店主はかく語り
カフェ・オリュンポスはかれこれ30年近く、ノクターンで店を開いている。
怪しげな店が揃うノクターンの中では比較的にまともな店で、古物商のボージンアンドバークスや古本屋ビブリアンワークスの次くらいに古株の店である。
そこの店主は現在2代目、学生の頃からこの治安が悪いノクターンで1人暮らしをしていた猛者が勤めている。

猛者、と言う言葉があまりに似合わない華奢な肩が大げさに竦められたのを見て、ヴィヴィオは苦笑した。

「何、この集まり」
「例の被害者にジニーが当たったらしい。で、ヴィヴィオが保護したんだって」

名前さんは気だるげに、そう、と答えて着席した。
彼女は寝起きらしく、ゆったりとしたワンピースにカーディガンを2枚重ねて羽織っている。
長い黒髪は淡いグリーンのふわふわした髪留めで簡単に纏められていた。
何度かカフェ・オリュンポスに出向いたことがあるヴィヴィオだったが、こうもラフな名前さんの姿を見るのは初めてだ。

普段は黒いワンピースやドレス姿で、尚且つ黒のヴェールで顔を隠しているので、こうしてみると、彼女の若々しさというか、それを通り越した幼い様子がよくわかる。
こんなにも幼い店主だったのか、とヴィヴィオは純粋に驚いていた。

「名前さん…彼は本当にリドルなの…?」
「そう。でも、今は悪いことはできないよ」

怯えたように話しかけるジニーに名前さんは淡々と答えた。
ジニーは何もできないという言い方に疑問を抱いたが、確かに特に彼の話を誰かから聞くことはなかったし、あの大きなヴォルデモートとの衝突以来、闇の陣営との衝突はなかった。

ただ、11歳のジニーを操ったリドルが傍にいるということは、彼女にとって大きな恐怖だった。
いくら名前さんから大丈夫と言われても、理由が分からない限りは信頼に値しない。

「“できない”じゃなくて、“しない”だ。僕が名前さんの元にいるようになってから、何か悪さをした?」
「信頼してないわけじゃないよ、リドル」

キッチンで名前さんの分のミルクを温めていたリドルがマグカップ片手に不機嫌そうに戻ってきた。
どうやら悪いことができない、という言われ方は彼としては不名誉なことであったらしい。
わざわざ訂正を入れたリドルに、名前さんは苦笑いした。

「信じられないんでしょ、ジニー。信じなくてもいいよ。ノクターンに来ない限りは、もう二度とリドルに会うことはないだろうから」
「…リドルはどうしてここにいるの?」

ミルク入りのマグを手にした名前さんは淡々とそう言った。
彼女はリドルがここにいることに対して、何の懸念も抱いていない。
名前さんだけではない、ヴィヴィオも特にリドルに対して悪いようには思っていない。

確かに、ノクターン内での問題は今まで特に何事もなく、静かであった。
ただ表面化することがなかっただけで、水面下で何かしら起こっていてもおかしくはない。

そして、リドルや名前さんがその中心であったとしてもおかしくはなかった。

ジニーは警戒していた。
突然ノクターンに飛ばされたこと、リドルが目の前に現れたこと。
それらがすべて、彼女を不安にさせた。

「名前さんの傍にいたいからだよ。もう10年以上、そうしてる」

だからこそ、その一言はあまりに衝撃的だった。
傍にいたいから、ずっとそうしている?
マグルを憎しみ、闇の帝王として君臨したトム・リドルがマグル生まれの名前さんと一緒にいたいから、存在しているなんて信じられない。

ただ、確かに微笑んでそう告げたリドルの顔には幸せが滲んでいるように見えた。
もともと美人であるとは思っていたが、微笑むと全く印象が変わる。
リドルだけ、絵画の中の人物のようだ。

「ちょっと待って、10年ってまだ学生だったんじゃ…?」
「もういいよ、ジニー。この話はやめよう。きっと誰も信じられないと思うから」

寝覚めが悪いのか何度も欠伸を噛み殺していた女店主名前さんは、話を聞き終えると困ったようにつぶやいた。
名前さんは特にジニーにリドルの存在を認めてもらうことや、許してもらうことは考えていない。
何より、名前さんはまだ眠いのだ。
さっさと話を済ませたいと考えていた。
ここでリドルの話を始めれば、それこそ昼過ぎまで眠れない可能性もある。

