クレイジー・オブシディアン
今晩の宝は大粒のブラックパールの散りばめられた、どこぞの王が寵愛した愛人に贈ったとされるブレスレットだったが、それよりもずっと美しいものを見つけた。

ベルベットの赤い生地に包まれたダイヤモンドの煌めき。
透き通っているかのような肌、研ぎ澄まされた刃のような白銀の髪、シャンデリアの光が星の様に散らばった宵闇色の瞳、しなやかな身体は赤のイブニングドレスで飾られている。
何より特筆すべきは美しく研磨されたかのようなオーラ。

女は、静かに壁に飾られた絵画を眺めているようだった。
彼女の頭の高さにある絵画は、油絵の巨匠ヴァルヴィルーシェの“王座とシャンデリア”である。
絵画に興味があるかは、横顔だけでは判断しかねた。

「失礼、お相手の方は?」
「…今、席を外しております。間もなく戻ります」
「そうでしたか。…この絵に興味が?」
「いいえ。お恥ずかしいことですけれど、絵画の知識はあまり」

クロロが声を掛けると、女は彼の方を見た。
どうにも美しい女だ、軟派をしてきた男に対しての拒絶と侮蔑を丁寧に織り交ぜた冷えた視線も、気取った様子がそそる。
会話をしたくないのか、先がなさそうな答えをわざと返す聡明さ、男を寄せ付けないかたくなな態度。
お恥ずかしいなどと言っておきながら、ちっとも恥じていない態度もいい。

柔い男であれば、女の態度で自ら逃げる場合もあるだろう。
ただクロロは、どうにも我の強い女が好みで、このような手堅い女を手籠めにする快感を楽しむ男だった。
女に対しては生粋のマゾヒストなのである。

「俺のことは、嫌いですか」
「嫌いと言われたいのですか?」
「いいえ?」

予てから、クロロはどうにも欲しいものを目前にすると自分をコントロールすることができなくなる。
欲しいものを得るためであれば手段は択ばない、物相手であればその程度で済んだが、その性質が人間に向いたのは初めてのことだった。
人間相手にその激情を感じたクロロは、自尊心も自制心も殆ど捨て去ってしまっていた。
一種の興奮が冷静さを打ち消して、クロロの本質を剥き出しにさせる。

女はそこでようやく、すまし顔を顰めた。
それは理性を失った男へ対しての無知から来る困惑と、困惑させてきた男への苛立ちだった。

「…嫌だわ、あなた酔っていらっしゃるの?」
「いいえ。アルコールには強い方なので」
「嘘。じゃあ、そのおかしな発言はなんだと言うの」
「おかしいとお思いで?」

女は困惑していた。
目の前の男は、それこそ顔もオーラも整っている。
それなりの実力者であることは分かっているから、それなりの警戒を持って会話をしている。
だと言うのにこの男は先ほどから変なことばかり、理解が及ばないような話を取りとめもなく話しているのだ。
これがアルコールのせいでないなら、どうしてこんなことになっているのだ。

おかしいと思うのか、と問うた男は柔らかに微笑んでいる。
これをおかしいと言わずに何といえばいいのか、女には分からなかった。
意図が掴めない、理由がわからない行為は女にとって恐れるに足りる、おかしな事態だ。

「ええ。あなた、酔っていらっしゃるのよ」
「酔っていると言えば、そうかもしれませんね。…そうそう、俺はクロロと言うのですが、あなたは?」
「…ルイですけれど。酔っていらっしゃるのなら、少しお休みになっては?奥に部屋があるそうですけれど」

クロロと言う名前に、ルイは微かに身体を強張らせた。
父から以前聞いた名前であった、敵に回すと面倒だから仕事であったとしても極力避けろと言う内容だったはずだ。
面倒な人間に目を付けられてしまった。

このパーティでは下種なことに女を連れ込んでいい休憩用の部屋がある。
ベッドが用意されているという下種なゲストルームでやることは決まっている。
無論、ルイは付いていく気はない。
ただクロロはその言葉に目を輝かせるくらいには冷静でなかった。

「ああ。そうしましょうか」
「…私は行きませんよ。そう言う趣味はございません」

クロロは自然な動きで、ルイのレースのグローブに包まれた手を取った。
ルイはその手を軽く払ってクロロを睨む。
厄介な酔っ払いに捕まってしまったことと、パートナーがいつまでも帰ってこないことに苛立っていた。
仕事の遅い男が、ルイは嫌いである。

