いてドイツに留学かあ」
「まあ、付き合ってるわけでもないですから…しょうがないです」

波多野は主に、玲から三好や甘利の話を聞いていた。
高校を卒業しても、2人以外の機関員を見つけることができなかった。
だから2人の話は専ら、三好と甘利の現状についてのことだ。

玲は前と同じように三好と共に居るために、何度かアタックを仕掛けているらしいが、悉く躱されてしまっているようだ。
三好も矜持が高いから、そう簡単に付き合うつもりはないらしい。
玲も玲で遊ばれるだけの関係にはなりたくないという理由で、決して三好の遊び相手になることはなかった。

「ただ、心配なんです。私、今年で18ですから…何かあるんじゃないかと」
「あ。そういや、丁度そうか」
「ええ。私はともかくと、ドイツに一人でいる三好さんに何かあったらと思うと」

前の玲の最期は、彼女が18歳の時、ドイツの列車事故で、だった。
聞けば玲は三好を庇って死んだのだから、何かあったらと思う気持ちも分からないこともない。
ただ、前と今は違うのだから、と波多野は思ってしまう。
波多野は過去の話をしなくなった。
東大になら誰かいるかもしれないと言う微かな希望を持って、東大に入学したものの、誰もいなかったことが原因で、そのことは波多野を失望させるには十分だった。

玲はいつまでも、過去に囚われている。
三好以外を見ることなく、ただただ真っ直ぐに過去を見ている。
そこに先がなかったとしても、彼女はそこ以外を見ることはないのだろうと波多野は思っていた。

甘ったるいコーヒーを飲みながら、波多野は心配そうに眉を寄せている玲の肩を叩いた。

「ま、何とかなるって」
「まあ確かに、心配していてもしょうがないのですけど」

玲もこんなことを考えていてもしょうがないと言う気持ちはある。
ただそれでも悶々と考え込んでしまうのだ。
そう言う時に話を聞いてくれる波多野は、玲にとってとても有難い存在だった。

何より、過去を居有している人がいてくれると言うのは、酷く安心できることだ。
甘利も三好も何も思い出さないから、玲は途中から自分がおかしいのではないかとすら考えるようになったのだ。
過去の記憶はすべて、自分のおかしな妄想なのではないかと不安になったこともある。
その度に、波多野は玲にそうではないと伝え続けてきた。

「それになんだかんだで、三好さん、放っておいてくれないから」
「どういうことだ?」
「ほら、この間話していた勘違い男いたでしょう?連絡先大好きな馬鹿男」
「あー聞いたな、そんな奴」

玲は歳を重ねるごとに美しく成長した。
派手というわけではないし、目立って可愛いというわけではない。
ただ静かな美しさだ、流線型の瞳に適度に付いた涙袋、すっきりした鼻立ち…綺麗に作られた部品をバランスよく並べたような、自然な美しさだ。
着飾らない方が綺麗に見えるという稀なケースであると波多野は評価している。

ただ、玲も前の記憶をしっかりと持っているがゆえに、極力顔を覚えられないように過ごしていた。
だからこそ、声を掛けてくる男はそれこそ神永を酷くしたような、女だったらとりあえず声を掛ける馬鹿にだけ捕まってしまった。

連絡先を集めて回っているらしい男に付き纏われて困っているという愚痴を聞いていた波多野は、そう言えばその後のことを聞きそびれていたことを思い出した。

「三好さんが追い払ってくれたんですよ」
「何だアイツ、やるときゃやるのかよ」

嬉しそうにそう話す玲に、波多野は頭を抱えたくなった。
もう玲は三好のことを忘れた方がいいんじゃないかと思うことすらあったが、玲はますます三好にのめり込む。
しかも三好自身もそれを楽しんでいる節がある。
昔のカフェーでのやり取りを思い出すと、苦い思いしかしない。

ある意味、玲は新たに恋をしていると言っても過言ではない。
もう過去云々関係なく、現在の三好に恋をしている。

「波多野さんは、私のことを愚かだと思っているでしょう?」
「そこまでは言わねーけど」
「優しいですね。…でも愚かでありたいんですよ、私はもうスパイでも女中でもないですから」

波多野は少し目を丸くして、すぐに笑った。
過去に囚われていると思っていたが、そうでもないのかもしれない。
玲は玲なりに過去を捨てて、感情を隠すことなく、余すことなく、真っ直ぐに三好に向き合っている。
過去を求めているわけではない、三好とのこれからを得るために動いている。

考えを改めなくてはならないと波多野は思った。
過去を覚えていない機関員に会うのは嫌だと思っていたが、元々彼らとは気が合ったのだ。
お互いに本名も年齢も知らない機関員たちとの日々は、心地よかった。
きっと今も気が合う、いい仲間になれる可能性が高い。

「…また、探してみるか。あの馬鹿どもを」
「それが良いと思いますよ。きっと賑やかにになりますから」

玲は笑ってそう言った。
彼女もまた、過去の記憶がなくともみんなに会いたいと思っている。
昔のことは忘れて、今の彼らと話がしてみたい。
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