本の恋
名前さんはカラン、とベルが音を立てるのを聞きながら、ミルクに口を付けた。
ヴィヴィオには少し悪いことをしてしまった。

「リドル、もう一羽梟を飛ばして。ヴィヴィオのアパートに向かうようにとマーゼルに」
「分かった」

ヴィヴィオが危険を忌避していることは良く知っている。
彼は自分が弱いことをよく知っていて、頭を働かせてこのノクターンでうまく立ち回っていた。
彼がジニーを助けたのはただの偶然で、巻き込まれたも同然だった。
運がなかったと言えばその限りであるが、その代わりに名前さんが手を添えることにした。
ヴィヴィオには非がないところで、火の粉を浴びせてしまったことへの名前さんなりの謝罪だった。

マーゼルはノクターンの何でも屋で、子どもの世話から男女の夜の相手まで何でもやると公言している変わり者だ。
そのくせ実力は持ち合わせているというコレットの友人の一人だ。

「ヴィヴィオのことは心配しなくて大丈夫。…それから、ハーマイオニーのことも返事が来たわね」
「無事なの?」

梟を外に放ちに行ったリドルが、もう一匹の森フクロウを手にしていた。
彼は梟を止り木に移動させて、手紙を開いている最中だった。
クリーム色の便箋には魔法省の協力者、セドリックからの伝言が書かれている。

リドルは便箋を開いて、さっと目を通した。
セドリックからの手紙は大抵、どうでもいいことが八割、結論が二割と言う非常に効率の悪い文章で作られている。

「ハーマイオニーはマグルの両親のところみたいだ。まあ、流石にマグルのところには被害はいかないだろう。そのままいてもらえれば問題ない」

リドルは梟に返信を持たせて飛ばした。
セドリックは今日暇なようだし、最悪、彼に来てもらって引き取ってもらうでもいいかもしれないとリドルは考えていた。
別にリドルはジニーがいてもいなくてもどうでもいいが、名前さんの睡眠時間が削られていくのは忍びない。

スープを運びながら名前さんを見たが、彼女は眠たそうに欠伸をしている。
昨晩もドラコの愚痴を聞いていたのだ、聞き飽きていることだろう。

「ジニー、白湯の方がいいなら持ってくるけど。何か飲んで身体を温めた方がいい、顔色が悪い」

のろのろとスープを口に運んでいる名前さんを見ているだけのジニーは、はっとして顔を上げた。
11歳の時に見た時と同じ顔だ、しかし、あの時よりも自然な表情をしている。
あの時はとにかく綺麗な微笑みで、笑ってばかりで自分の意見や言葉なんてほとんど口にしていなかったような覚えがある。
喋っているのは自分ばかりで、リドルはそれをニコニコ笑いながら聞いているだけだった。
今思えば、彼はつまらなかったに違いない。

今、彼は怪訝そうな顔をしている。
少しの心配と、面倒に思う気持ちが織り交ざったような、気だるげな様子だ。
そんな様子なのにやはり綺麗だと思ってしまうくらいには、リドルは整っている。

「ねえ、リドル。どうしてあなた、こうなったの?」
「君が水分と少しの食事を摂るなら教えるさ。暇つぶしにはもってこいだ」

リドルはにやりと笑って、そう言った。
本来彼はあまり自分のことを話そうとしないが、姿を見られた以上、これから先自分のことをポッターに知られずに過ごすことは難しいと考えた。
いつかやってくる、ポッターとの対峙の際に、ジニーが巧く味方に付いてくれたらやりやすい。

キッチンにある残りのスープに白米とチーズを入れて温め直した。
トマトとチキンのスープは白米とチーズを加えると簡単な朝食になるので、リドルはこれがお気に入りだった。
それと白湯を持って、リドルはテーブルに座った。

「おいしい…」
「それは何より」

名前さんは食事を終えて、うとうとし始めている。
無理もなかった、昨晩も遅くまで店を開いていたから。

「今度は僕の話を聞いてくれるかい、ジニー」

8年ほど前、リドルはジニーの話をつまらなく思いながら聞いていた。
同室の女の子にそばかすを馬鹿にされたとか、授業が楽しいとか、ポッターが気になってしょうがないとか。
特にポッターのことに関しては聞いておいた方がいいと思って聞いていたが、恋や愛なんてものをリドルは理解できなかった。

