孤独だった頃の傷跡
殺していた。
裂いて、切って、殴って、嬲って、刺して、千切って、焦らして、縛って、吊るして、絞めて、斬って、殺す。
ただその行為は娯楽でもなく、仕事でもなく、義務だった。
殺すことが名無しさんにとっての義務で、教育で、人生だった。

「…、」

顔に表情はない。
顔はただ単に食慾のための、視力のための、嗅覚のための、感触のための器具が揃っているにすぎない。
乾燥しきって、荒廃しきった名無しさんの心には何の感情も存在しなかった。

強さも、弱さもない。
ただの殺戮兵器のように、名無しさんは育てられた。

「匂宮皆無」
「はい」

何かなど存在しえない。
あるのは虚無感だけ。

「今日の任務は1つ。主要人物の暗殺だ」
「御意」

名無しさんの話す言葉は、ほとんどそれだけ。
匂宮の前では、はい、御意しか言わず、いいえもいいはしない。

廊下を歩いて、自分の部屋に戻って準備をしに行く。

「あ、ねーちゃん!」
「ねーちゃんだ!」

髪の長い見た目の同じ、兄弟が声をかける。
匂宮は、基本的に兄弟、姉妹、双子などで一緒に任務をする。
だが、名無しさんの片割れは、来無は。
殺された、匂宮に、食われてしまった。

優しくて、明るくて、名無しさんと正反対だった双子の姉。
妹は残されて、姉の分まで殺す。

「ねーちゃんこれからしごと?」
「しごと?しごと?」
「ええ」

もう真夜中だというのに、2人遊びに励んでいる兄妹に簡単に声をかける。
別に血のつながった兄妹ではないが、名無しさんに一番近い匂宮。

「ふぅん、がんばれー」
「がんばってね!てね!」
「…早く寝なさい」
「むぅー」

ぱちん、と部屋の電気を消すと、中から異論の声が上がる。
表情豊かな兄妹といると、なんだかくすぐったい。
ならば、電気を消して真っ暗にしてしまえば、その表情は見えないのだ。
名無しさんはそのまま部屋に向かって準備を始めた。


家から支給されたスーツに着替える。
若干の胸の膨らみや、丸みを帯びた体つきから、ようやく女だと分かるような格好。
短い黒髪に精悍な顔つきに無表情。

豪華なホテルには似合わないわけではないが、無表情すぎるのも問題だ。
だが、暗いパーティ会場なら問題はないだろう。
そのあたりにあったナイフをスーツの裏地に忍ばせた。


小さなパーティー会場の真ん中のステージには、珍しく白いグランドピアノ。
そこに座っているのは、短いポニーテールの少年だった。
青年というには若干若いように見える。

すぐ隣に、殺すべき人間がいる。
だが、名無しさんはどうしても動けなかった。
彼のせいだろう、音で精神干渉をおこなっているのだ。
だから、きっと動けない。

彼の弾くピアノは、名無しさんには上手なのか、下手なのか良くわからなかった。
だけど、綺麗だとは思った。
まっすぐだとは分った。
ぬるま湯にどっぷりつかっているような、そんな感じがした。
温かい感じがした、満たされる気がした。
心地よい、音だった。


名無しさんは拍手の音で、解放された。
会場の照明がつくまでに隣の男を殺さなければ。



孤独だった頃の傷跡




(あの時のピアノが)(未だに)(忘れられないのです)
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