リドルは名前さんの言葉に同意した、彼女が眠そうに目を細めながら話を聞いていたのを知っていたからだ。
彼は口をつぐみ、階段を登って2階へと姿を消してしまった。

「それで、どうしてジニーがここに?」
「それは俺から話してもいいか?さっき全部彼女から聞いたんだ」
「誰からでも構いません」

ここぞとばかりにヴィヴィオが口を出したのは、いつまでたってもこの話が終わりそうになかったからだ。
そもそも、ヴィヴィオはジニーをここに連れてきてすぐに帰るつもりだった。
妊娠している妻をあまり家に一人にさせたくなかった。
名前さんとヴィヴィオの利害が一致しているが故に、その後の説明は早かった。

ヴィヴィオからすべての話を聞き終えた名前さんは、一口ミルクを飲んでから、ジニーを見た。

「ジニー、あなた最高に運がいいわよ。子供も貴方も無事なんだから」
「名前さん…あなた何か知っているの?」
「ここのところドラコが不機嫌だったからね…悪いことは全部僕のせいか!って」

名前さんとの会話は噛みあっているのだが、合ってないような気がする。
会話の端々を省略して喋る癖が付いている名前さんの言葉に、ジニーとヴィヴィオは頭をフル回転させていた。
ドラコ・マルフォイと言えば、今ある純血の家で最も地位の高い良家である。
その彼はもともと名前さんと同級生で、今もなお交流がある。
主に、このカフェ・オリュンポスの常連として。

「どういうこと?」
「悪質なポートキーが出回っているみたい。うっかりそれに触った人が知らない場所へ飛ばされる仕組み。飛ばされる先にノクターンが高確率で設定されているみたいで、うちもてんてこ舞い。飛ばし先がノクターンだからか、ドラコはとばっちり食らってるみたい」

名前さんはここのところ多発している、姿現しとは少し違う、人の移動についての話をした。
ノクターンは主に移動した先になることが多く、いきなりノクターンに飛ばされパニックになっている魔法使いの保護に出向くこともあった。
悪いことに、ノクターンのどこに飛ばされるかは分からず、人狼街や奇人の館へ飛ばされてしまう場合も非常に多い。
肉体的にも精神的にもやられてしまう魔法使いも多く、その対処に相談役の名前さんも困っていた。

「私、ポートキーなんて触ってないわ」
「記憶が曖昧なんでしょ?宅配便と偽って、家々を回ってるらしいから、多分その荷物がポートキーになってたんだと思うけど」

被害者は、ポートキーなんて手にした覚えはないというが、ポートキーなんてなんにでも設定ができる。
しかし、ポートキーは魔法省で許可を取らないと使用不可である。
だからこそ、今までこのような悪用をされることはなかった。

名前さんはこの事件に関して、悪質かつ安価なポートキーを作っている馬鹿がいて、尚且つ、それを使って悪戯をしようとしているアホがいると考えていた。
面倒なのは恐らくアホの方で、わざわざノクターンに飛ばすような設定をしている点に関しては見過ごすことができない。

「これがノクターンの住民の仕業だなんて言われたら、また面倒になる」

今回の事態は、ノクターンからのテロと言われてもおかしくはない。
特に魔法省闇払い局の奥方が被害に遭ったとあれば、魔法不適切仕様取締局だけではなく闇払い局が動く可能性が高い。
闇払いがノクターンに来ると、ノクターンの住民たちは非常に嫌がる。
闇を払われることを嫌う人々も多いのだ。

闇は彼らの人に見られたくない、知られたくないことを隠すヴェールだ。
それを払われそうになると、攻撃的になる人々も多い。

「名前さん、目星は付いてるのか?」
「ある程度は。でも根が深いから、即時解決はできない。魔法省と組んだ方がよさそうな気はしてるから、今相談中」

名前さんはこの事件が発生し始めてから、ドラコやセオドールと共に調査を進めていた。
被害に会った魔法使いには、顕著な共通点があった。
そして、その共通点と馬鹿とアホの利害の一致までは掴んでいるのだ。

ジニーがここに来る少し前に、名前さんは魔法省に警告をしたばかりだった。
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