甘えたいのに甘えられない
名無しさんは仕事を休んでいた。
滅多に予定が入っていない名無しさんだが、今回は少し気になることがあった。
それで、こんな田舎に来ているのだが。

「本当に田舎だけど…こういうのって全国放送されるのかしら」

名無しさんの目の前には、殺された人間。
切り口は鋭い刃物でちょっきん、といった様子だった。
思い当たる節は、1人しかいない。

まぁあの人がいてもいなくても、別に問題はないかと思う。
今回の名無しさんの仕事はそっちじゃない。

すたすたと、人間だったろうそれらから離れる。
もう興味はほとんどなかった。
もしこれが、彼が殺したものだと分かったのなら、もっと詳しく調べたりもするのだが。
あの人じゃあ調べる気も起きない。
なんと縁の合う鬼なんだろうかと、ため息をつく程度だった。


ガーゴパンツのポケットにしまっていた、携帯が鳴りだす。
いつも仕事の時はマナーモードだが、この田舎でマナーを気にする相手もいないので通常モードに戻していたのを忘れていた名無しさんは地味に驚いた。

着信の相手は、可愛い弟。

「もしもし?どうしたの?お土産?何か特に特産物があるような場所じゃないんだけど…うん?ああ、本部からの連絡ね。うん。そう。もう近いから…すぐに終わると思うわ。それに、思ってもみない人たちがいるらしいの。匂宮じゃないわ」

本部からの連絡は、定時連絡のみ。
特に何もないらしい。

本部と言っても、名無しさんは匂宮に見つかったわけではない。
仲の良かった分家の友人に頼まれたので、友人の代わりとして仕事を実行しているだけ。
友人家も別段興味を示している仕事ではないし、匂宮本部からノーマークであることは明らかなので、お願いを聞きいれたのだ。
友人たちも別にこの仕事ができないだとかそういうわけではなく、それよりも大切な用事が入ってしまったとのこと。
匂宮にいながら匂宮より大切な仕事があるのは本来良いことではないが、匂宮からの家でを実行中の名無しさんには何も言えない。

「大丈夫、怪我なんてしないわ。怪我したら明後日から働けないじゃない」

一応、とってある休みは明後日まで。
無断欠勤などしたくもないので、名無しさんはこの仕事を今日明日で仕上げて帰るつもりだ。


「もう、こんなところまで逃げ込んだの…?」

名無しさんは夕暮れ時の暗い森を歩いていた。
ぶつぶつと文句を言いつつも、その足取りはまっすぐだった。

先ほど見た時宮のおばあさん。
あれは確か、時宮の結構上位の人だったと思ったが。
そして、落ちていた女性の手首。
一体何人この仕事に関わっているのだ。

「ん…?あら、いいときについたわね」
「っ!?誰!!」
「あら、そんなもの向けないで…あなたたちに用があるわけではないのよ」

ふふ、と笑いながら名無しさんはゆっくり歩みを進める。
何も言わないが、驚いたような表情を浮かべる双識を無視して、驚いた表情ののち怯えはじめた早蕨を名無しさんは目でとらえる。

「ねぇ、確かあなたたち、3人兄弟だったじゃない。他の人は?探すの面倒くさいの。連れてきてよ」
「…どうして…、おま、あなたが…ここに…」
「質問に答えて?私もね、さっさと帰りたいんだから」
「代わりに私が答えようか。1人は死んでいるらしいよ。1人はいまだどこかにいるんじゃないかな?伊織ちゃんが殺せるとも思えないし」

完全に刃渡は困惑していた。
匂宮本家の意とは違う方向に動いて行く上で、自分たちを始末しようとする動きがあったのは知っていた。
だが、始末しようとしていた奴らも対して力がなかったので、ここまで来れたのだ。
ここで、どうして本家の、しかも家出したエースが出てくるのだ。

本家エースの皆無が出てきた時点で自分たちに勝ち目はなくなった。

「そう。じゃあ、私は刃渡くんを殺して、そのもう一人…薙真くんだったかしら…、そっちを殺すにしましょう」
「待ってくれ!弟だけは…弟だけでも助けてくれ!」
「何言ってるの。そんなの薙真くんが可哀想よ。兄弟がいない匂宮なんてただの殺し屋よ」