しかし、今からリドルが話すのは恋の話だ。
自分がいかに名前さんに恋をして、どうしてここにいることになったのか。
皮肉なことにリドルはジニーに話すのだ、つまらないだろう恋の話を。


最初こそ、名前さんは手の掛かる少女だった。
家はない、食事にありつくので精いっぱい、眠るのですら手古摺る、どうしようもない少女だった。
それでもその少女だけがリドルをこの世に繋ぎ止める存在だったから、彼は彼女を支えた。

「どうしようもなかった。働きすぎて倒れたり、眠らなくてはいけないのに眠るのだってままならなかったりした」

夏風邪を引いて酷い熱に魘されながらも、名前さんは眠らなかった。
完全に椅子で寝ている現在の名前さんを眺めながら、リドルは思い出した。
あの時は眠るのも一人ではできなかった。

「最初は苛々したよ。僕は名前さんがいないと存在できなかったし、名前さんは僕がいないと生きていけなかったから我慢して付き合った」

リドルは名前さんに知恵を、名前さんはリドルに魔力を。
お互いに足りないものを持ち寄って、支え合って始まった。

名前さんはリドルの知恵を得て、ぐんぐん成長した。
英語を話せるようになって勉強が楽しくなったようで、本に齧りついた。
きちんと食事を摂るようになったし、1人で眠れるようになった。

「名前さんは驚くほど無垢だった。僕がアドバイスすると何でも熟して見せた。それが面白くて、僕は名前さんにたくさん教えた」

リドルは静かに立ち上がって、眠ってしまっている名前さんの方に歩み寄った。
肘置きに凭れて眠っている名前さんをそっと大切そうに抱き締めた。
まるで大切なぬいぐるみを抱きしめる夢見がちな子どものようだった。

名前さんは少し身じろぎをして、薄く目を開いた。
面倒くさそうにリドルを押しやろうと腕をもぞもぞやっていたが、やがて諦めたようでもう一度目を閉じた。

「やがて名前さんには僕が必要なくなった。17歳で止まっている僕が教えられることなんて大したことなかったから。でも僕は名前さんから離れたくなかった。気が付いたら好きだった」

リドルは名前さんを抱き上げて、自分の膝の上に前抱きに乗せて遊び始めた。
名前さんが抵抗するのも気にせずに、額にキスをしてみたり、頬を撫でてみたりと自由にやっている。
名前さんは時折うっすらと目を開けて、気だるげに腕をもぞもぞして、また眠るを繰り返していた。

やる気のない抵抗だからこそ、リドルはつけあがっているのだろう。
リドルの片手が名前さんの顎を抑えて唇にキスをしたあたりで、ジニーは堪えきれずに口を開いた。

「…ごめんなさい、リドル。話が頭に入ってこないんだけど」
「え?ああ、別にいいよ、入れなくても」
「なんとなく分かったわ。恋って偉大ね。リドル、貴方50年前に名前さんと出会ってたら良かったのに」
「最近、本当にそう思うよ」

ジニーは初めてリドルの純粋な笑顔を見たような気がした。
もし彼が50年前に名前さんと出会っていたら、きっと闇の帝王になんてならなかったに違いない。
もしも、なんてことはないことは分かっているが、そう思わざるを得ない。

そこからリドルは機嫌よくジニーの質問に答えた。
彼女の質問は昔と違って聡明であり、的確で、やはり皆成長しているのだとリドルは感じた。

「質問はそれくらいかい?」
「ええ。大体わかったわ。名前さんがダークホースだったってことね」
「そんなところだね。名前さんは手に入れたいものを全て手に入れて、卒業したと言っていい」

ちゃっかりしてるよ、本当に。
リドルはそう言って名前さんを抱き上げ、ソファーへ寝かせた。
名前さんはリドルも、新しい場所も、資金も、後ろ盾も、仕事もすべてを手に入れた状態で、静かに卒業していった。
誰も彼女に注目はしなかったけれど、実は名前さんはすべてを知って、その中でうまく立ち回って誰にも知られることなくすべてを終えた。

名前さんは才能と運に恵まれていた。
そしてそれを存分に使える知恵を持つ人を傍に置いていた。

「本当、羨ましいくらい」

ジニーは呑気に眠る名前さんに向けてそう呟いた。
その呟きは、扉に備え付けられたベルの音に打ち消されて、名前さんやリドルに届くことはなかった。

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