もう、君がいないといられない
名無しさんはふんわりとほほ笑んだ。
まっさらな大地に一輪の花が咲き誇る様に。

どうして、こんなことになった?
目の前の橙に億することもなく楽しそうに笑う。
不敵に、大胆に、美しく、壊れたように。

「さてと、私もね、店長殺されちゃったら働いてられないのよ。困っちゃう」

びくり、と橙ではなく、その後ろの人形師が揺れた。
曲識自身ももちろん感じ取っていた。
背筋が粟立つような殺気。
前々から思っていたことだ、本当にこの女は強いと。

「さぁ、おいで。ええっと…なんていうのかしら?オレンジちゃん」
「げら、げらげらげら」
「…そんなの関係ないってことかな?全く躾がなってないわね。頑張ってよ、るれろさん?」

名無しさんは白い細い指で、滑らかにピアノ線を絡める。
普通は手袋で押して使うものなのだろうが、名無しさんは全く使わずに糸を操れるようだ。

酷く好戦的な名無しさんに曲識は動揺を隠せなかった。

「名無しさん…?」
「…、ごめんね、曲識さん。今は名無しさんじゃないよ…、ちょっと寝ててもらえると嬉しいんですけど…まぁそうもいかないかな」

名無しさんではない。
妙に納得できる言葉ではあった。
今の名無しさんは、違う、違いすぎる。

同じ人間であるはずなのに。

「はー、もう…こんなに早くこうなっちゃうなんてね。しかも一族がらみじゃないと来た」
「げらげらげらげら!」
「ちょっと、そんなとこばっかし分ったように笑わないでよ」

笑うことしかしない橙に呆れつつ名無しさんはすでに臨戦態勢に入っているようだった。

ずっと笑っていた橙が笑い終わると同時に、戦闘ははじまり、そして終わっていた。
本当に一瞬だった。
名無しさんが橙の動きを読んで一歩先に動いていた。
きらり、とした鋭いものがいつの間にか地面に何本も突き刺さっている。
そしてその先からピアノ線が張られていて、橙を捕えていた。

「はー…もう、現役は離れたのになぁ…」
「何?!」
「ちょっとの間は稼げるんじゃ…ないか…甘かったかな」

るれろさえも驚くほどの実力だった。
ピアノ線を握りしめて、縛り上げているようだった。

だが、そうそう縛られているような橙色ではない。
もがいて、すでに何本かの糸を切っていた。
ピアノ線を素手でちぎっているのだ。

「…はぁ…、もう、曲識さん、先に逃げてください」
「待て、それは…」
「この状況見て私はあなたを守りながら戦うだけの余裕はないですよ。正直言って足手まといです。さっさと逃げてください、その怪我なら少しは逃げれるでしょう」
「…、」
「さっさと行く!!」

最初はのんびり言っていたが、本当に余裕がないらしい。
橙はずっともがいている。
このままではあの橙が名無しさんの包囲網を破るのは時間の問題だ。

曲識は怪我をしているものの、上半身だけだ。
多少は走れる。

名無しさんに一括されて、曲識は立ち上がった。
走れるとはいえ、戦えはしないし、自分の身を守ることもままならないだろう。
名無しさんの言うとおりであると曲識は冷静に判断した。
だが、名無しさん1人橙のもとに置いておくのは当たり前に心配である。

たったまま動かない曲識に名無しさんは痺れを切らしたのか、無理やり曲識を動かす。
マリオネット、というのだろう。

「はいはい、私も後を追いますから。逃げるのは曲識さん譲りでうまくなったんですからね」
「…それも、悪くはない、か」
「そういうことにしていてください」

名無しさんはふふ、と笑った。
名無しさんだったと思う。

マリオネットにされていた曲識が自力で走りだす。
名無しさんの言葉を信じて。


「…!哀川潤!?」
「お?…なんだ、零崎曲識じゃん。最近あたし零崎づいてんなー」
「出会い頭で悪いが、上のやつらを止めてくれ!お前は請負人だろう?」
「おいおい。あたしをそんな万能扱いすんなよ。つってもまぁ、それは請け負われなくてもするさ。そのために来たんだ」

ってか、何でお前逃げてるんだ?という声ではっとした。
じゃらん、とマラカスを振って自分の身体を自分で操作する。

この際、哀川潤に10年来に会えたのは二の次だった。
まだ喜べない、名無しさんが上で戦っているのだから。

「僕も行こう」
「おー、いいぜ」

曲識は気がついた。
橙から逃げているだけではなく、名無しさんからも自分は逃げていたのではないかと。
違いすぎる名無しさんが怖いだけだったのだ。
曲識の知らない名無しさんを知ることが怖かった。

ただ、きっとこの戦いが終わったら、名無しさんが消えてしまうような気がする。
そんな伏線のように感じるのだ。
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