ルイは胡乱気にクロロを睨んで、貴方だけで行ってきてください、と彼の背を押すような言葉を告げた。
クロロは笑顔のまま、貴方を置いてなんていけませんよ、と答え、ルイの機嫌はさらに悪くなっていく。
不機嫌そうなオーラを出している姿もまたいじらしく可愛らしいと目の前のクロロが考えているとも知らずに。

「あなたと話がしたいんです」
「パートナーがそろそろ戻ってきますから、結構ですわ」
「それはいい。パートナーの方とも話がしたかったので」

もう何を言っても無駄だ、とルイは悟った、この男、何を言っても離れる気はない。
幸いなことに、太ももに付けられたホルスターの中に仕舞われた仕事終了を告げる無線機が震えていたし、もう間もなくパートナーであるイルミが戻る。
もう殺してしまいたいくらい、目の前の男がうっとおしい。
早く戻ってきて、と思いながら、刺激の少ないシャンパンで唇を濡らした。

「…クロロ?」
「ああ、イルミ。戻ったの。知り合いならこの男を何とかしてもらえるかしら?」
「何とかって…何?」

イルミが戻ってきたのは、無線機が震えた数分後のことだ。
帰還のスピードに文句はないが、このパーティのパートナーとして彼がルイを選んだことに今更文句を言いたくなった。

イルミはイルミで、ルイとその隣の男の顔を交互に見て小首を傾げた。
そして、普段穏やかなルイの機嫌が氷点下まで落ち切っている不可解な事実に、さらに深く首を傾げる。

「イルミがパートナーなのか」
「そう。クロロ、ルイに何したの?」
「どういう関係だ?」
「え、姉弟。ルイは俺の姉でゾルディック家の長子。で、クロロ、姉さんに何したの」

イルミの質問に答えることもなく、クロロは一方的に質問をぶつけてきた。
その態度に流石のイルミも多少苛立ったが、ふと考えて、それを抑えた。
ルイ・ゾルディックは正真正銘のゾルディック家長子であり、兄弟のうちで最も強い姉である。
彼女の機嫌を損ねると、それこそ1週間以上扱かれることになる弟たちは、穏やかなルイの逆鱗には触れないように細心の注意を払っている。
だから、既にルイの逆鱗を撫で回したクロロに哀れみを抱いて、彼の質問に答えたのである。

まさか、その答えが彼を喜ばせる一言だとは思いもせず、である。

「なるほど。じゃあルイ、俺と結婚しよう」

その場の空気が一気に下がったのを感じたのは、イルミだけではない。
会場の人間の殆どが悪寒を感じ、びくりと身体を揺らすぐらいには冷えた殺気がルイから放たれている。
しかし目の前のクロロだけは、それに気づいているのか…嫌気付いているはずなのだが、全く動じない、その上滅茶苦茶に笑顔である。

イルミは速攻で逃げたくなったが、ここで逃げれば後々姉から更に怒られるだろうと、その場に残ることを選んだ。
ふざけたことを話しているクロロの口をどうやったら塞げるかと考えながら。

「死んで」

ルイの答えはオーラ通りのもので、本気で殺しに掛かっている。

1つ言っておくと、ルイは結婚について諦めている。
長子であることも相まって何度か見合いもしたが、ルイは徹底的に男運がなく、付き合う男すべてがどうにも恋愛になると駄目男になるという驚異の運を持っている。
その上、最近子供ができない身体であることが判明してしまい、男女関係においてルイは非常に荒んでいた。
その傷に塩をかけて詰ったのがクロロである。

無論クロロがそんな事情を知るわけがない。
彼の運が悪いのか、それともルイの男運が悪いのか、イルミには分からない。

「ああ、お前のためなら死んでもいい」
「なら今すぐ死んで」
「ルイが殺してくれるなら喜んで」
「イルミ、やって。私、この男の血で手を汚すのは嫌」

そしてクロロの頭も大分おかしいようだ。
これ、どうしたら収束するんだ、と考え込んでいるイルミに、クロロは追い打ちをかけるようにルイの手を取った。

ルイの手がクロロの頬に飛ぶまで、数える間もなかった。
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