それは、名無しさんにも言えることだが。
名無しさんはあえてそう言い切った。
自分自身の兄弟姉妹がいないことは名無しさんを弱くしていると思う。
だがその弱さと強さが名無しさんは釣り合っているので丁度良くなっているのだ。

この微妙なバランスを保つには、薙真の器はいささか小さすぎる。

「ま、少し懺悔の時間くらいあげるわ。今日中にあなたたちを殺せばいいから時間はあるもの。さてと。」
「ん?何かな?皆無ちゃん」
「2人とも一応怪我の応急処置くらいはしておくわ」
「?おや、気がきくね」
「感謝するなら私じゃなくて、彼にすべきね」

ウェストポーチから針と糸を取り出す。
ただし、戦闘用の巨大な針ではなく、医療用の針と、糸だった。
糸の種類を間違えると、縫合をした縫い目が腐り落ちるなんてこともあるので、注意が必要なのだ。

双識の胸元に飛び込んで、名無しさんは針を通す。
刃渡に背を向ける形での治療だが、特に名無しさんは後ろを気にしない。
気にしないというのは興味を持たないという意味であって、警戒はし続けている。
たとえ、医療用の細く小さな針と脆い糸であろうと、別に刃渡に負けると思っていないのだ。
後ろ脚一本があれば全く問題はない。

「お腹の怪我は、うん、これでいいよ。骨の修復は私には無理だから、医者に任せてね」
「すまないね」
「さて、双識くん、その女の子の手をそのままこっちに持ってきて」
「ああ、そうだね。よろしく頼むよ」

双識が両の手で押さえていた、少女の手首をまじまじと見据える。
うーん、と少し唸って、針を手に取る。

「少し痛いけど我慢してね。麻酔はないから」
「は、はい…」

これの止血は、糸でぐるぐる巻きにしておくにこしたことはない。
切られたばかりで、無傷の状態で手首がその辺に転がっているならばくっ付けることも可能だが、今は無理そうだ。
大部切り口が劣化しているから、この先義手が必要になるだろうと、名無しさんは冷静に考えた。

「これで良し…」
「なんだこりゃ…お前出夢の姉ちゃんじゃんか。兄貴とそういう関係だったのか?」
「まさか。そんなわけないでしょ、人識くん?」

名無しさんから少し遅れて登場したのは、人識だった。
血の匂いと勘で、ここを探し当てたが、そおの空間でも既に戦闘は行われておらず、その上自分の兄が女2人に囲まれる、というちょっとしたサプライズが待ち構えていたのだが。

「そういえば、人識君、ここに来るまでに薙真君に逢わなかった?」
「薙真?…長刀構えた男だか女だかわかんない奴に襲われたから殺したけど」
「あら、そう。じゃ、本当に残ったのは刃渡くんだけみたいね。ご愁傷様。安心して、ちゃんと殺してあげるわ」

別に名無しさんは刃渡の返事に興味がなかった。
するん、と双識の胸元から頭を上げて、そのまま刃渡と対峙する。

「最期に聞いておきたい」
「なぁに?」
「お前はなぜ、兄弟姉妹がいいないというのに、そんなに強くいられる?」

名無しさんには兄弟姉妹、なにもいない。
元は双子だったが、片割れは殺してしまった。
それから名無しさんはずっと1人で仕事をこなし、強くあり続けている。

匂宮の人間はほぼすべてが、兄弟姉妹双子などでタッグを組んで強くなる。
だが、名無しさんにはその基盤がまずないのに。
名無しさんはそんな匂宮のトップに君臨し続けているのだ。

「そんなの、簡単よ」
「?」

だが、名無しさんはそれの理由はたったひとつしかないと考えていた。
それは、言ったとおり簡単で、単純で、純粋な理由だ。

「守りたいものがあるから、でしょう」

名無しさんはそれだけ言って、刃渡の首を切り落とした。
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